第六章「対決」(二)
一九四四年八月十四日夕方 沖の鳥島沖
外界から遮断されたそこは、常に冷静さを求められていた。
二重壁の構造でつくられたため音が遮断され、ここが海の上だと理解するには波の揺れ以外ほとんど無かった。
だが小さな盤上の状況は、冷静さを保てという方が難しい状況を示していた。
場所はもちろん第一機動艦隊旗艦瑞穂の司令室だ。
上座で寡黙を保っていた小沢が口火を切った。
「現状を報告してくれ」
はい。代表して司令部参謀の一人が、手にしていた黒い表紙のありきたりな装丁の報告書を開いた。
ペラリ。乾いた音がやけに響く。
「報告します。現在、第一機動艦隊の稼働空母は、十一隻。稼働機総数は現状で三二四機。翌日までには四一機がさらに増えます」
「沈んだ艦は」参謀長が、手元の駒を親指と人差し指でいじりつつ重い口を開いた。
「はい、空襲により赤城、飛鷹、祥鳳、龍驤が撃沈もしくは自沈処分。雲龍も午後四時一二分の敵潜水艦の雷撃により、同四九分総員退艦の後自沈処分」
損害は。参謀長が続けた。
「はい。大鳳小破、翔鶴中破、瑞鳳中破、天城大破、千歳大破。ただし、大鳳は爆弾を受けましたが戦闘航行異常ありません。また、筑摩、最上、秋月、夏雲、綾波が被弾。どれも中破もしくは大破しています」
報告終了と共に、重いため息がほとんどの者から漏れた。
戦闘開始当初、攻撃機が飛び立った段階で勝負が決したと考えたほど眼前の光景が見事だっただけに、自軍の損害が大きくのしかかった。
しかも日本海軍がこれほどの損害を受けるのは初めてだ。
損害に対する今後の戦闘よりも、後に発生するであろう責任問題を憂慮する向きの方が強かったかもしれない。
現に勝ち負けよりも、今後の出世の事を考えた者も一人や二人ではなかった。
「敵に与えた損害の判定はどうかね」
小沢が小揺るぎもしない声で議事を進行させる。
はい。と応じた参謀が朗読を再開した。
「敵大型空母レキシントン級一、ヨークタウン級二、エセックス級二隻撃沈確実。うち二隻は沈む様子が偵察機から報告されています。また、レキシントン級とエセックス級の一隻は全艦燃え盛っており、油脂弾薬の大規模な誘爆が発生したものと判定しています。また、戦艦コロラド級一、ニューメキシコ級一も撃沈確実。うちニューメキシコ級は本土からの一式陸攻の雷撃による戦果です」
敵稼働空母は? 参謀長が先を急がせた。この参謀は話を長くさせると解説したがる傾向があった。
「はい。エセックス級一隻が健在と判定されています。ほか、ヨークタウン級一隻とエセックス級二隻が黒煙を吹き上げていますが健在です。サラトガ級一隻は現在消息不明。脱落した可能性があります。また、戦艦のうち……」
「稼働機数は最大でも約百機か」
参謀長が口を開いたので、説明を続けようとしていた参謀も口をつぐんだ。
そう、彼らにとって戦艦撃破は余芸でしかない。
それに、空母部隊襲撃とは打って変わって、旧式戦艦群に襲いかかった部隊は大戦果ばかり報告している。
話半分でも八隻の大集団を形成していた戦艦部隊は、戦力価値を失っていると判断されていた。
「実際は、五十ほどだろうか」
小沢が再び口を開いた。参謀長の合図で航空参謀が頷いた。
「はい。第五次攻撃隊の頃には、敵防空隊は四十機程度でした。いっぽう、最後に第二機動群を襲った攻撃隊も五十機程度です。もともと母艦にあった機体を稼働状態に持ち込んでも、現状では七十機を上回らないかと」
航空参謀の答えに小沢が頷いた。
「だが、敵は戦力を完全には失っていない事も明らかだな。参謀長、ここは一端距離を引き離してこちらの陣形の再編と機体の修理を優先したいと思うが、どうかね」
「はい。しかし敵には損傷艦も多く、定石ではフィリピンへ後退する可能性が大です。進路を西に向けなくてもよろしいのですか。うまくすれば敵残存艦隊を一網打尽できますが」
「それも魅力的だが、私にはアメリカが上海への道のりを断念したとは思えない。それに新鋭戦艦群は撃ち漏らしている」
「そうでした。少数の部隊が攻撃を仕掛けましたが、対空砲火が強く、有効な打撃はいっさい与えられておりませんでした」
そうだ。小沢は頷くと結論に入った。
「とにかく我々は、どのような行動にも対処出来るように態勢を整える。後は、武蔵の司令部の決定を待とうじゃないか」
「と、小沢部隊は報告してきている」
古賀長官が、電文を片手に全員を見回した。
ここは武蔵右舷の長官公室内だ。
十数名のスタッフがそれぞれ作りの良い椅子に礼儀正しく着席している。
この場だけを見ていると、大規模な戦闘を行っている最前線の司令部とは思えないほどだ。
