ゲームは多くのプレイヤーがクリアできないのが当たり前を全員クリアができるのが当たり前にしたドラクエは偉大ではあった
さて、フィールド型RPGの衰退は世界観やキャラクターの設定、人間関係、ストーリーまですべて、細かく決まってしまっていて押し付けがましく思える事と戦闘が面白くないことだろうという結論なのですが、これはフィールド型RPGがコンシューマーゲームの環境に過剰適応をしてしまった結果なのだろうと思います。
ファミコンが登場する前後のコンピューターゲームはパソコンゲームではポートピア殺人事件やデゼニランドなどのアドベンチャー(このジャンルはエロゲも多かった)、大戦略や信長の野望のようなシミュレーション、ザナドゥやハイドライドのようなアクションロールプレイングとアーケードゲームのアウトランのようなレースゲーム、グラディウスのようなシューティングゲーム、パックマンのようなアクションゲームなどがありましたが、ファミコンやセガマークⅢなどはアーケードのゲームが家庭でもできることが最初は売りでした。
実際にアウトランやアフターバーナー、スペースハリアーなどのセガのアーケードゲームが家で遊べるというのはグラフィックやサウンドがかなりしょぼくなっても嬉しいものでした。
アーケードゲームはシューティングやアクション、レースゲームなどが主であったこともあって基本的にはゲームが進行するに従って難易度が上がっていき、それによりクリアするのがどんどん難しくなっていき一回のプレイは分単位のシステムです。
これはコインでプレイをするゲームセンターにおいては、ゲームセンター側にとってメリットのある特性で、一回のプレイ時間が短くそれによりプレイされる回数が増えればそれだけ売上が上がったわけですね。
ゲームセンターのゲームは客が入れ代わり立ち代わりで常にプレイしていてなおかつ、一回のプレイ時間が短くプレイできる時間に制限があったほうが収益的によかったということです。
しかし、ゲームセンターのゲームがファミコンなどのハードで家で遊べる用になった時は、基本的にはプレイヤーはハードやソフトを買った一人だけ(友達と一緒に遊ぶとしてもゲームセンターほど多い人数ではない)のでこの一回にプレイできる時間が短いほうが良いというシステムもそのままだったことは、ゲームというのは進めるに付き難易度がどんどん上がっていきプレイ時間も短いシステムのままだったのだけど、それだとあっという間に飽きてしまったり、最後までクリアできないプレイヤーも多く、それらのプレイヤーにはとって大きな不満になるわけです。
そして、こういったゲームはセーブしてそこからはコンティニューという事はできなかったからゲームオーバーになると、また一番最初最初からやり直しで難易度の低いステージもやり直すのは単調な作業でつまらなくなっていくわけですね。
それでも、何度もプレイヤーが根気よくプレイしてパターンを覚えていって、最終的にはクリアできればいいが、頑張ってもクリアできないプレイヤーがかなりいたはずです。
実際私もそういうプレイヤーの一人だし。
またパソコンゲームのアドベンチャーゲームもこのときはまだ状況を説明する絵とテキストが表示されるのは今と同じなのですが、そこから進めるためにはプレイヤーは正解となる単語を入力する必要があり、その単語が正しければ先に進むめるが、間違っていると全く進めず、しかもヒントもろくにないという代物でした。
現在のようにちょっとネットで検索すれば答えが見つかるなんて言う時代ではなくパソコンユーザー自体が少ない時代でしたしね。
なのでアドベンチャーゲームも途中で正解がわからなくなって放り投げられることが多かったのですね。
そこに現れたのがドラゴンクエストでした。
ドラゴンクエストは戦い続けて経験や金を稼ぎ、レベルアップして強い武器防具を揃えれば、最初は薬草を使わなかったがために死んだという相手でもそのうち殴るだけで勝てるようになります。
そしてもう一つ大きいのがドラクエは死んでも所持金が半分になるだけで育てたキャラクタそのものだけでなく経験値もそのままで教会が復活させてくれたということです。
