物語などを面白くするには作者と読者の欠乏している欲求を満たしつつ好奇心も持たすというのが重要なのかも
さて、面白い話を書けば読まれると言うのはある種の真理わけですが、ならどうすればお話が面白くなるかというのは実際わからないからみんな悩むわけですね。
創作論は様々な人が書いていて実際に役に立つというものもあるわけですけど、それぞれ個人的に合う方法というのは全く違うので、創作論を読んでそれを取り入れるかどうかはそのやり方が自分に合うかどうかで決めていったほうがいいのでしょうね。
もともと面白いという言葉は目の前が明るくなって希望が持てる様子を表すもので反対の言葉は面黒い、絶望で目の前が真っ暗になってしまうことになりそうなものですが、実際面白くないというのは変化がなくて退屈と言うレベルにとどまることが多いですね。
これは基本的に娯楽というのはある程度生活が安定している状況であるからこそそれを楽しめるからだと思います。
まあギャンブルとかFXみたいな投資をやってる人は面黒い状態になったりすることも多いようですけど。
そして物語というものは”作者や読者が明白にもしくは潜在的に望んでいる人生の一部”を表したものである方が面白いと思われやすいのでしょう。
なろうは作者の願望がですぎていて気持ち悪いなど言われることもありますが、一般文芸でもじつは大差はないと思いますよ。
半沢直樹や下町ロケットが受けてるのも社会的構造に不満がある人が多いからでしょうしね。
物語の主人公や脇役、敵役の行動には本来なら生きている人間がもっているはずの何らかの目的やそれに付随する動機というのがあるはずなのですが、それは何らかの欠乏もしくは欠損を満たすためのものであることが多いはずです。
男性向けギャルゲーやエロげー、ラノベや漫画、アニメ、なろうだと現代恋愛ジャンルなどだとごく普通の自分に対して魅力的な複数の女性が好意を寄せてくれて、最終的にはその中の誰かもしくは全員が恋人や妻となり家庭と子供を作れるという状況に持っていくために距離詰めるため何らかの障害を突破すると言うものが多いですし、逆に女性向けハーレクインやレディコミ、ラノベなどではごく普通の自分を見つけて愛してくれる大富豪や王子様、有能な上司などにであって、最終的には幸せな家庭を築くというものが多いですね。
これ自体はアメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した理論マズローの欲求階層説における社会的欲求などを代理的に満たす効果があるのでしょう。
生命維持に一番直結する食欲・睡眠欲などの生理的欲求が満たされていない状態の人はまず本を読んでる場合ではないでしょうし、生命維持に関しての安全を補助する衣服や住居やそれに付随する水道や電気ガスなどの安全欲求も満たされていない場合はやはり本を読んでる場合ではないでしょう。
しかしそれらの生理欲求や安全欲求をクリアした場合は、それなりの余裕がでてきて、更に生存に有利になるため社会的欲求、すなわち組織や集団への融和的な所属や恋愛の欲求を求めるようになります。
もっともそもそも何らかの組織に所属していないと生理欲求や安全欲求は満たされないはずでもありますけど。
これは快適な関係で他人と関わりたい、家族・学校・会社・国家などの組織に帰属したいという欲求ですね。この欲求は通常では生存を脅かされない状態になってはじめて生まれる欲求ということになります。
この上の欲求は尊厳欲求もしくは承認欲求で、名声や昇格などで自分が集団から価値ある存在と認められ、称賛・尊敬されることを求める欲求。
なろうではこの承認欲求を代価的に満たすのも人気の出るでないの重要な要素な気がします。
もっとも作中の人物が主事音を得を褒めるだけの単なる舞台装置になりやすいという欠点もありますけど。
おそらくこの上になると物語的にキャラクターが実現しても読者は感情移入しづらくなると思いますが、他人からの称賛や社会的評価ではない自己実現欲求、自分の能力やセンス、スキルの適正を極限まで発揮して、自分らしく有りたいというもの。
他人からの称賛を求めるのではなくあくまでも自分らしさの追求であるので他人には理解しづらい欲求と言えるでしょう。
もっともなろうなどの作家の中には他人からの評価ではなく、自分が書きたいことが表現できればいいということに理解を示す人も結構いそうですけど。
自己実現の欲求でもマズローは晩年に発表した「超越的な自己実現の欲求」というものがありこれは簡単い言えば寝食も忘れてそれにはまり込んで熱中することだそうです。
そして欲求の優先順位は一般的には生理的欲求>安全欲求>社会欲求>承認欲求>自己実現欲求となるのですが、人によっては社会欲求より自己実現欲求のほうが強い場合もあります。
芸術家や研究者などはそう言った人も多い感じですね。
そしてもうひとつ大事なのは物語は読者の好奇心や興味をどのように呼び起こすのかというのが大事なのでしょう。
基本的に好奇心もしくは興味というのは見知らぬ物に出会ったときに、ある程度それが理解できるがあたらたな発見があったときに生まれるもので、全く理解できない場合は不安や恐怖が生まれそれに対して離れようとします。
そしてすでに理解していて新しい要素がない場合は退屈と感じます。
知らないもの、分からないものに対して、その理由や意味、利益不利益を知りたいと考えるのはその情報に対して報酬系嫌悪系の判断がつかず、軽い不安状態に陥ったときに脳はノルアドレナリンを発生させ集中力を上げますが、この際に好奇心が満たされることは生存に利益となり報酬系を刺激する状態になるのですね。
いわゆる定番のテンプレでもお話の展開が今まで知らなかった展開であればこれからどうなるのと言う好奇心を生みます、逆に世界設定や舞台設定が一見異なっていても展開が同じだと何だいつものやつかになってしまうのですね。
これはIS分校などの学園戦闘ハーレムや同時期の学園ハーレムがあっさり飽きられた大きな理由だと思います。
主人公が手に入れた力がパワードスーツだろうが魔法だろうが剣の腕前だろうが、特に理由はないけど唐突にモテるようになったでも話の構成が同じであれば予想が付きすぎてつまらなく思うわけですね。
最近の日常系アニメやなろう系ノーストレスファンタジーアニメがイマイチなのも、登場人物に欠乏するものがなく、話の構成が同じ過ぎて好奇心を刺激しなくなってしまったからでしょう。
ゆるキャンが受けたのはキャンプやテントなどのキャンプ用品に関する知識というものが案外視聴者の好奇心をくすぐったからかなと思ったりします。
お話の独創性と言うのは大事ではあるのですが、それは読者の理解や予想を大きく離れたものではだめですし、だからと言ってありきたりすぎてもいけないというのが難しいところなのだと思います。
なのでAIが面白い小説をかけるのかというと私は結構難しいんじゃないかなと思います。
面白さということに対しては知られていそうだけど知られていない、予測できそうであるけど結果は以外に違う楚々てそれに納得できるなどのズレを見極めるある種の嗅覚というセンスが必要な気がするんですよね。




