第60話 気になるあの子は
「アイリスさんは最近この街にいらっしゃったんですか?」
椅子へと座りなおした先生が頬に指をあてて首を傾げながら尋ねてきた。
「あ、はい」
「なにかあってはいけませんから、家までお送りしましょう。ご両親も心配されているでしょうし」
両親という言葉を聞いて一瞬だけ体がこわばる。親のこととか元の自分のこととか、できるだけ考えないようにしてるけど、誰かから言われると浮かんでしまう。
「……一人で帰れるので大丈夫です。この子もいますので」
足元で腹ばいに寝そべるスノウのおなかをもふもふする。
うん。やっぱりスノウと一緒にいると安心するね。
「そうですか……。何か、心配ごとがあるなら私でよければ相談に乗りますよ。これでも孤児院の先生をしていますからね」
すべてを包み込むような優しい笑顔で先生がそう言ってくれる。だけどこればっかりは簡単に相談できる内容でもない。私はアイリスとして生きていくと決めたんだから。
「ありがとうございます」
平静を装って笑顔で返すと淹れてもらったお茶を飲み干して椅子から立ち上がる。
「お茶、ごちそうさまでした」
「ふふ……、こんなところですけどいつでも来てくださいね。お茶をご馳走しますから」
「もう帰るのかよ……!?」
先生との会話から察したのか、立ち上がったケイルが驚きと残念そうな表情で私に訴えかけてくる。連れてきたのはキミだけど、もともと私は孤児院に用があったわけでもないんだけどな。
私を見つめながら考えていたようだけど、いいことを思いついたようでパッと表情が明るくなる。
「へっへーん、これを返してほしかったら捕まえてみな!」
そしてとった行動が、テーブルの上に置いたままになっていた、さっきまでスノウが咥えていた私のカップを持ち去ることだった。得意そうな顔をしたまま食堂を出て行ってしまった。
「あ、待ちなさい! ケイル!」
『子どもか』
「子どもだね……」
どこからともなく聞こえたキースのツッコミに思わず素で返してしまう。それどころじゃない先生には聞こえていなかったみたいだけど、その先生もケイルを追いかけて出て行ってしまった。
「……ごめんね」
取り残されたディックがすまなさそうに謝るが、なんだか彼が不憫に思えてきた。
「ううん。ディックは悪くないから大丈夫だよ」
「……うん」
しばらく待ってみたけど誰も戻ってくる気配がない。
「あたしたちも行こうか」
声を掛けるとこくりと頷いたので、二人で食堂を出ることにした。ここは奥の部屋なので、玄関へ向かって歩いて行く。途中の部屋には誰もいないようだったのでそのまま玄関へ進んで行くと、外から声が聞こえてきた。
声に誘われるように玄関を抜けて外に出て庭へと歩いて行くと、木の下にいる先生を見つけた。どうも木の上を見上げて何か言ってるようだけど、その傍には女の子が二人同じように木の上を見上げていた。
「あら、初めて見る顔ね。新しくここに来た子かしら?」
近づいていく私たちに気付いた女の子が振り返って首を傾げている。私よりちょっとだけ背が高いけど、七歳前後くらいだろうか? ツインテールの白銀の髪がかわいらしい女の子だ。
その隣には私と同じくらいの身長の、背中まであるワインレッド色をした髪をストレートに伸ばした女の子だ。
「ううん。違うよ」
「……ケイルが無理やり連れてきたの」
端的に否定すると、ディックが補足してくれる。
「ふーん……、まあいいや。わたしはパールっていうの。よろしくね」
あんまり興味はなさそうだけどとりあえず聞いてみた感じだろうか。なんとなく勝気な感じのするお姉さんタイプなのがパールと言う名前らしい。
「ボクはシルヴィ」
こっちの子は大人しそうな妹タイプだ。私と身長が変わらないので、もしかしたら同い年だろうか。
「あたしはアイリスだよ」
「あ! アイリス! おれはここだぞー! 返してほしかったらここまで来てみろ!」
孤児院の女の子と自己紹介をしあっていると、頭上からケイルの声がした。見上げてみれば地上三メートルくらいの木の上から得意そうな顔をしたケイルが、私のカップを持って手を振っている。
えーっと、これはどうしたらいいんだろうか。
思わずケイルを見上げたまま考え込んでしまう。
「あれってアイリスのカップなの?」
「うん」
「ふーん」
パールに尋ねられるが、またも興味があるのかないのかわからない返しをされてしまう。とりあえず木のほうへと近づいていくけどどうしたもんか。
『ここから「返してよぉ」と泣きながら懇願すればいいのではないか?』
「は?」
さっぱり意味の分からない声に思わず声を上げてしまう。姿が見えないからってちょっと好き放題しすぎじゃなかろうか。
『そうすれば気になる子にいたずらするあの男児も満足するだろう』
「何言ってんの!?」
気になる子って私のこと!? ケイルが? え? どゆこと!?
「だ、だから、早く取りに来ないと、木の上に置いてっちゃうからな!」
私の声が自分を咎めるように聞こえたのだろうか、ちょっとだけ焦りを感じたケイルがカップを放置するという。それならそれであとでゆっくり取りにくればよさそうだけど、今のケイルを無視してる感じになりそうだ。
「わかった。今から行くから待ってなさい」
「……わざわざケイルに付き合ってあげなくてもいいのに」
「そうですよ。危ないですから、先生が説得するので待っててください」
パールと先生にそう諭されるけど、だんだん私もケイルに苛立ち始めていた。キースが余計なことを言ったせいな気もするけど、ケイルの気になる子って……、私は男なんだからな!
改めて木を見上げると、足を掛けるところは多く登りやすそうである。森では散々木登りをしていたので、これくらいなら朝飯前で登れそうだ。
助走をつけて走ると、手前で飛び上がって足を掛ける。そのまま一段、二段と飛び上がって枝を掴むと、勢いそのままに登りきってケイルの目の前まで躍り出た。