室内には、戦果に対する高揚感と、損害の大きさに対する重い空気があったが、今まで戦闘に一切関わっていない第一艦隊に座乗する司令部は戦闘とは無縁だった。
しかし金城は、司令部はこれが正しいと思っている。
戦場の空気などヘタに吸わない方が冷静でいられるし、客観的になれなければ司令部の価値など半減してしまう。
一人の男が最前線に立って右手を振り下ろす時代は、すでに過去のものなのだ。
瑞穂に司令部を置く第一機動艦隊の冷静な報告こそがなにより証拠だ。
思い直した金城は挙手して発言を求めた。古賀もうなづく。
「古賀長官、高速戦艦群を全力を挙げて追うべきです。それで我々は完全に勝利できます」
「ふむ。損傷艦を抱えた他の艦隊は無視するのかね」
「今回は全面戦争ではありません。戦闘力を失った部隊は追撃から除外してよろしいかと」
金城が政治の事にまで触れた発言をしたので、誰かが咳払いをした。良くも悪くも海軍らしいと思う金城だが、かまわず続けた。
「全面戦争なら、高速戦艦以外のすべてを沈め、後の戦局を有利にするのも一考の価値があります。しかし今回に限り、必要以上に叩くとアメリカ国民の戦意に逆に火を付ける事になりかねません」
「なるほど。それは、在米武官時代の経験が言わせるのかね」
「はい長官」金城は古賀の瞳を見つつ眼力を強めた。
それから数瞬古賀と金城が見つめ合う状況が続くが、古賀の方が折れた。
古賀は金城に小さくうなづくと、全員に向けて命令を発しようとした。
が、その時、新たな通信文を携えた伝令が駆け込んできた。
通信参謀がひったくるように電文を取ると、喜色を浮かべて古賀にメモを渡す。
そこにはこう書かれていた。
『敵全艦隊変進。進路○○。フィリピン方面を目指す進路也。尚、夕刻と敵艦載機の妨害激しく、航空機による追跡を一時断念。潜水艦に追跡を引き継ぐもの也。』
「もちろん今回の進路変更はフェイクです」
聯合艦隊主力が新たな変化の通信文を受ける二時間ほど前、太平洋艦隊司令部の置かれている戦艦アイオワでは、今後の行動方針が検討されていた。
会議の気分は、空母部隊の実質的壊滅と制空権の喪失により勝機は失われたという雰囲気が濃厚だった。
しかし、いまだ司令部からは作戦中止の命令が届かない以上、進撃するより他なかった。
そこでニミッツは、活発な意見を求めて若いアンダーソンに意見させた。
アンダーソンは続ける。
「ではこれまでの概容をまとめて、結論に入りたいと思います。
まずは日本側に、我が方の全艦隊がフィリピンに逃げる様を見せつけます。次に敵偵察機を、撤退のためと思わせつつ残余の艦載機を用いて徹底的に撃墜します。その後、第一任務部隊のみ艦隊を離れて急速転進、沖縄本島の鼻面を抜けて一気に上海を目指します。
この場合第一任務部隊にとって、日本艦載機および基地機のみが脅威となります。しかし、すでに沖縄本島の部隊は叩きました。聯合艦隊主力も我々の後方なので、戦艦部隊では追撃しきれません。
それに、一般船舶も多い東シナ海なら、誤爆を恐れる日本軍も攻撃には躊躇する筈です。彼らは我が国との全面戦争は望んでいませんし、オリンピック直前で政治的マイナスは酷く嫌っています。
戦場でなくなる場所に出た時点で、彼らは我々を攻撃できません。そして我々は堂々と上海に入港し、勝利を飾ることは出来るでしょう。逆転のタッチダウンを決めるのは、我々なのです」
アンダーソンは、最後に列席者を見回すと着席した。
周囲の空気は、おそらくアンダーソンの発言した内容もしくはそれに近い方針しか、作戦続行に対する光明はないという感じだった。
それに青臭いセリフであっても、勝利や逆転という言葉は、敗北で沈んでいたスタッフに良好な雰囲気を与えている。
戦場では負けたかもしれないが、戦闘そのものに勝利すれば良いのだと。
しかし、意見を異にする者もいる。戦艦マフィアたちだ。代表した参謀の一人が発言した。
「作戦参謀、残余の艦載機を防空に集中させ、主力艦隊同士の戦闘で有利に持ち込めないでしょうか」
「小官も同じ事は考えました。日本側の発表が正確であるなら、彼らの有する新鋭戦艦はアイオワ級と同格の戦艦が三隻だけです。砲撃戦なら勝利できる可能性は十分にあるでしょう」
ならば、と言いかけた参謀に手で制する。
「しかし、日本艦隊の残存空母は少なく見積もっても八隻以上、艦載機にして三〇〇機はくだらないでしょう。砲撃戦の前に不利な状況に追い込まれる可能性の方が高い。
それに、砲撃戦のためさらに待ちかまえて時間を浪費すると、各地から日本の基地航空隊が集結する可能性も十分にあります。ここが日本にとって、我々のカリブ海よりも重要な勢力圏下である事を留意していただきたい。時間は我々の敵なのです」
