RPGってそもそも本来はDQFFよりもガンパレのようなゲームなんじゃなかろうか
日本においてはコンピュータロールプレイングゲーム(以下CRPG)のドラゴンクエスト(以下DQ)やファイナルファンタジー(以下FF)シリーズなどのヒットの影響でロールプレイングゲーム(以下RPG)はキャラクターを戦闘させて強化しながら特定のストーリーを追う物という感じが強いのですが、これはもともとウルティマというそれらの元祖となるCRPGがそういうものであったからというだけで、本来であればロールプレイングゲームにはキャラクターの成長すら必ずしも必須ではなく「他の誰かのふりをすることで想像上の自分が決してなることができない何者かになりきって演じることを楽しむ遊び」であるはずでずが、単純に考えればそういった表現方法は演劇とも被ります。
では演劇とRPGの最大の差はなにかといえば演劇は脚本家が書いた台本から決められた物語の登場人物になりきるとしても演じる人間が勝手に行動やその結果を変えることはできませんが、RPGはルールで定められた世界観においてGMが設定している状況によるシナリオの中である程度はプレイヤーの意思で行動を選択して良い方にも悪い方にも結果を変えることができるということだと思います。
TRPGではロードスやクリスタニアで速攻でPCが死んだりして困っていたようにダイスの神様の気まぐれで誰も予想しない結果になったりもしますけどね。
そういう意味ではDQ・FFよりもむしろ高機動幻想ガンパレード・マーチ(以下ガンパレ)のほうが本来ののRPGに近いと言えるような気がします。
ガンパレでは人形戦車のパイロットになって戦うのも、随伴歩兵となって戦うのも、整備兵としてボロボロの人形戦車を直し続けるのも、あるいは無職で何もしないでいるのも自由ですし、誰と仲良くするかも自由です、二股かけて原さんに刺されて即死するのもまた自由です、そうなったらゲームオーバーですが。
戦争に関係なくクラスメイトの所有する靴下を何らかの方法で集めるのも自由です。
そして、プレイヤーが操っているキャラクターがなにもしなくても、敵やNPCは行動しているので、時間が経てば戦況や精神状態・人間関係も変化していきます。
DQFF等の敵ボスやNPCなどが基本的にイベントが進まない限りは強くなったり行動しないしないのとは対照的ですね。
FF8やロマンシングサガなどはレベル上げなどにあんまり時間をかけると敵が強くなってしまってかえって詰んだりしますけど。
そして仲間を殺さないように頑張るのも、仲間が死ぬのを見捨てるのもまた自由です、そのために戦況を良くするのも悪くするのも自由です。
TRPGでは一緒に他のプレイヤーと遊びますから、状況を悪くすることで他のプレイヤーに迷惑をかける行動をするのはよろしいことではないですが、スタンドアロンなコンピューターゲームであればこそ、そういった行動選択を自由にできてもいいのではないかなと思ったりします。
まあ続編のガンパレード・オーケストラ(以下棺桶)で戦闘システムを変えてしまい、人形戦車の機動性というメリットを棺桶では完全に投げ捨てたり、これらの背景設定である無名世界観の設定があんまりにもカルト的だったりするのはちょっとあれですけどね。




