ラノベはキャラクター小説からシチュエーション再現小説に変わってきていているのではないだろうか
ラノベの定義の一つはキャラクターの魅力を中心として話が作られているとされているようです。
もう少し具体的に書くなら作中の人物を漫画やアニメーションを想起させる『キャラクター』として構築したうえで、それに合わせたイラストを添えて刊行される小説というもののようですが、商用ラノベでも学園戦闘ハーレムのころからそれが必ずしも当てはならなくなってきていて、なろうの異世界作品も含めて主人公や敵のキャラクターの魅力ではなく、キャラクターは単なる記号の集合体で、記号同士をいかに組み合わせて特に目標も憧れもない主人公が周りからちやほやされる面白そうなシチュエーションを思いつくかが人気を取るために必要となってきている気がします。
つまり前のエッセイで書いた主人公や敵の魅力が物語の面白さには大事というのが昨今のラノベなどでは必ずしも通用しなくなってる気がしますね。
とはいえなろう系の主人公が叩かれやすいのは仮想の世界や都合の良い異世界で運良く力を手に入れた後のその後の行動が弱い者いじめに見えたりや敵などのキャラの強さや魅力がイマイチ乏しいからではないかという気がします。
それ以前に最近のラノベにおけるバトル要素、チート要素は主人公をもてさせるために必要なただの設定でしかなくバトル自体はどうでもいいきもします。
ロードス島戦記のパーンにはアシュラム、フルメタルパニックの宗介にはガウルンという悪役が存在していてそれが戦いを引き立てていたように感じるのですけど、ISのバトルって一夏が世界で唯一人男でISを動かせるから学園女性にもてると言う設定のおまけでしかない感じがするのですね。
オーバーロードのアインズがアニメ第三期でイキリ骨太郎扱いされてるのもゲーム的世界で明らかに弱い相手に過剰な戦力を用いたりワーカーを拷問したりしてるからでしょう。
その力は努力して手に入れたものでないのにそれを大げさに振りかざすのが滑稽に見える人は少なくないみたいです。
魔法科高校の劣等生の場合はすでにシュールギャグ扱いですし、このすばやリゼロは主人公がチート的に強いと言うわけではないのでイキリ扱いされる理由がないわけです。
そしてこれは世界観そのものをイチから作っていた第一期ファンタジーブームなどの頃に比べて、世界観が暗黙の了解で成り立ち、ハーレムとか無双と言う題材に対して大喜利状態にラノベの作り方がなったことが大きいのかなと言う気がします。
学園戦闘ハーレムの元祖であると思うISはシャルロットの人気が高かったのは事実だけど、明確な悪役も判然としませんでしたし、主人公の一夏に人気があったかというとそうではない気がします。
そして更識簪という内気で優しい系のヒロインが追加されるとシャルロットは暴力系ヒロインになってしまって、人気を大きく落とすも簪の人気は今ひとつという状況になったわけです。
その後ISにガトリングガンを打ち続けるとあっという間にバリアが切れるとか、そもそも稼働時間がそういうのバリアによる消費がなくても兵器としては短すぎるのでそもそもISの既存兵器に対しての優位性とは何だったのかと言う話が出ちゃった時点であれであったりしますけどね。
しかし、よく考えるに魅力的な敵味方のキャラクターがお話を面白くするのではないかという構図はエヴァンゲリオンですでに崩れていた気もします。
エヴァンゲリオンってアスカや綾波の人気はともかくシンジくんは等身大の思春期の人間に近い(しかしシンジくんを含めて誰もかれも精神的には病んでる)ために見ててイラつくという意見も多く、使徒に至っては攻撃していくる理由は基本的に謎だったわけですが、そこには悪の美学とかポリシーとかカリスマのようなものはありませんでしたしね。
だからこそその後の世界系アニメはいまいち面白く感じないものが多かった気がしますけど。
最もこれはワンピースや鬼滅の刃みたいな少年漫画やハリウッドの映画などキャラクターの魅力が大事な気がする娯楽作品からは外れてる気がするのでやっぱり敵味方のキャラクターの魅力というのも大事な気がします。




