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第97話 覇王の最期

 刹那。時が止まったと思った。


 項羽を貫いた弾丸。それすなわち彼にとっての未知の兵器。

 それが楚漢戦争最強の――いや、有史以来最強のおとこの命を奪ったのだと。


 それは衝撃と、一抹の寂しさをもってその場にいたすべての人物に伝わった。

 その寂しさは、おそらく織田信長も経験しただろうもの。戦いというものが、個人同士のものから集団戦、特に鉄砲を活かした者が勝つという経済戦争へと移ったその事実を感じ取り体現した史上有数の人物の経験。


 それは寂しさと同時に、一瞬の悲しさをもって僕の心に広がる。

 僕らが束になっても叶わなかったおとこを、こうも呆気なく倒してしまってよかったのかと。


 けれどそれも一瞬だ。

 これ以上、項羽を暴れさせればもっと犠牲が増えた。それこそ取り返しのつかないことにもなっただろう。


 だからこれが最善。

 たとえ卑怯者のそしいを受けても。こうやって仕留めるのが一番いい。そう言い聞かせる。


「――――」


 ふと何かが聞こえた。

 誰かの声。遠く、ただ近く感じるその声は心胆によぎる不吉な音を携えていて。


 だがその発生源を察知した時、背筋を襲う寒気は一気にトップへとギアを叩き込んだ。


「この愚か者が!!」


 項羽だ。生きてた。まさか。なんで。


 けど構っていられない。

 項羽は今、ものすごい力で槍を振り上げようとしている。イリスの力で抑えられるレベルじゃないし、体重を片手で振り上げるくらいのことはしそうなほどの勢いだった。

 だから僕はそれに逆らわずにわきの下に抱えていた槍を手放すと、そのまま地面に転がった。


 そして見る。


 項羽がその愛馬と共に空に向かって吼えるのを。


 そして、その左腕の前腕部から血がほとばしるのを。


 まさか。

 左腕で受けたのか。咄嗟に。それで胸を撃たれても死ななかった。いやいや、馬鹿な。僕は高杉さんのスキルが出す奇兵隊とやらの銃を見せてもらった。この世界に伝わる火縄銃とは違う。あまり詳しくないから見た目で判断できないけど、おそらく幕末に流通したゲベール銃かミニエー銃だろう。前者より後者の方が改良され、ライフリングもされているというから命中性も殺傷力も違うわけだけど……。


 いや、そんなことはどうでもいい。

 どちらにせよ、左腕で銃弾を受けたところで、しかも鎧といっても鉄板を何枚も重ねたわけじゃない機能性を重視したものだったとすれば。しかも距離にして50メートルもない超至近距離から発射されたのだとすれば。

 弾丸は間違いなく骨を砕き、その後ろにある体内にも到達しているに違いない。さらにライフリングされていればその回転を相まって体を貫通する――そうだ。もしライフリングのないゲベール銃であれば、貫通力もない分、当たれば体内に残る可能性がある。その方がさらに殺傷力が高い。


 なのに項羽はそんな様子も見せずに、天に吼え、そして狙いを高杉さんに向けると、そのまま愛馬と共に突っ込んだ。


 高杉さんがスキルだろう、抜刀隊で迎撃するも一瞬で切り裂かれて霧散する。彼を守る兵も果敢に応戦するが、同じ結末を迎えるしかない。


 もはや手に負えない猛獣――いや、災厄といってもいい相手に、もう蹂躙されるしかなく、高杉さんの命は風前の灯火だ。


 ダメだ。これ以上、誰かを失うなんてこと。

 でも僕に何ができる。


 あの状態の項羽に立ち向かうのは、これまでのどこか戦いを楽しんでいた項羽とは違う。

 ただ怒りに任せて殺戮を繰り返すだけの災厄に、どうやって……。


「イリス」


 と、誰か――謙信の声だ。呼ばれた。


 同時、何かが飛来する音。そして目の前の地面に突き刺さった。

 何かと思えば一振の日本刀。


 危なっ! そんなもの投げてよこすな!


「それを使え」


「え?」


山鳥毛さんちょうもうだ」


 えっと、山鳥毛さんちょうもうって確か上杉家に伝来する名刀で確か国宝指定の……。


「って、国宝を投げるな!?」


「何を言っている。刀はただの刀だ」


 いやそうなんだけどさぁ! そうなんだけどさぁ!


