面白さより感動を選んだ結果が現在のスクエア、グラフィックやイラストに頼るのは面白いアイデアがないことの誤魔化し
大昔の1996年頃ことですが、当時のスクウェアの小林取締役は「当社はゲームと映画の融合を目指している。つまり、感動を重視するんです。任天堂は、感動よりは面白さを重視する。ゲームに対する基本的な姿勢に溝が生じた結果です」と話し、プレステでFF7を出しました。
ここにおける感動というのはおそらく映像の綺麗さや音声の良さ、物語性の強さを意味し、面白さというのは障害に対しての創意工夫すなわちゲーム性を示すものだと思いいます。
結果としてはFF7は大ヒットしたのですが、エアリスをどうやっても助けられないというストーリーに感動の押しつけというものがすでに含まれていたように思います。
で、その結果スクエアは感動を追求して湯水のように予算を注ぎ込んで映画を制作しましたが、それが大コケで、ゲームソフトではファイナルファンタジー13がどう言われてたかといえば、シナリオは三文小説並みで一本道、映像美はそもそも映画に勝てないし、ゲーム部分は時間がかかるだけのまったく面白く無い苦行などと言われてしまうわけですね。
12に至ってはえ? そんなのあったっけ? ですし、15はそもそも未完成品を売るなと言われている上で、システムとストーリともに最悪とか言われちゃうくらいで、自分たちはこういうのがやりたかったんですよ、すごく感動するでしょ? みたいな開発陣の押し付けがましいエゴが見えすぎだともおもいますが、スクエアはスーファミまでのグラフィックではカバーできないから戦闘システムに対するいろんな工夫でグラフィックの貧弱さをカバーすると言う姿勢を取り戻すべきだったんじゃないかなと。
まず、感動させるためには説得力というか共感性の高い物語が必要であるということがわかってさえいなかった感じで、現状スクエアがどうなってるかを考えれば感動の追求というのはゲームの売りを殺してしまっていたと思います。
一方の、任天堂のゼルダは未だに高い評価を得ていますね。
RPGではないですがマリオカート・スマブラ・スプラトゥーンあたりも見てみれば、感動よりも単純な面白さがゲームには大事なのだと思います
任天堂は面白さを重視することが、ユーザーを楽しませようとすることであるとわかっていたのでしょう。
確かに64・GCあたりは完全に冬の時代でしたがWIIやWII-Uで結構復活して、Switchはゲームハードの売上を大きく増やしました。
単純だけど面白いというゲーム性というのは大事だと思います。
そしてこれは”可愛い女の子のイラストを表紙に持ってきて、ちょっとエロい絵を挿絵にもってくれば中身はどんななものでも売れる”となっていた商業ラノベにも同じことが言えるのかなと。
そしてイラストでは勝負できないなろうの作品が、可愛い女の子のイラスト頼りになっていた商用ラノベの売上を、あっというまに追い抜いたのは結局必然で、未だに新人賞作品よりなろう作品のほうが売れやすいのもそのあたりがあるのでしょう。




