七十三章 青の山脈 2
――青の山脈。
枯れた藪を掻き分けるようにして進んでいたセトが、坂道を上りきった所で足を止めて振り返った。
「こっちだ」
セトのいる場所を目指し、流衣達は少し早足になって緩やかな土手をよじ登る。
そして、登りきったところで、流衣はその先に広がる光景に息を飲んだ。眼下には、巨大な岩と枯れた低木や草があり、ところどころに雪が積もっている。それが、太陽の光でキラキラと光っていた。
こうして見ると、青の山脈は美しい所だ。
セトは流衣やアルモニカを一瞥すると、短く溜息を吐く。
「ルイとアルはやはり体力が無いな。リドや侍女殿ははぐれないように気を付けてやれ」
「もちろんです」
「了解」
セトの注意に対して、サーシャやリドがそれぞれ返事をすると、流衣の左横に立ったオルクスがずいっと前に出た。
「お待ちなさい、セト。リドの前にわてに言うべきです! わては坊ちゃんの使い魔ですよ!」
「わ、悪かった。……オウム殿?」
「オルクスです!」
一歩後ろに退いたセトが迷った末にそう呼ぶと、オルクスは再び怒った。
「待って待って、落ち着いてオルクス」
流衣は慌ててセトとオルクスの間に割り込む。
「オルクス、そんなにむきにならないで。君が気を付けてくれてるのは、僕はよく分かってるよ」
「うっ、すみません」
流衣が困った顔をしたせいか、オルクスはすぐに謝った。そんなオルクスに、リドは冷静な態度で言う。
「気が済んだんなら行くぞ、クソオウム。他の冒険者が北東中心に配しているからって、この辺にいない保証はねえんだ。水晶竜と間違えられて的にされちゃ敵わねえぜ」
「その通りだ、急ごう」
セトがリドの言葉を肯定し、すぐにきびすを返す。
「足を滑らせないように、気を付けてついてきなさい」
そして、セトは岩場の間の細い道を、岩に手を付いて体を支えるようにして下りていく。セトの次にアルモニカとサーシャが続き、その次に流衣とオルクス、リドが最後尾に並んで進むことになった。
「ほら、オルクス。行こう」
「はい! 安心して下さい、坊ちゃん。もし転んでもわてが救出してみせます!」
「あはは……、そんな大げさに転んだりしないと思うから大丈夫だよ」
そんなにダイナミックに転ぶ予定はないのだが、オルクスが気合たっぷりに言うので、流衣はやんわりと返す。そのオルクスの背中に、リドが面倒臭そうに声をかける。
「いちいちうるせえぞ、オルクス。お前、オウムの時もうるせえけど、人型だともっとうるせえよな」
「何ですって、リド!」
「ちょっと二人とも喧嘩しないでよ……」
オルクスの次にリドが並ぶのは考え無しだったかもしれない。流衣はちょっぴり後悔したが、すでに斜面を下り始めたところなので変更できない。
セトが目指す、勇者召喚の魔法陣が残る神の園は、南東の方角に位置しているらしい。水晶竜の出没情報が多い北東とは違う方向だが、冒険者達がその辺りにいるかもしれないので、出来るだけ静かに移動しなくてはいけないのに。
いつものことだが困ったなと流衣は考えを巡らせつつ、出来るだけ村から距離を取るべく、必死に前へ進んだ。
それから三十分程経った頃。
流衣は階段のようになった石を飛び越えて地面へ着地した拍子に、運悪く着地点の地面が霜が溶けかけていたせいで、見事足を滑らせた。
「う、わっと」
体勢を崩し、腕をばたばた振って重心を戻そうと踏ん張ったが、効果がない。だが、流衣が後ろに倒れきる前に、すぐ後ろを歩いていたオルクスによって肩を支えられた。
「大丈夫ですか、坊ちゃん」
「あ、ごめん。オルクス、ありがとう」
流衣は礼を返したが、冷や汗とともに、心臓がバクバクと鳴っていた。岩がごろごろしている地形だから、打ちどころが悪いと酷い怪我をしそうだ。
「いえ、焦らずに進んで下さい。怪我をしますよ」
