アニメオーバーロード第三期の大虐殺の不評は文字と絵の情報密度の差や感情に呼びかける力の差がでたんだろうね
さて、アニメオーバーロード第三期の大虐殺の回に、画面からは絶望感も凄惨さもまったく感じ取れなくてがっかりだと言う声が結構大きいようです。
表情のない同じCGの兵隊が一斉に倒れ、その後現れた黒山羊に踏みつぶされる描写も、血も広がることもないと言う描写そのものが、まずひどい原作からの乖離だとも言えるのでしょうけど、王国の兵士や将軍も帝国の騎士の恐怖もまったく表現できてなかったと言えるのでしょうがないですね。
これはおそらく”七万の兵士が一瞬で死んだ”と言う文章を読んでそういった大軍を頭の中で想像できる人には24万いるはずの王国の兵士がまばらにしか見えず全然少く見えたのでしょう。
”絶世の美女”とか”ごく普通の容貌”と言う書き方でも読者は読者なりに自分の中の絶世の美女やごく普通の容貌と言うのはある程度想像するわけですが、文字というのは意外と情報が凝縮されているものです。
まあラノベの場合は表紙や扉絵でイラストが書かれててどこが普通の容貌やねんと言う例のほうが多いわけですが。
それはともかく大軍を何十万とか何億というように文字で表すのは簡単ですが、それをきっちり映像にするのは表示されてる情報量の差で難しかったんでしょうね。
10人を人人人人人人人人人人とするのはまだ出来ますが十万人を人人人(略)で表すのは大変ですしね。
このあたりは銀河英雄伝説・キングダム・ベルセルクのアニメなんかもかなり苦労していたように思います。
幼女戦記のアニメが不評でコミカライズのほうが評判よかったり、横山三国志が評価が高いのは漫画だと地の文での説明というのが入れやすいからかもしれませんね。
逆に最新のワンパンマンの戦闘などを見ると個人レベルでの激しい動きの戦闘はアニメのほうがわかりやすいようには思います。
ロボットもの小説が評価されづらいのも動きなどを細かくしかもわかりやすく小説で表すのが難しいからなのでしょうね。
またアインズが召喚した山羊は馬に乗って逃げてもじりじり追いつかれるくらいの速度で時間稼ぎに迎撃させようとした者たちが声でやられているのがわかるのも怖さに拍車をかけていたんですけどそれもうまく表現されていなかったように思います。
このあたりはクトゥルフ神話は文字だと怖いけど映像化したり更にはTRPGのように数値化されてしまうととたんに怖くなくなってしまうというように想像するがゆえに恐怖という物は基本的に想像が入り込まないとその描写がかなり難しくなるのでしょうね。
このあたり日本人はシヴァを大黒さまにしてしまったり、ダキニをお稲荷様にしてしまったり、ニャルラホテップを女体化させたニャル子さんにしたり、ISクソコラグランプリでISの恐怖をぶち壊してきたり、日本鬼子をやっぱり萌キャラ女性にしてきたりと本来怖いものを怖くなくすことが大得意だったりするのもあるのでしょうけど。




