第五章「連戦」(三)-1
一九四四年八月十三日 奄美大島沖海上
海と空の境界線が淡い蒼で染まろうとしている時、海上に浮かぶ人工物のそこかしこでは生物が出すことが不可能なほどの爆音が轟いていた。
人工物とは排水量二万トンを越える巨大空母であり、爆音の主は鋼とジュラルミンの心臓と翼を持つ金属製の猛禽たちだった。
アメリカ海軍が日本近海に持ち込む事に成功した十隻もの航空母艦すべての飛行甲板上では同じような光景が展開され、今まさに飛行甲板からギリギリの距離を使って一番機が飛び立とうとしていた。
飛行甲板には約三十機の機体が所狭しと並べられており、さらに格納庫では次の順番を待つほぼ同数の機体が待機していた。
つまり、母艦一隻あたり六十機以上、艦隊全体では六〇〇機もの攻撃隊が飛び立つ計画になっていた。
これは合衆国海軍始まって以来の大編隊であり、空母機動部隊が今年に入って改変されたばかりなので、演習でも二度しか行われたことのない規模だった。
しかし母艦上で様々なカラーリングのアクセント見せる整備員や作業員、すでにコックピットに収まっているパイロットも自信満々だった。
虚勢も入っている者や緊張している者も多数いただろうが、合衆国海軍始まって以来の快挙に皆奮い立っていた。
そして彼らを見下ろしているのが、ハルゼーから空母の統括を任されたマーク・ミッチャー中将。
別の空母群には、フランク・J・フレッチャー中将が同様の任務に就いており、それぞれ五隻の母艦を預かっている。
そしてミッチャーの方は、最新鋭のエセックス級五隻を任されており、大兵力の運用と新鋭艦特有の面倒一切も、彼の手腕によって切り盛りされていた。
ハルゼーもフレッチャーよりは、空母の運用に精通したミッチャーに多くを任せており、先任権もミッチャーにあった。
なお、二人のコードネームは、マザーグースに従い、ミッチャーが「ミソサザイ(pall)」、フレッチャーが「鶫(Thrush・つぐみ)」だった。
そしてミソサザイことミッチャーが、飛行甲板からのOKサインを受け取ると、親指を立てた。
ゴーサインだ。
甲板上の航空機の爆音は一段と高まり、それまで機体に取りついていた整備員達は、キャノピーを閉め、チョークを外すとキャット・ウォークや艦橋下の退避場所へと急ぎ引き上げた。
そして転がり込むようにキャット・ウォークに入ると、今度は身体全体で腕や帽子を振り回したり、歓声を浴びせかけ始める。
ゴーサインというよりは、ショータイムと言った方が適切かもしれないと思わせる光景だ。
そして一番機が、ミッチャーが設備の優秀さから旗艦に定めていたタイコンデロガから最初は滑るように、そして一気に加速して天空へと駆け上がる。
しかし最初に飛び立ったのは、硫黄島空襲で先陣を務めたF4Fではなかった。
機体はF4Fよりずっと洗練されてどう猛な雰囲気を発散しており、機種も太く豪快な音と考え合わせると、大馬力エンジンが据えられている。
しかも機首で回転するプロペラは異様に大きく、この機体が非常に高速を発揮できると素人目にも理解させる力強さを持っていた。
そして極めつけは、大きく主翼が折れ曲がっている点だ。
この翼は、カモメの飛ぶ様と逆に見える事から逆ガル翼と呼ばれるものだが、世界中探しても本機ほど角度の大きい主翼を備えた機体は存在しなかった。
しかも主翼の付け根側にはそれぞれ3箇所機関銃とおぼしき装備が見られ、攻撃力が破格であることも伺わせた。
機体はボート社の開発したF4U。愛称はコルセア。
速度性能を追求して開発された事もあって、最高速度は初期型で時速六五〇キロ/時をマークし、一九四二年の量産開始時点では世界最高性能の艦載戦闘機だった。
四四年時点でもイギリスやドイツの主力空軍機にすら引けは取っていないほどだ。
しかし、離着陸性能が低く艦載機としては失格の烙印を押され、日本との対立が再燃するまでは、初期生産された少数の機体が海兵隊で運用されるに止まっていた。
それが日本との対立激化で日の目を見る。
コルセアはもともとF4Fの後継機として開発された機体であり、軍縮の影響もあって海軍はコルセア以外にすぐに使えそうな機体を持っていなかったからだ。
