66:分かって聞かせたとでもいうのだろうか
「このたわけものがぁあッ!?」
「ウヴォオァアーッ!?」
目の前で転がるウィバーンに、怒鳴り声と蹴りを浴びせているのは私、ではなくネガティオンだ。
今回もまたボディがスリープ状態に入ったことで、鋼魔王の視点でマグマ輝く彼らの拠点の様子を見せられているのだ。
「手駒として確保していた水竜を人間側に奪われるとは、まったく小賢しいだけのたわけものめがッ!!」
「お、お許しくださいネガティオン様! し、しかし、此度の失態は、オレだけのミスでは……グランガルトたちがライブリンガーに手を貸したりしなければ……奪われるまでは……ッ!?」
ボールのように蹴り転がされるウィバーンはその爪先を別方向にも向けようと、自分だけの失態ではないと海洋封鎖チームの責も挙げる。
これにネガティオンの視界が巡り、グランガルトと、ラケルが入っているらしい巨大メタルタコツボが正面に。
弁明はあるのかと目で問う魔王に、ラケルはピコピコとツボから覗かせたマシンテンタクルを揺らす。
「私たちは、暴走した水竜に襲われたから抵抗しただけですわよ。それでたまたまライブリンガー一行と連携しちゃったみたいな形になってしまったけども。それに言わせてもらえるなら、私たちはこっちまで襲うような暴走状態になるなんて聞かされてなかったんですけれど? そうよね、グランガルト様?」
「そーそー。渦にまかれてぐるぐるーってなっちゃったからなー」
「やはりお前の失態ではないかッ!?」
「お、お許しくださいぃいッ!?」
巻き込まれた被害者である水軍の証言を受けて、ネガティオンはさらにもう一つ飛竜参謀を蹴り飛ばす。
そして岩壁にめり込んだウィバーンから視線を外すと、どっかと投げ出すように石の玉座に腰を落とす。
「それはそれとして、貴様らは貴様らで、暴走に巻き込まれぬように抵抗して、そのまま逃げ帰って来たということか?」
続けてジトリと視線を向けた先には、水軍の将と副官が。
この圧に、二人は揃ってフルメタルボディを軋ませて固まってしまう。
「正直に申し上げますと……私たちは見逃してもらった、というのが正確です。海中は私たちのフィールドですが、そこは完全復活した水竜も同じ。守りを固めたアレのカウンターと空からのグリフィーヌの攻撃とで封殺されて、人間どもの航路への攻撃をやめることを約束させられて……」
ラケルが恐れながらと語った事情に、ネガティオンからはため息が。
「なんだお前らッ!? 人間を攻めないなんて約束して見逃してもらっただと!? それでおめおめ逃げ帰るとは、同胞とはとても思えない情けなさで……」
攻め口を見つけたウィバーンの罵声はしかし、ネガティオンの腕が変じたカノン。その咆哮に遮られる。
「お前は少し黙っていろ、たわけが」
顔の真横の岩壁を吹き飛ばした威嚇射撃。これにウィバーンは開いていた口を慌ててバクンと固く閉ざす。
だが恐れにチカチカとしたその目には、どこか刺し返すような屈辱の光がある。
反抗心を滲ませたそれを、ネガティオンは何を思ってかスルー。改めて水軍たちに目を向ける。
「あのたわけの言うことはともかくとして、まさか本気で我の命じた人間種族殲滅に逆らうつもりではあるまいな?」
「いえそんなまさか!? 約束したのは勇者ライブリンガーご一行との間だけでのこと。人間軍全体と結んだ約束ではありませんので!」
もし私たちが倒れたのならば、ヤゴーナ連合の通称航路への攻撃を遠慮なく再開するつもりだと、そのつもりでの約束事でしかないと言うことか。
しかし、だからといってラケルたちを不義理だと責められるものではないか。
支配者に確認を取らず、現場の判断だけで了承した撤退を認める条件だ。
ここで約束した相手がいる限りは守るつもりだと、ネガティオン相手に言ってみてくれただけでも、グランガルトとラケルの精一杯の誠意だろう。
「……約定を結んだのはライブリンガー一行のみ……か」
ズシリとしたこの低い呟きに、対象であるグランガルトとラケルばかりか、この場にいる鋼魔全員が押さえつけられたように縮こまる。
ちなみにウィバーンもまた、めり込んだ岩壁から剥がれて、真下で輝くマグマへ落ちていく。
しかし飛竜のマグマダイブは、すんでのところで割り込んだ槍がブロック。
棒に引っ掛かったお陰で、尻尾の先が触れるだけですんだ。
「グワァーッ!?」
その熱ダメージでウィバーンは大きく飛び上がって、無事であることをこの場の同胞たちにこれでもかと言うほどに知らしめる。
そのまま飛竜は放物線を描いて玉座の前、ネガティオンの足元に落ちる。
