シンカリオンとダリフラ、戦えない大人と戦え得る子供の構図は同じだけど内容は正反対?
さて、去年のロボ物でシオンカリオンとダーリン・イン・ザ・フランキスは面白かったよという感想を頂いたのでダーリン・イン・ザ・フランキスを見てみたのですけど……うん、シンカリオンが明るいエヴァならダリフラはエヴァの雰囲気をそのまま引き継いだ「劣化エヴァ」といわれてるのも納得なアニメでした。
シンカリオンが小学生とその父などの家族のつながりがあって、大人や中学生は自分たちにはシンカリオンをまともに動かせないけど子供を戦わせたくないと思っているという流れから、お互い協力していくべきという流れになっていくのに対して、ダリフラは自分たちではロボット動かせ無いが操縦できない子供は排除していって使えるものだけを残して偉そうに命令しているという、現実の老人が自分たちの年金欲しさに若い人間に働けと言ってるような、現実の老人と若年層のギャップのようなものを感じます。
いや、だからといってダリフラはつまらないわけではないんですけど、シンカリオンに比べると大人のダメさ加減がはっきりわかるし、設定要素をいろいろ詰め込みすぎて消化不良だなあと。
個人的にはエヴァにゲッター(やそのオマージュのグレンラガン?)の敵要素を詰め込んでロボットはトップをねらえ!2のバスターマシンっぽいロボットにしてみたみたいな感じに思えましたし、敵だとおもっていた存在が実はっていうのもトップをねらえ!2ですでにありましたしね。
そして最後の方の超展開で1クール目の評価台無しという点では鉄血のオルフェンズにも似てるなと。
面白い作品を作るために面白い要素を詰めこむのは確かに必要だけど、要素それ自体が噛み合っている必要やそれによる目新しさがありつつも予想から外れすぎない、かつ視聴者の期待に沿う形であるというのが好奇心を呼び起こすために必要なようなのですが、どっかで見たような既視感を消すというのはいうほど簡単ではないのだなと再認識させてくれる作品でもありました。
イチゴは可愛いのに報われない感じで残念というのもあったりします。
シンカリオンの上田梓が前半はやな女な感じだったのに誕生日のエピソードでのハヤトへの理解やさりげない子供チームへのフォローやセイリュウに対しての世話焼きなんかで実はいい女なのではないかと思って来ているのとちょっと対照的でもありますね。