そして四三年秋から実質的な量産開始と訓練の強化、機体の改善が同時進行で行われ、今回の作戦では搭載してきた戦闘機のうちおよそ四分の一がコルセアで占められていた。
数にすると一二〇機で、司令部が高速性能を買って敵偵察機の迎撃に多用したため硫黄島の攻撃には参加できなかったが、すでにその禁も解かれていた。
「ミッチャー提督、コルセアを出してもよろしいのですか」
「ああ、ハルゼー提督が司令部から使用自由の許可をもらっている。四年前に量産開始されたゼロであれだけの威力だ。連中の新型機を相手にするには、F4Fだけでは荷が重かろう」
吹きさらしの場所でポツポツと話すミッチャーを見ていると、夜明け前に今日の天気を占っている農家の爺さんのように見えてくる。
問いかけた参謀は、しゃべり口調が何でもない事を話すような口振りなので、よけいにそう思えてしまった。
そしてミッチャーのそうした落ち着きと振る舞いこそが、今司令部に求められているものだとも理解できた。
作戦はこれからが本番。繊細さと大胆さの双方が必要なのだ。
参謀の内心など気にしないかのように、ミッチャーは続けた。
「赤色戦争で日本軍は、海軍はゼロを使い続けていたそうだが、陸軍は色々と投入している。観戦武官からも頭でっかちの迎撃戦闘機や、スピットファイアやメッサーシュミットのような液冷戦闘機を使用していたと報告がきている。日本本土なら陸軍機もいるので、それら新型機も配備されているだろう。未確認だが、次期主力戦闘機もロールアウトが近いとも聞く」
「敵ながら羨ましくなりますね。毎年のように新型機が送り出せるとは」
「それが、我が方より優秀とあっては尚更だ。しかし、敵が優秀だからこそこちらもエースを出し惜しみしているワケにはいかない。数は少ないが、こちらはエースで、向こうは精々ジャックやキングだ。他の手札とうまく組み合わせれば十分に勝利を勝ち取れるだろう」
「提督、失礼ですが、その物言いはフレッチャー提督にこそ相応しいのでは」
参謀が少し可笑しげに口にしたので、ミッチャーもひょうきんに肩をすくめて応じた。
「おや、気付かれたか。けどジャップ相手なら、儂でも十分カードの相手はつとまるだろうさ」
ミッチャーの言葉通り、硫黄島空襲から丸一日後の八月十三日黎明、奄美大島沖海上に達した米第三任務群は、夜明け前を期して全力攻撃を開始した。
空母任務群は二箇所に分散しており、ミッチャーの率いる新鋭空母群が南九州寄り、フレッチャーの率いる別の任務群は沖縄本島寄りにあって、それぞれ約三〇〇機の攻撃隊を送り出した。
一〇隻の空母から飛び立ったのは主に四機種。
グラマンF4Fワイルドキャット戦闘機、ボートF4Uコルセア戦闘機、ダグラスSBDドーントレス急降下爆撃機、グラマンTBFアヴェンジャー攻撃機になる。
それぞれ約三〇〇機の攻撃隊は、二波に分かれており、それぞれ約一五〇機で構成され、戦闘機六四機、爆撃機六四機、爆撃機三二機で編成されていた。
アメリカの空母は、偵察機としての急降下爆撃機と防空のための戦闘機を重視している事から来る編成だった。
そしてさらに、南九州の日本陸軍基地を襲う部隊にコルセア戦闘機隊が多く割り当てられていた。
いっぽう、またも攻撃を受ける側となった日本軍は、沖縄と南九州に陸海それぞれ二箇所の大規模基地を持っており、これがアメリカ軍の攻撃目標だった。
南九州の知覧、都城が陸軍基地で、南九州の鹿屋と沖縄本島の嘉手納に海軍航空隊が展開していた。
これらの基地では、陸軍の知覧には三式戦闘機「飛燕」、一式戦闘機「隼」、爆撃機の「呑龍」が配備され、実験的な装備が多く割り当てられている都城には、「隼」以外に最新鋭の四式戦闘機「疾風」と、こちらは増加試作段階の「飛龍」重爆撃機が駐留していた。
いっぽう海軍の鹿屋、嘉手納双方には、日本本土各地で予備兵力として拘置されていた零戦と一式陸攻が急ぎ展開している。
数はそれぞれ一〇〇から五〇機程度と比較的多く、戦闘機の数はさらに半数とこの時の米艦載機に対して数において劣勢だった。
そして南九州や沖縄でも、硫黄島と似た事態が発生していた。