「よくも無事だったものだな。わざわざ助けてくれた同胞への感謝はないのか?」
「ウ、ググ……た、助かった、ぞ……ディーラバン……」
「……とっさのこと故、完全ではなかったが、無事なようで何よりだ」
ネガティオンに足で小突かれて、痛みと、屈辱に悶えながらも礼を言うウィバーンに対して、黒の近衛騎士ディーラバンの返しは冷やかだ。
これが余計に癪に触るのか、這いつくばるウィバーンはその爪で岩むき出しの地面をえぐる。
それを知ってか知らずか、ディーラバンは玉座を正面に向き直ってひざまづく。
「……さておき、畏れながらネガティオン様。結んでしまった以上、約定は誠実に果たすべきかと、私は愚考いたします」
「ほほう? ライブリンガーを潰すまでは人間どもに容赦せよと言うか?」
「……いいえ。しかし結局のところ、我々の進軍にとって障害と言えるのは未だにライブリンガーたちだけ。グランガルトらは勇者どもの排除完了までそちら向けの戦力として集中させれば良いだけのことかと」
「なるほど道理だ。独断で約定を結んだグランガルトたちには、誠実に目障りなモノども相手の最前線に集中させていればいい。グランガルトたちには、な」
合意したルールの抜け道を突く企みを思いついたとあからさまに匂わせるネガティオンに、しかしディーラバンは何一つ口をはさむことなくひざまづくだけ。
功は功、罪は罪。そんな公明正大であることを是としているらしい黒騎士とは思えない態度だ。
と、腑に落ちない感覚を抱きはしたが、落ち着いて考えれば、彼が忠を捧げるのはあくまでもネガティオンだ。
最初から守るつもりもない約定で騙し討ちをするような姑息さには一言苦言なり出すこともあるのかもしれない。
しかし、主君の命令があれば個人の好き嫌いを、己の信義も心も殺して従えるのだろう。
否、厳密には王に誠心誠意をもって尽くすこと。それこそがディーラバンの第一の信義と言うことなのだろう。
人類種族の殺戮を望む主君に仕えているのでなければ、敬意のままに手を取り合えるかもしれないというのに、残念だ。
「良いだろう。これ以上水軍将と副将の責は問わん。ライブリンガーどもの真正面で力を尽くして暴れるが良い」
「分かったー!」
「承知いたしました」
「……私からもお慈悲に感謝を」
重圧を解いたネガティオンの采配にグランガルトは朗らかに、ラケルとディーラバンは粛々と了解と感謝の意を述べる。
その一方で集まった鋼魔の面々も、和らいだ圧力にあからさまにほっとしたように機体を緩める。
「しかしそうなると、グランガルトたちはオレのところに来るってわけだろ? 見張りとかもオレがやんなきゃいけないの?」
「いやいやまさかまさかだろ。クレタオスみたいな脳筋に、そーんなん務まるわけがないだろー? お前が心配することじゃないよ。むしろお前が心配しなきゃならんのは、手柄がグランガルトらに持ってかれることじゃーないのか? ん?」
「なんだとッ!? オレがそんなマヌケだってのかクァールズッ!?」
「あっれー? フクロウの仕掛けた罠に見事にはまって、俺の工作台無しにしてくれたのってどなた様でしたっけ?」
「オレでしたー! ドジこいてやらかしたのはオレでしたー!」
リラックスするにもほどがある弛緩しきったこの空気。これにはネガティオンも深々と嘆息する。
「やれやれ……だがライブリンガーの奴めが現れてからこっち、散々に煮え湯を飲まされて、手柄へ突進する気概が折れてはおらぬのは良いことか。お前にも、まだそのくらいは期待しても良いのか。なあウィバーンよ?」
そしてじろりと睨むような目を向けられた飛竜参謀は主君の足元でひれ伏す。
「ははあッ! もちろん、もちろんでございます、汚名返上の機会をいただけますのでしたらすぐにでも!」
散々に自身を蹴り転がしていた脚を舐めるようなウィバーン。この勢いにネガティオンは反射的に足を持ち上げて口先から逃がす。
「では聞かせよ。その汚名返上の策とやらを……っと、ちょっと待て」
話せと言われてすぐにブレーキを掛けられたことに、ウィバーンはまるでけつまづいたように伏した体を崩す。
彼がなんのつもりなのかと、恨めし気な光を湛えた目で見てくるのをよそに、ネガティオンは押し黙ってじっと手のひらを見つめる。
「待たせたな。して、その策とは?」
「ハハッ! 奪い返されたのを取り戻す。ならばやはり同等のものを。と言うことで最後の一体、獅子の聖獣像の強奪を提案させていただきます!」
肩透かしを食らっていた参謀が居住まいを改めて語りだす。このタイミングを待っていたのだとばかりに、ネガティオンの視界が閉じ、私は魔王とのリンクを断ち切られるのであった。