「刀とは、人を殺すものだ。そして守るものだ。お前に託す。介錯してやれ」


 介錯。

 その言葉が重くのしかかる。


 介錯。死に瀕した武士にとどめを刺すこと。つまり彼女は言っている。項羽は助からない。だからこれ以上の痛みを長引かせることなく、とどめを刺してやれと。


 なんで僕が、と言おうと思ったけど、謙信がわずかにあげた右腕に目を奪われた。

 その腕、力なく手首が垂れている。しかも変な方向に。折れている。それじゃあ刀を握ることもできない。


「頼んだ」


 僕はそう言った時の謙信の眼から逃れることはできなかった。

 おとこおとことして見込んでいる時の真剣な瞳。いや、今はお互い女性という野暮なツッコミはなしで。


 断れない。

 それにこの状況を打破するのは、もうそれしかない。


「……分かった」


 そう言って立ち上がる。そのまま刀を手にした。重い。けど赤煌しゃっこうほどじゃない。

 それでもひたすらに重く感じるのは、物質的な重さじゃなく、命の重さ。


 僕はこの世界に来て以来、自ら進んで人を殺したことはない。戦う時は全て赤煌しゃっこうで、頭だけは決して狙わなかった。

 けどそれは偽善だと今では分かっている。この世界で貫く

 たとえ僕が手を下さなくても、僕に倒されればその後に続く他の人に殺されただろうし。何より僕が立てた策で、何万もの人が死んだ。それは直接手を下さずとも、僕が殺したことと同じこと。

 もう僕の手は、大量殺人者として血で濡れ尽くしている。


 けど、それでも。こうしてとどまっていられたのは、直接人を殺したというわずかな救いがあったから。

 それを絶てと謙信は言う。

 それを捨てろと状況は言う。


 岳飛将軍。ジャンヌ。姉さん!


「っ!!」


 走る。

 項羽はまさに高杉さんらを追い詰め、今にも全てを破壊しそうな勢いだ。


「項羽!!」


 その背に呼びかけた。


「っ!!」


 振り返る。その顔。憤怒に染まった恐るべき形相。

 止まるな。恐れるな。背負った遺志と、未来への意志。それを僕の意思に乗せて、ただ前へ!!


 刀と槍がぶつかった。

 力がない。さすがの項羽も激痛と失血に弱っているのだ。

 人間だ。この男も。力の強いただの人間。だから殺せる。

 そう無理やり納得させてさらに前へ。


 馬上の項羽と地上の僕では圧倒的に僕の不利だ。しかもリーチの長い槍に対するのだから。

 それでもなんとかついていける。相手の動きに精彩がない。


 ここで一気に行ける!


 槍。来た。わずかに遅い。一歩踏み込んだ。右肩を槍が貫く。痛みは奥歯に持っていった。刀。国宝指定の山鳥毛。それを上に振った。金属の重み。それを斬る。

 跳ねた。

 槍が柄の半ばから真っ二つになり、跳ね飛んだ。


 この好機を逃せない。

 さらに馬上の項羽へと刀を振るう。それを項羽は無理に避けようとして、力を誤ったのか落馬した。


 落馬した項羽。その頭上から刀を振るう。それで終わり。

 死ぬ。項羽が。僕が。殺す。いや、迷うな。行け。


 だがそこで項羽はとんでもない行動に出た。


 振り下ろそうとした刀。それを左手でつかみにきたのだ。柄じゃない。刀身を。

 刃をそのまま握りしめる。その狂気ともとれる行動に、僕は一瞬気後れした。いや、気後れは初めからしている。僕が刀を振り下ろすことに躊躇した。そのタイミングを突かれた。


「お前に斬られるなら、まぁそれもまたいい」


「なにを……」


「そう思ったが!!」


 衝撃。腹だ。蹴りを入れられた。

 なんて力。これが万全の項羽だったら内臓破裂で死んでいた。それでも蹴られた衝撃で数メートルを転がる。


「そんな腰の定まってねぇ雑魚にやられるか! 俺は俺にしか殺せねぇ!!」


 腰の定まっていない雑魚。

 その通りだ。覚悟を決めた。そう思ったのに、結局腰は引けた。


 いや、それ以上に最悪なのが刀を奪われたことだ。

 迂闊すぎる。


 ただ、それ以前になんでと思う。


 まさか。まだやるのか。

 それだけの傷を負い、それだけの血を流し、それでもまだ戦う。


 覇王。


 その言葉が重く、心にのしかかる。

 もはや人間の誰もが勝てない領域。そこに踏み入れているのではないか。そしてここで彼を殺せるものはいず、ただ蹂躙されるだけの未来しかないのか。


 だがそんな僕を見た項羽は、どこか血の気が引いた顔でニッと笑う。

 その笑顔が、なんとも爽やかで、子供っぽく、なんとなく胸がときめいた。


 あるいは。

 あるいは彼とは別の出会いがあったのかもしれない。そう思えるほどに。


 けどそれはしてもくだらない妄想の類で。

 全てが遅すぎた結果でしかない。


 項羽は山鳥毛を己の首にあてる。それが意味することを瞬時に悟った僕は起き上がろうとして、蹴りの痛みにそれが果たせなかった。


「や、やめ――」


「じゃあな。楽しかったぜ。すいは頼む」


 項羽は刀を引いた。


 太陽が山に沈む、最後の残光。

 それに照らされた赤が宙を舞い、最強をほしいままにした巨体が地面に崩れた。


 二度と起き上がらない最強の体。彼の愛馬が近づき、悲し気に首筋を舐めた。


 それを僕は呆然と見ているしかできない。


「ゼドラ国将軍、項羽をイース国のイリスが討ち取ったぞ!!」


 高杉さんが叫ぶその声。それに同調する味方の声に、狼狽する敵の声。

 それらも全て、どこか虚ろに響いて聞こえた。

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