物語の王道となろうテンプレの差はサブキャラが友達や仲間かただの信者かで、物語の構成上サブキャラが必要かいてもいなくても変わらないかの差じゃないかな
さて、ハリーーポッターで主人公ハリーが学校に入る必要があるのは、いじめられている現実界から逃げ出して、周りから英雄の息子だと暖かく迎えられるためでもあるのだと思うけど、学校がハリーの成長や試練の突破に仲間が重要な役割を持っているのでその存在が必要だからだと思います。
そして、なろうで最初から無双なチートキャラが学校に入るのは他のキャラクターに圧倒的な力を見せつけて周りを見下したいからのように感じるのですね。
ハリーポッターだけでなく、たとえばロードス島戦記やスレイヤーズなどの昔の王道ファンタジーの物語は主人公以外の仲間の存在が物語の進行のために必要不可欠なのに対し、なろうのチート物では主人公が何でもできてしまうので主人公以外のキャラは別にいなくても物語の進行としてその存在が必要くて主人公を褒め称えるだけいればいいみたいな感じがします。
大雑把に言えば王道の主人公は友達や仲間を必要としているし、実際に友達とは友情を仲間とは信頼を育んでるんだけど、なろう最強主人公の場合は必要なのは一方的に褒め称えてくれる信者だけで友達や仲間を作ろうとしてないし友情や信頼を必要としていない気がするのですよね。
だからなのかなろうの最強ものだと主人公の周りにハーレムヒロインなどの主人公の信者がいっぱいいて、それ以外のたくさんの人物にも褒め称えられてるはずなのになんか主人公は孤独な感じがするのは私だけでしょうか?
そういった信者たちが主人公を人間として理解しようとしてる気がしないし、主人公もそういった周りの人間を自分を飾ってよく見せかけるためのためのブランドぐらいにしかみてないように見えるんです。
友情だとか信頼だとかが古臭い考え方だと言われればそれまでですけどね。