アンダーソンが丁寧な口調で続ける。
階級と役職はアンダーソンが上なのだが、彼の年齢が下なうえに性格が影響して丁寧語同士の会話という、軍隊らしくない会話になっている。
もっとも、以前からの事なので気にするスタッフはいない。
気にしていたのは、つい最近までボーイ呼ばわりして軟弱者扱いしていたハルゼー提督ぐらいだ。
そのハルゼーも、軍人なら今少し階級と役職を重視した態度をすべきだとの代表者として意見していたに過ぎない。
ハルゼー自身、エリートコースに乗っていれば、ニミッツより先に太平洋艦隊司令長官になっている年齢なのだ。
もっとも、今ハルゼーは最後の母艦を率いて奮闘中なのでこの場にいない。
いるのは、太平洋艦隊司令部のスタッフのみだ。
そのスタッフを代表して、ニミッツが結論を導こうとした。
「本来なら議論と情報の洗い直しをしたいところだが、今はなにより時間がない。私としては、アンダーソン作戦参謀の意見を素案としたいと思う。他に意見は」
反論はなかった。それにアクティブな行動を否定する軍人は少ないものだ。
ニミッツが締めくくった。
「では、スプルアンス君。君を中心にして作戦案を三〇分以内にまとめ、一時間後に行動を開始する。なお、艦載機掃討についてのみ、ただちに実行開始する、以上だ。諸君、作戦参謀の言葉を借りるが、逆転のタッチダウンを決めようじゃないか」
「で、内地は早くもお祭り騒ぎか?」
「内地というより、首相官邸と赤レンガと永田町が、ですね。これほど陽気な通信文を見るのは赤色戦争以来です。もっとも実際は、日本時間の翌朝九時に世界とアメリカに対する声明発表に合わせて、今まで報道管制していた国内にも報道を行い、翌日には実際花列車や提灯行列をするつもりのようですが」
「提灯行列だあ?」
「はい。まあ、戦果報告が敵戦艦三隻、大型空母七隻撃沈確実。敵戦艦三隻、大型空母二隻撃破。我が方の損害母艦五隻。ですからね」
「うちの損害が少ないな」
「損失も損害も違いないという、国民への配慮でしょうね。損傷艦なら修理すれば構いませんから」
「国民への配慮ねえ」
「まあ金城さん、お言葉は控えて。それに、これだけの勝利はインド洋以来です。海軍上層部や政府が喜ぶのも当然でしょう」
「勝利か。暢気なことで」
馬の合う通信参謀とやり取りをしていた金城は、タバコをくゆらせつつ嘆息した。
(まだ、勝ちと決まったわけでもないのに)
しかめっ面をしつつ、たばこをうまそうにふかすもので、通信参謀は面白げに金城を見ている。
通信参謀の顔に気付いた金城はニヤリとして応じた。
普段の自分が戻っているということは、金城自身のどこかにも、勝ちが見えたという感覚が存在するのだ。
(確かに、最悪の事態に備えて手は打ったが……)
金城の内心をしらない通信参謀が、金城の言葉と独特の笑みに答えを返した。
「先任参謀殿は、まだ勝利を確信されていない、と」
「まあな。向こうが白旗振ったわけじゃないしな」
「ハハハ、日本海海戦じゃあるまいに、白旗が見えるところまで行くのが大変そうだ。こっちもあっちも」
「確かに違いないな。まあ、俺としてもこれで終わってくれればと思うよ。もう充分どちらも血は流しただろう」
「ほらまた。そんな事、陸で言ってはいけませんよ。ただでさえ金城さんは、陸助から協調派と思われてるのに」
「俺は、ただの歯に衣着せぬ中道左派さ。今の役職こそ望外の幸運だろうよ。軍令、軍政治どっち付かずがいい例さ」
「かもしれませんが、今回の布陣には感服しました。私の権限や影響力では、ここまで強力な布陣はしけなかった。本当に感謝しています」
「言葉だけもらっておくよ。けど、何事でも情報が一番て事ぐらい、前線と海外を見てくれば誰でも分かりそうなもんだけどな」
「誰でも分かれば、みんなが先任参謀になれますよ。じゃ、自分はこれで」
通信参謀は、金城への好意の源泉を再度口にすると、自分の任務に戻っていった。
金城も、武蔵艦橋後部下に特設された司令部用の大型通信室側の控えにいても仕方ないので、そのまま地上から一〇メートル近くある渡り廊下に出た。
艦隊は速力一八ノットで進撃しており、自然風もあってかなりの風速だ。
(さてさて、明日は綺麗な朝日が拝めるのかね)
真っ暗な中、足を踏み外さないよう歩きつつ、内心の一部では違うことが占めていた。
金城のペンフレンドの作戦参謀なら、もっと積極的ではないだろうかと。
何しろ、ヒトラー総統の映画上映中大あくびした馬鹿者に、正面から突撃してくるような男なのだ。