「こちらVF7所属、レッドリーダー。敵編隊を確認。すごい上昇力だ。高度はこっちと同じ四〇〇〇。まだ上昇している。数は……およそ三〇。下の高度にも、ほぼ同じ数が上昇しつつある。どうぞ」
「こちらミソサザイ・コントロール。機種は分かるか」
「機種は、高々度の方が「トニー」、下のヤツは「ジーク」か「オスカー」と思われる。どうぞ」
「ミソサザイ・コントロール、了解。予測通り君たちの方が当たりくじだ。鶫の方には、ジークしか上がってきていない」
「オーケー、クソ食らえだ。だが、俺達がデリバリーしに来て正解だ。では、これより戦闘に入る」
進撃中の戦闘機隊隊長は母艦との連絡を切ると、今度は編隊に無線を切り替えた。
「いいか、お前達。レッド1はこのまま上昇をかけてメッサーもどきを叩く。レッド2は下のゼロいや、恐らくオスカーに逆さ落としをかけろ。オレンジ編隊は現状維持。俺達とのダンスを嫌がったヤツの相手をしてやれ。それと編隊空戦を決して崩すな、普段通りやれば十分に勝てる。以上だ」
通信を終えると、それぞれの符丁と共に了解の言葉が立て続けに舞い込む。だが、少佐の階級章を付けた戦闘機隊長にも、すべてにジョーク混じりで答える余裕は無くなっていた。
遠距離なので、空母からの無線指示もアテにはできず、単発機ばかりなので現地での指揮統制も無理。となれば、後は自らの才覚と運を頼りに戦うしかない。
F4Uコルセアを操るジョン・サッチ少佐は、スロットルを一杯に入れると同時に小さく呟いた。
「イッツ・ショータイム」
いっぽう夜明けに偵察機を送り出したばかりの知覧基地では、硫黄島と同じような混乱にみまわれつつも、何とか戦闘機だけは上空に上げることができた。
日本各地に据えられつつある電探によって米編隊接近を二十分ほど前に知ることができたからだ。
それでも硫黄島より対応が遅れているのは、平時の感覚が抜けきっていないからで、それはパイロット達の気持ちや言葉にも表れていた。
「まったく、海軍は何してるんだ。敵襲来の可能性は最低でも半日後じゃなかったのか」
「おい、無駄口を叩くな。アメ公の方が上手だっただけだ。それより気を付けろ、あの逆ガルは新型だ」
「足の速さが格段に違いますね。しかし、この二型改の敵じゃないでしょう。何たって日本最速ですよ」
「そうだな」雑音越しの部下の景気の良い一言を聞きながらも、三式戦闘機・飛燕を率いる有滝大尉は油断無く敵の観察を続けた。
三式戦の相手は襲来したコルセアの半数で、共に加速性が最大の売りで互いに好敵手と言えた。
有滝大尉の見たところ、コルセアの外観は怒り肩のアメリカの巨漢が戦闘機になったように思えた。
(太い機首が示すように加速性は抜群。だが三式戦とは違って、運動性はそれほど高くなさそうだな)
そう見切りを付けると、互いに一通過した後は格闘戦に持ち込むように指示を下した。
三式戦は、あらゆる状況で勝利できるように生み出された戦闘機であり、高速性ばかりでなく日本機らしく格闘戦も得意だったからだ。
赤色戦争の後半に登場したが、すでに完全に退勢となっていたソ連空軍を寄せ付けず、爆撃機などからも大いに感謝されたものだ。
しかも、爆撃機迎撃にも最も有効な機体でもあり、まさに万能戦闘機と呼びうる機体だった。
登場の頃から危惧されていた液冷エンジンの扱いの難しさも、第二次世界大戦勝利後にドイツから大量購入された工作機械でエンジンを製造し、その他部品の精度を引き上げ、整備も徹底させると機体の稼働率も満足しうるレベルに達していた。
しかもエンジンの換装と簡単な改良で性能が大幅に向上する可能性も持っており、既に二型と呼ばれる新型の量産開始にまでこぎ着けていた。
有滝大尉の乗る機体もその一部だ。
対するサッチ少佐は、二手に分かれて近づいてくる敵機の一部に違和感を感じた。
先頭を進む数機だけがキャノピーが涙滴型だったからだ。
しかし指示を下す事はもちろん考える間すらなかった。
互いに時速六百キロ以上で交差したからだ。
相対速度がマッハを越えていては、偶然か神業でもない限り結果が出ることはなく、互いに運が悪かった一機が煙を吐いただけだった。
その後、日本軍機は三機編隊で小さなループを描きつつコルセアの後ろに回り込もうとし、速度も早い相手にコルセアはそれに乗せられてしまう。
