第十五話 いつか帰る場所。(後編)
「玲ちゃん?」
「!!」
「毎年花を置いてくれたのは君だったんだね」
「……っ、お久しぶりです」
「玲ちゃんがこの街を出て半年かな。時が経つのは早いね」
お墓に長居していたわたしは突然、声を掛けられて立ちあがる。
そこにいたのは――奏の父、優さんだった。
わたしを視界に捉えた彼は精悍な顔をそっと緩ませ、微笑みを浮かべる。
「やっぱり塔子さんは僕の天使だ」
「え?」
「玲ちゃんに会いたいと願ったら、塔子さんが会わせてくれた」
わたしは言葉に詰まって胸の奥が熱くなる。
彼は持参した花を同じように墓へ供え、しゃがみ込んで両手を合わせた。
「奏が迷惑を掛けてないか?」
「そんな、迷惑だなんて……」
「あの子は昔から周囲と隔絶されて育ったようなもの。何でもできるゆえ、何にも執着しなかった。君は奏が唯一、興味を持ち続けてる存在だよ。まぁ、夢中になると周りが見えなくなるのは年相応、といったところか」
苦笑いを滲ませた優さんはふと真剣な表情でわたしを見つめた。
これから何を言われるのだろう。お世話になっておきながら挨拶もせず去ったことを恨まれても仕方がない。だけど次に発せられたのは思いがけない言葉だった。
「どうしてこの街を出たのかは聞かない。だけどこれだけは覚えていてほしい。君にはいつでも帰る場所があることを。君が困ったとき、喜んで手を差し伸べる家族がいることを忘れないでくれ」
「……!」
「僕たちは血が繋がらないけれど、苦楽を共にした家族だ。君は奏に外の世界を教えてくれた。雪音の良き相談相手になってくれた。塔子さんも一緒に、みんなで食卓を囲んだ。僕にとって君はほんとうに娘のような存在でかわいいんだ」
「優さん……」
「雪音はあの日から君に辛くあたるようになったけど、意地を張っているだけ。君を好きな気持ちは変わらないと思う。家族みんなで撮った写真はいまも飾ってあるんだよ」
「雪音が、まだあの写真を?」
「ああ」
信じられなかった。リビングに飾られたたくさんの家族写真。その中にはわたしが映っているものも多くある。てっきり雪音が全部片付けてしまったとばかり思っていたのに。
そんなわたしの疑問を見透かすように優さんは瞳を細めた。
「玲ちゃん。ひとはいつひとりになると思う?」
「え?」
「誰もいない場所へ行ったとき? 誰も信じられずに孤立したとき? それとも忘れられてしまったとき?」
「……」
「僕はね、帰る場所を見失ったときだと思う」
「!」
「ひとは誰しもいつか帰る場所がある。それは必ずしも生まれついた土地に限らず、自分の人生を歩く中で見つけた宝物かもしれない。それを見失ってしまっては迷子になったも同然だ。もし君が大切にしたいひとに出逢ったら、けしてその手を離してはいけないよ。どんな結末になったとしても、後悔さえ愛しく思える日が必ず来るから」
――わたしは胸がいっぱいになって、「はい」と返すのが精いっぱいだった。
掠れた声でも十分気持ちは伝わったらしく、優さんはいつもの笑顔を見せてくれた。
いつか帰る場所。もしわたしが誰かの帰る場所になれるとしたら、きっと――。
(題名:お疲れ様です
本文:早く加瀬に会いたいです)
お墓参りの帰り道。わたしは駅に着くまで待ち切れず、歩きながらメールを送った。
ちょうど改札を通ったあたりで着信があり、慌てて通話アイコンを押す。
「もしもし玲菜? いま大丈夫?」
「はい。すみません、突然メールして。撮影中で忙しいですよね?」
「休憩もらったから平気。今日の撮影は夕方に終わる予定だよ。てか気合い入れて終わらせる!」
「え? それってかなり無理しないといけないんじゃ……あの、無理はしないで下さい。加瀬が体調崩したりしたら――」
「つーか俺が会いたい。玲菜が足りない」
ため息まじりに名前を呼ばれれば胸が鳴る。
ドキドキ、ドキドキ音を立てて幸せな気持ちが溢れていく。
同じ名前なのに呼んでくれるひとが違うだけで、こんなにも変わるなんて。
恥ずかしいけれど、わたしは少しだけ素直になることにした。
「わたしも加瀬が足りないです。わがまま言っても、いいですか?」
「そんなんわがままじゃないし。俺としてはどんなささやかな願いも叶えたいと思ってるから、玲菜から『会いたい』とかすげー嬉しい。むしろご褒美だなーこれは」
「ご褒美?」
「うん。玲菜を幸せにすることが、俺のご褒美」
「あなたはどこでそういう殺し文句を覚えてくるんですか?」
「うあ、キビシー。本心なのに~」
玲菜を幸せにすることが、俺のご褒美。
なんて甘い響き。心からそう思ってることが伝わるくらい、優しい声だった。
だんだん体温があがっていく。悔しい。どうしても加瀬に勝てない。
でも悪い気もしない。ああ、もうどうしたって愛しい。加瀬が好きだ。
「……だいすきです」
「え?」
「なんでもありません。撮影が終わったら連絡下さい」
「えー!? 待って待って! いますごい大事なこと言われた気がっ!」
「空耳じゃないですか?」
「ぐさっ! ひどいよ玲菜ぁ~!」
ふふっと笑みが零れて肩が軽くなる。今朝まであんなに気が重かったのに、色んなしがらみなんて吹き飛ばしてしまうくらい、加瀬には力があるんだ。わたしを元気づける絶対の力が。
「会いたいです。加瀬に会いたい」
好きだと言うのと同じ温度で囁いた。会いたいと思えるひとがいて、相手も会いたいと思ってくれる。
こんな奇跡が降りかかってくるなんて、もう一生分の運を使い切ってしまったかも。
「くっそ。反則だろ、これ」
「え?」
「玲菜可愛すぎ。無自覚すぎ。無防備すぎ。そんな声で呼ばれたら我慢できない」
「……っ」
「会いたいよ玲菜。今すぐ玲菜を攫って抱きしめたい。玲菜の百倍くらい、玲菜に会いたい。ねぇ、玲菜。だいすきだよ」
「!!」
「あ、マネージャーが呼んでる。また後でな」
プツッと電話が切れてわたしは携帯を握りしめた。
きっと周りのひとは変に思ったに違いない。真っ赤なまま呆然と電車の扉が閉まるのを見過ごしていたのだから。
『だいすきだよ』
たった四文字の言葉が、ごく当然のことのように告げられたひとことが。わたしを頭のてっぺんからつま先まで幸せにした。――今夜はきっと眠れない。高鳴る鼓動が予言していた。




