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一月はあっという間に過ぎ、婚約発表のパーティー当日になりました。
フロランスのドレスと靴が仕上がったのは前日の夜でした。製作に携わったお針子たちは短納期でさぞ大変な思いをしたことでしょう。でもそのおかげで、鏡に写るフロランスは、どこから見ても恥ずかしくないご令嬢でした。
深い青色のドレスは、デザイン自体はシンプルです。だからこそ、フロランスの体の線が美しく見えます。
前日からお城に泊まり込んでいたフロランスは、朝から着替えに化粧に髪の毛のセットにと大忙しです。手伝ってくれる使用人たちに「顔を傾けてくれ」「目を伏せてくれ」「腕をあげてくれ」「足をあげてくれ」と、なにかと注文され、それ以外はじっと動かずにいるだけなのですが、身支度が整うころにはすでに一仕事終えたような気分になっていました。
はーっとため息をついたフロランス。かぶせるように、ドアをノックする音がしました。
「はい、どうぞ」
「失礼いたします」
ドアをそっと開けたのは、エスコート役にしてパーティーの主役の一人、ユーグ王子でした。王子もフロランスのドレスと同じ青色のズボンに、白い上着を着ています。彼は、鏡の前に座るフロランスを見るとにっこり微笑みました。
「ああ、フロランス、美しいですよ」
「ありがとうございます。さすがお城のお針子たちは腕がいいですね」
「そういう意味で言ったのではないですが。……さて、最後に魔法をかけましょうか」
「魔法?」
「ええ、痛み止めのね」
王子はフロランスの前に跪くと、後ろを着いてきたマルゥカから小箱を受け取り蓋を開けました。中には包帯や軟膏が入っていました。
「まったくもう。あれほど注意したのに、ご実家でも練習しましたね、これは。普通に歩くだけでも痛むでしょう? ろくに手当てもしなかったようですね」
当たり前のように、室内履きを脱がされて、フロランスは口をひん曲げました。足を引っ込めようとしたのですが、その前に足首を掴まれてしまいました。
まめが潰れて痛々しい様子の指の付け根に軟膏を塗られ、フロランスの足の指がピンとなりました。滲みます。
「このくらい平気です」
「嘘ですね。歩くとき重心がぶれてますよ。僕の目はごまかせません。これでよく、昨日も練習したいだなんて言いましたね」
「念には念をといいますから」
「そんなに僕と踊りたかったのですか?」
からかうように問われ、フロランスは口の端を上げました。
「そうです」
ユーグ王子はフロランスの手をとり、立ち上がるのを補助します。
「だって、私たち、随分上手に踊れるようになったじゃないですか。楽しくなってきたんですよ。ふっふっふ、王妃殿下もきっと驚きますよ」
「ええ、そんなことだろうと思いました。……さあ、行きましょうフロランス」
◆
会場は第一王子の生誕祭のパーティーを執り行ったのと同じホールでした。太陽の光を天窓から採り込んで、床の白いタイルを輝かせています。大きな窓からは緑豊かな中庭が見え、噴水のしぶきがダイヤモンドのようにきらめくのも見えました。
壁際に、ずらりと並んだ参加者たちは、思い思いに着飾って、第二王子殿下とその婚約者の顔をひと目見ようと待っていました。そこへ、主役の到着を知らせる音楽が流れます。
大きなドアがおもむろに開いて、一組の男女が入場してきました。彼らは、挨拶をかねてゆったりとした足取りで会場の中央を歩いていきます。
男性の方、ユーグ王子の顔は、街でも肖像画などで見かけるので、直接お目にかかったことのない人でもわかります。ユーグ殿下は今日も完璧な王子でした。見た目は。参加者の女性は老いも若きも、ほう、とため息を吐きました。
ユーグ王子殿下の秘めた趣味を知らない人たちは、どうしてこの美しい王子殿下の婚約者殿たちは次々に名誉の座を退いたのだろうと不思議がります。同時に、一度は社交界から消えておきながら、幸運にも王子の婚約者の座に就いた、エモニエ家の長女はどんな女かと好奇心を掻き立てられました。
ユーグ王子殿下の隣を歩く、金色の巻毛の娘は、たしか二十歳。行き遅れと言ってよいでしょう。顔立ちはまあまあ整っているのですが、ユーグ王子殿下と釣り合うほどではありません。琥珀の双眸も見ようによっては生意気な印象です。
(あら、大したことないじゃない。経歴も難ありだし、ユーグ王子殿下はよっぽどお相手に不足したのね)
(エモニエ家の女当主は二度も夫を亡くしているけれど、それでがっぽり儲けたという噂よ。その金で王家に取り入ったとか)
(国王陛下はなんとしてもユーグ王子殿下を落ち着けたかったのだろうね)
歓迎の拍手にまぎれるように、そんな心無い言葉がかわされます。フロランスの通る側に並んでいる人の中には、意地悪く、フロランスにぎりぎり聞こえるか聞こえないかの声音でぼそりと、そのようなことを言う人もいました。
(うっわ、やだやだ。だから社交界とか貴族とか嫌いなのよ、やり方が陰湿で性根がひん曲がってるのよね。喧嘩売るなら正面から来なさいよ正面から!)