策士然とした顔に穏やかな笑みを浮かべたオルクスは、流衣が両足できちんと立つのを見届けてから流衣の肩に沿えていた手を離した。こうしているとしっかりした大人に見えるのになあと、ときどき見られる子どもっぽいところを思い出して、流衣はこっそり不思議に思う。
とりあえず転ばずに済んだので、前を進むサーシャの背中を追いかけて、平坦な山道を歩き出そうとした流衣だが、おもむろにオルクスがちらりと左手の藪の向こうを見たので、首を傾げる。
「どうかした、オルクス」
「ええ……」
返事ともつかない答えを返し、ふいにオルクスは黄緑色の長衣を翻す。
「しばし、失礼を」
そう断り、藪の向こうへオルクスは消えた。
「どうしたんだろ」
「あー、たぶん……」
リドを振り返って流衣が疑問を口にすると、リドは何か思い当ることがあったのか、歯切れ悪く呟いた。
直後、オルクスが消えた藪の方から、どごっと何かが潰れる音がした。
「え? 何?」
流衣が不穏な音に怖気づいて杖を握り締めていると、すぐにオルクスが戻ってきた。爽やかな笑みで言う。
「少々野暮用が。さあ、先に進みましょうか」
野暮用って何だろう。いや、流衣にも想像は付く。あの音といい、もしかして。
それを問おうと流衣は口を開く。
「あのさ、オルクス」
「坊ちゃん、細かいことを気にしてはいけません」
「……ハイ」
だが、問いを全て口にする前に、オルクスが問答無用の笑顔を浮かべて質問を拒否した。その威圧に負けた流衣は素直に頷き、「さあさあ」と先を促すオルクスの声に押されるように、再び歩き出す。
(魔物を退治してきたように思えるの、僕だけなのかなあ)
そんな気がしてたまらない。
他のメンバーをちらちらと伺うと、前を行くアルモニカと目が合った。苦笑気味に首を振るアルモニカ。なるほど、詳しく突っ込むなと言いたいようだ。
「少し失礼しますね」
またオルクスが短く断って、列を離れた。岩山の向こうから、鈍い音が聞こえて地面が揺れた。
「いったい何と戦ってるの!? オルクス!」
謎の悪寒でビビる流衣。その後方を歩くリドもまた、怖そうに呟く。
「こういうのって見えない方が怖いよな」
「うんうん」
流衣は勢いよく首を縦に振って肯定する。――が。
「これは楽だな。今のうちに進むぞ」
セトは気にした様子はなく、むしろ感心気味に言って、遠慮なく進み始める。
それでいいのかなあと不思議に思う流衣だが、オルクスが時間を稼いでくれているのだから、進んだ方がオルクスも喜ぶだろうと思い、流衣は目の前にあった石を、また飛び越えるのだった。
*
「随分進んだ気がするのに、これだけか。思った程進んでないんだなあ」
夕方になり、山の端に日が滲むのを見上げてリドが呟いた。
流衣は自分達が歩いてきた道を眺めて、こんなに進んだのだなと感慨深い気持ちだ。
「私が正確な場所を覚えていれば、転移魔法を使えばそれで済んだのだがな……。前に進んだだろう経路を、地道に辿るしかない」
「いえ、セトさん。僕達が自力で辿り着くよりはずっといいと思いますから、気にしないで下さい」
弁解するセトに、流衣はそう返す。
「ルイの言う通りじゃ、このまま地道に進もう」
慣れない登山で疲労顔のアルモニカが、そう言って話を纏めた。流衣も疲れているが、アルモニカ程ではない。ここに来るまでの旅が、いつの間にか流衣の体力を上げていたのだろう。
サーシャは心配そうにアルモニカを見て声をかける。
「その通りですが、お嬢様。もう夕方ですし、どこか野営地を決めなくては」
「夜間は魔物が活発化するからなあ。あの辺りの岩場はどうだ? 見晴らしが良いし、何かあってもすぐに対処出来そうだ」
リドが指差した方向は、山の木々の中にぽっかりあいた空閑地にある岩場だった。
「そうだな、そうしよう」
セトが満足げに頷き、今日の宿はそこに決まった。