旋回半径や運動性能は、日本軍機の方が断然勝っていた。
得意になった飛燕パイロットの幾人かが、付け入るように目の前にのめり込んでいった。
しかし巴戦はアメリカ側の誘いでもあった。
サッチ少佐の考案した編隊空戦に乗せられた日本軍機は、右へ左へと逃げまどう囮役のコルセアを追いかけている間に、後ろに回り込んだ機体から一撃を受けたのだ。
「ビンゴ」
狩人役だったサッチ少佐の機体が射ち出した六線のコルトブローニングM2機関銃が敵機を捉えた。
敵機は呆気ないほど簡単にバランスを崩す。
(新型でも、オスカー同様に脆さは変わっていないか)
一連射後機体を左旋回させて、さらに安全を確認した少佐は落ちる機体に一瞥をくれた。
と、そこに急降下しているコルセアとそれを追いかける日本軍機が視界に飛び込んできた。
そして驚くべきことに、コルセアが降下速度で日本軍機に負けていた。
急ぎ僚機と連携して救援に赴くまでに、追いつかれたコルセアは太く線のように降り注ぐ火線に晒されるとそのまま片翼をもがれ、翼の溶けたイカロスよろしく日本の大地へ接吻する。
しかも少佐の衝撃は続いた。
友軍のコルセアを落とした機体は、射撃後にそのまま急上昇に転じた。
それも今まで見たこともない急激さだった。
失った高度を見る見る回復し、そのままサッチ少佐の二機編隊をあざ笑うかのように混戦の中に消えていった。
機体のキャノピーが涙滴型だった。
(スゴイ威力だ。百式司令偵を落としたという敵の新型を圧倒している。さすが二型改だ)
有滝大尉は、周囲を油断なくうかがいつつも敵機撃墜の高揚感に包まれていた。
彼の操る三式戦闘機二型は「改」の文字が使われているように、他とは違う実験機だった。
従来の二型は、エンジンをドイツ製の工作機械を据え付けた新型工場で量産されたハ一四〇(一五〇〇馬力)に換装し、合わせて機体を強化改修したものだ。
量産が始まったばかりで、今回も大隊のうち一個中隊が装備するに止まっている。そしてその一個中隊のうち三機がさらに改良を加えられた二型改だった。
二型改は、ドイツから直輸入されたばかりのDB六〇五エンジンを搭載し、二型同様にドイツ製マウザー二〇ミリ機関砲を装備したものだ。
おかげで、機体以外のすべてがドイツ製だと言われたが、性能の高さは折り紙付きだった。
三式戦闘機特有の降下速度の高さと高空性能の良好さはもちろん引き継がれており、特徴の一つである最高速度も二型の六三〇キロから六八〇キロに上昇していた。しかも、さらなる改良による性能向上も可能と判断されて改良が続けられている。
なお、二型改は機数の少なさが表すように試作機だった。正式名称でもない。
だが、海軍に対する面子から、急ぎ川崎の岐阜工場から送り込まれ実戦参加となったものだ。
そして陸軍が面子を賭けて送り込んだ三式戦闘機隊は、空戦面では十分にその面目を施したと言えるが、結果は先に壊滅した硫黄島と変わりなかった。
日本側がほぼ正確に一五〇機と判定した敵が引き上げたとき、知覧飛行場は滑走路のすべてが大型爆弾で粉砕され、重爆が駐機されるエリアも黒煙を高く吹き上げていた。
指揮所や燃料タンクなどの損害も酷く、黒煙で視界不良になるほどだった。
機体の損害も、飛燕隊は着陸時の全損をのぞけば一桁だったのだが、隼隊は最初にコルセア一個中隊から逆さ落としを受けると大混乱に陥って基地の防空にも失敗し、大損害を受けていた。
そして知覧基地の状況は、襲われた四つの基地の中でも一番軽微な損害だった。
四式戦闘機疾風がいたはずの都城基地は、知覧とほぼ同規模の空襲によって完全に壊滅していた。
まだ試作機に近い疾風は、速度性能と格闘戦性能の差はあったが互角の戦いを演じたのだが、如何せん数が一個中隊九機しかいなかったため衆寡敵さずという結果に終わったからだ。
海軍の二つの基地も同規模の部隊に襲われたのだが、こちらも硫黄島同様数の差で押しつぶされていた。
隼や零戦は、確かに格闘戦では無敵かもしれなかったが、相手が違うルールで作り上げられたような機体とあっては、技量の差だけではどうにもならなかった。
そして各基地は最低でも二四時間基地機能が停止し、戦力価値を失った。




