良い作品や商品と売れる作品や商品、サービスは目的や需要側の懐次第で当然違うがコストが同じなら多くを満足させたほうが良い作品かつ売れる作品
さて、よくあるそもそも良い作品とか商品とかサービスと言うのは誰にとってなのか。
これ基本的には作り手の供給側ではなく買い手である需要側のニーズだと思うんですよね。
たとえば10万円するマイセンの芸術的な皿と100円ショップの皿どちらが良いものでしょうか?
お金持ちにとってはマイセンの皿のほうがいいでしょうし、普通に食事に使うだけなら100円ショップの皿のほうがいいと思う人も多いでしょう。
じゃあその売れる数はどっちが多いかといえば100円ショップの皿ではないでしょうか。
つまりこの場合は良いものと売れるものは違うとなるわけですね。
風俗嬢であれば外見と接客サービスやテクニックが良いに越したことはありません。
しかし、吉原の高級ソープで120分8万出すのと、大衆ソープで90分2万出すのはどちらが多いかといえば後者でしょう。
これも良いものと売れるものは違うわけですね。
自動車だってベンツなどの高級車のほうが軽自動車より大抵の性能はいいでしょうけど、価格、燃費や維持費なども考えれば売れるのは軽自動車。
基本的には安くてそれなりに顧客の求めるものを満たしている方が売れますし、金がかかってるほど基本的には良いものになりやすいと思います。
無論金がかかってるほうが必ずしも良いわけではないですけど。
そして創作者には実際は創造者な人と組立者が混じっていてハンドメイドと言っても実際は組立者のほうが多いようです。
たとえば手作りチョコをカカオから作る人はめったにいないでしょうし、ハンドメイドアクセサリーも既存パーツを組み合わせ新たな作品として組み立てる方が多いでしょう。
でもカレーをつくるのに米から作らなきゃとかは鉄腕ダッシュならともかく普通の人はそこまでしないですし、そこまで手間を掛けて馬鹿みたいに高くなるなら既存部品を組み合わせて作られるハンドメイドのほうが安上がりですし品質も比較的安定してるでしょう。
オリジナリティを追い求めるならば本来は創造者な方が良いのかも知れません。
しかしながら組立者であっても一見使い古されているものを組み合わせたことで新しいものに見えるようにはできるはずです。
たとえばスレイヤーズは今でこそ当たり前の最初から主人公が最強クラスと言うのは当時では目新しいものでしたし、王子様が髭面でおっさんというのも結構斬新でした。
ソードアート・オンラインはVRMMO+デスゲーム+ファンタジーという組み合わせで大ヒットしたわけですけど、デスゲーム自体はすでにラノベでも散々書かれていたりしますし、ファンタジーはもう流行らないと考えられていました。
しかし、それらを組み合わせてみると目新しい作品になったわけですね。
あとソードアート・オンラインはアクセル・ワールドに比べると基本的に話が明るいので受け入れられやすかったんでしょうけど。
こんな感じで良いものの条件はいろいろあるのですが、基本的にはそれを手に入れるためにかかったコストや維持のためのコストに対して十分な満足が得られるかということでしょう。
基本的には飲食やサービスなどで繰り返して利用する事が多いものに関しては特に重要だと思います。
そしてコストが同じであれば満足度の高いもののほうが良いものですが、売れるものはまずそれが目につくかどうかも重要でしょう。
でなろうにおいては
それを読むことで続きや別作品を読みたいと思える読後の満足度や期待があるか。
作者のこだわりをある程度すてて読者の求める物を取り入れられるかことができるか。
しかしながらその作品から作者の伝えたい何らかのこだわりを感じられるか。
すでにまるっきり同じようなものものがないか。
それらによってランキングなどの人の目につくところへ表示されるか
などが重要なのではないかと思います。
作者から見ればその作品に対して期待していることを満たせれば良い作品かなと。
私は歴史物は歴史好きが読んで感想をくれれば十分期待に添う物ですし、その他の作品は読者ニーズがあんまりなくても書きたいものを好きに書いて多少なりとも読者さんがついて読んでくれる人がいればいいのですけど、商業作家になってより多くの人かに読んでもらいたいという人や、専業作家になってアニメ化して億万長者になりたいという人まで期待してることはさまざまですけどね。




