なろうでバッドエンドや悲恋が受け入れられないのは、読者は登場人物の成功を求めてるから、というか鬱展開や失恋要素を求めてないから
前に書いた”エロ同人のNTR(寝盗り)は要するにエロ限定のチート無双じゃないかな”というエッセイでもちょっと書きましたが、商用ラノベやなろう、エロ同人のユーザーは唐突に力が手に入って、女性にもてて、性行為ができるという社会的成功を作品に求めているのでしょう。
だからこそラノベではバッドエンド物や悲恋物はあまり詠まれないのでしょう
では、そういった作品を求めてる人たちはどういう人達なのかといえば、マンネリで退屈な日常からチョット離れたいが、不倫などのような社会的制裁を受けるようなことはしたくないという人たちではないかなと。
不倫をした事がバレた男女のロミオメールやジュリエットメールでは不倫で生活が壊れることを考えてないことが多いようですけど、そこまでバカでなけれればそうならない範囲での行動で済ますのではないかと、暇つぶしにソシャゲとかにハマる主婦は多いみたいですね。
私は綾辻行人さんの”殺人鬼”とか、スティーブン・キングさんのホラー作品とかクトゥルフ系のお話は大好きですが、基本的これらの作品には基本的に登場人物に対する救いとか成功はないです。
でも刺激はある。
だから救いや成功がなくても、退屈から開放されたい刺激、具体的にいいうなら身近に迫る死というスリルを間接的に味わういたい人は読むのでしょう。
ホラー映画がなんだかんだで廃れなかったり、遊園地の絶叫系やホラーハウス系のアトラクションが人気だったりするのも同様の理由だと思います
スリルというのはストレスと言ってもいいです。
で、ラノベやなろうの読者は”スリル”は必要としてないのですし、主人公側の人物が失敗することも望んでないでしょうね。
現実で死にそうになってる人、そこまで行かなくても不安を感じてる人には、バッドエンドや悲恋は受け入れられないのでなろうでは読まれないのでしょう。
正確に言えばなろうでそういった要素を求めてる人はそういうのを書いてる人が思うほど多くないということだと思います。
とはいえエドワード・ゴーリーの絵本の”不幸な子供”はいったいどんな子供や保護者向けに書いたのだろうと作者に聞いてみたいところではありますが。