こめかみに青筋を立てながらも、根性でなんとか微笑んだフロランスでした。彼女は、自分が目指す先を見つめます。王家のみなみな様がすでにご着席の、ひな壇の上の中央の空席ふたつです。隣には、国王陛下と王妃殿下が立ってお待ちでした。
(王妃殿下……)
フロランスは、しゃんと背筋を伸ばし、こちらを見ている王妃殿下と目があったような気がしました。王妃殿下は、フロランスの隣のユーグ王子殿下を見ていらしたのかもしれません。それなのに、どうしてか目があったような気がしたのです。
(王妃殿下も、いえ、王妃殿下はきっともっと、ああいうことを言われてきたんだ)
ちょっと耳にしただけでも腹が立つし、今日まで頑張ってきた気持ちに水をさされたような気分になる。そんな陰口を、何年も何年も言われ続けたのだと思うと、それでもなおあの場にしっかり立っている王妃殿下に、どうしてか敬服の念がわいてきました。
(さすが、根性ある)
「何を笑ってるんです、フロランス」
周囲に笑顔で手を振りながら、こそっとユーグ王子殿下がフロランスに耳打ちしました
「いえ、やる気が出るな、と思いまして」
「楽しそうで何よりです」
そしてふたりは、王家の席に到着しました。国王陛下のご挨拶と、司祭様の長く難しいお説法が終わり、ユーグ王子殿下のご挨拶です。
ユーグ王子殿下は、長く難しい言い回しの挨拶を難なく諳んじました。ときにアドリブをいれて、会場をわかせます。
「フロランス・エモニエ嬢が、私の送るガラスの靴を受け取ってくれることでしょう。皆にはその日を、ぜひ祝福していただきたい」
どうやら王子殿下はガラスの靴について話しているうちに、悦に入ってしまったのでしょう。席に戻ってきて、フロランスに手を差し出した時、うっとりした顔になっていました。
フロランスはその手を取りながら、顔をしかめます。こっそり、王子殿下の影になって他の人には見えないようにですが。
「殿下殿下、顔がだらしなくなってますよ。あとで、業者にもらった春の新作靴コレクションの目録を差し上げますから、今はしっかりしてください」
「すでに僕も目録は入手済みです。あれに載っている全作品を、あなたに履かせてみてもいいですか?」
「目録、200足くらい載ってましたけど……」
ずらーっと並べられた靴200足を想像し、げんなりしたフロランスでした。上機嫌なユーグ王子にエスコートされ、ホールの中央に歩み出ます。
参加者たちは、王子と婚約者のダンスのために移動し、場所を空けました。婚約者の娘のダンスはどれほどの出来かと、品定めするような視線がちくちくフロランスの肌に突き刺さります。
ユーグ王子に腰に手を回され、フロランスは気を引き締めました。王子殿下は変わらぬ穏やかな表情で、フロランスの顔を覗き込んできました。
「さあフロランス、僕の婚約者殿。練習の成果を発揮するときがきましたよ」
(まったく。嫉妬するのはご自由にと言いたいところだけど、別にいいもんじゃないわよ、王家との婚約なんて! 靴ばっかり贈られるし、しきたりや儀式は多いし、王妃殿下はひねくれてるし!)
「殿下、よろしくおねがいします」
フロランスが囁いた時、音楽がはじまり、ユーグ王子殿下のリードで、二人は一歩目を踏み出しました。
最初のターンを決め、ぱっと王妃殿下と目があいました。
王妃殿下は、宝石のような美しい目で、フロランスをぴたりと見ています。
ですから、フロランスは、微笑みました。