ウイザードリーなどは全滅したら他にパーティを作って死体を拾わない限り死んだキャラクターはダンジョンから戻ってこれませんし、戻ってきたとしても蘇生の儀式による復活も確実ではありませんでしたし、テレポーターの罠で石の中に入ってしまった場合は救出不可能でした。
それが、ドラクエでは死んでもキャラクターを失ったり、そこまで戦って稼いだ経験値が失われずに継続できるようになったというのは、それによってそれだけ最後までクリアできるユーザーを増やしたということでもあったのですね。
一部の好きなプレイヤーが何度もお金を落とすのを期待するアーケードゲームと違い、定価で売るゲームソフトはどれだけの本数、要するにどれだけの人数相手に売れるかが大事だったため、家庭用ゲームではクリアできるユーザーを増やすということは大きなことで、ドラゴンクエストが社会現象になった理由の1つは、買ったユーザーがアクションが得意でもど下手でも頭をつかうのが得意でも苦手でも、時間をかければクリアでき、しかも失敗してキャラクターが死んでもそれまでの行動や時間の殆どは無駄にならないでそのまま続けることが出来たということなのでしょう。
ファミコン版キャプテン翼もキャプ翼らしい技もさることながら勝ってもの負けてもレベルアップして行くことで最終的には勝てるようになるというのはアクション的な作家では勝てないプレイヤーには大きかったと思います。
このあたりがレベルアップの概念はあってもある程度プレイヤーの技量が必要だったザナドゥやハイドライド、その後のイースのようなパソコンのアクションRPGとの違いでもあったのだと思います。
しかし、RPGにおける戦って経験値を集めて強くするというシステムは簡単に勝てるのが当たり前でやがて戦いそのものがただの作業になってしまい、レベル上げに必要な回数や時間が苦痛を伴う退屈なものになってしまったのですね。
このあたりはダンジョン系ゲームがレベルアップしないと死にやすく、しかも全滅したらキャラクターを失う場合があるため、戦闘や探索行動に慎重さが必要で、レベルアップで強くなることでようやく進める範囲が広がるが進んだ先ではまた慎重さが必要になるということに意味があるわけですが、ドラクエのようなゲームでは適当に戦って死んでもそのまま続けられ、大抵は何も考えずにアイテムも魔法もも使わずに戦い続けてもレベルアップできるというのは頭を使う要素がなくて面白みがなくなっていってしまったのでしょう。
極端な話をすればフィールド型では戦闘も成長もする必然性すらないのですがそういった敵の強さの調節が結局は必要なのでゲームバランスがいいとか悪いという問題が大きくなったと言ってもいいわけです。
また、一本道のストーリーやそれにより行動できる範囲が決まってしまっている場合は、ダンジョン系ゲームのように強くなってようやく安心して遠くに行けるようになるという楽しみもありません。
最初からストーリーに沿って行ける場所が制限されているうえに、レベルを上げるのに何も工夫が必要ない、レベルをあげて物理で殴ればすべて解決なのに、敵の強さに対応するためにレベル上げをしないと先に進めないからレベル上げが楽しくないという本末転倒の事態に陥っています。
さらにプレイヤーがあるイベントをクリアしないと、敵も何もしないというのは誰でもクリアできるという条件を用意するためには必要なことではありますが、のんきにレベルアップしてる間に魔王によって攻撃されて国が滅んでしまったりしないのはリアリティを考えればおかしなことです。
まあそういう要素がほしいならRPGではなくSLGでもやったほうがいいのでしょうけどね。
なろう系小説ではリアリティのある世界の中に主人公がいるのではなく、主人公に合わせて世界が対応する、村人などに生活感が感じられないなどという違和感は、それが上がると死ににくくなるレベルやステータスという存在というものと合わせて主にフィールド型RPGの影響ではないかなと思います。




