第7話 官邸地下危機管理センター
永田町一丁目。
日本国の心臓部である、内閣総理大臣官邸。
その地上部分は、ガラス張りの現代的な建築として知られ、報道陣のカメラが常にその出入りを監視している。
だが、この建物の真の機能は地下にある。
核攻撃や、生物化学兵器テロ、大規模災害を想定して作られた『内閣危機管理センター』。
厚さ数メートルのコンクリートと鉛の壁に覆われ、外部からの通信を一切遮断したこの空間に、今、日本の中枢を担う男たちが緊急招集されていた。
午後四時十五分。
円卓が置かれたオペレーションルームの空気は、鉛のように重かった。
空調の音だけが響く静寂の中、集められたメンバーの顔ぶれは、事態の異常さを物語っていた。
内閣危機管理監、小野寺。
内閣情報官、加藤。
警察庁警備局長(公安警察トップ)、堂島。
厚生労働省医政局長。
そして、国立感染症研究所の志賀所長と、顔面蒼白の真田主任。
「……電子機器は全て、入り口で預かりましたね。これより先の会話は、国家機密保護法における『特定秘密』に指定されます。記録は紙媒体のみ。外部への発信は一切禁止です」
進行役を務める内閣危機管理監、小野寺が低い声で告げた。
白髪混じりの短髪に、カミソリのように鋭い眼光。長年、日本の裏方として数々の修羅場をくぐり抜けてきた男だ。
だが、その小野寺でさえ、手元の資料を握る指関節は白く浮き上がり、彼が押し殺している緊張の強さを物語っていた。
「では、志賀所長。報告をお願いします。……単刀直入に『あれ』は一体、なんなのですか」
指名された志賀は、ハンカチで額の脂汗を拭いながら立ち上がった。
彼は深く一礼し、隣に座る真田に目配せをした。
「詳細は、現場で解析を担当した真田主任研究員より説明させます。……真田くん、映像を」
「は、はい」
真田は乾いた唇を舐め、強張った動作でプロジェクターのリモコンを操作した。
正面の巨大スクリーンに、先ほどの実験映像が投影される。
映し出されたのは瀕死のラット、そして謎の液体を投与された瞬間の、あのグロテスクかつ奇跡的な再生シーンだ。
ボキッググッ……
骨が勝手に繋がり、筋肉が編み上げられる音。
集まった高官たちが息を呑む気配がした。中には、あまりの光景に目を背ける者もいた。
「これはCGではありません。本日、午後二時四十五分、当研究所の封鎖区画内で撮影された、加工なしの映像です」
真田の声が、静まり返った部屋に響く。
「検体として送られてきた『医療用キット』と称するデバイス。その中身は、当初はただのアミノ酸溶液と思われました。ですが……次の映像をご覧ください」
画面が切り替わる。
電子顕微鏡が捉えた極微の世界。
そこには幾何学的な形状をした無数の「構造物」が、まるで意思を持った軍隊のように整列し、細胞壁を修復していく様子が映し出されていた。
「ナノマシンです」
真田は断言した。
「サイズは数ナノメートル。動力源は生体電流を利用していると推測されますが、その構造も制御プログラムも、現代の科学技術では解析不能です。少なくとも、我々が知るいかなる地球上の技術体系とも合致しません」
「解析不能とは、どういうことだ?」
口を挟んだのは警察庁警備局長の堂島だった。
強面で知られる公安のトップは腕を組み、疑り深い目でスクリーンを睨んでいる。
「アメリカの最新技術か? あるいは中国、ロシアか? 軍事用の極秘研究なら、我々が知らないだけという可能性もあるだろう」
「いえ、そのレベルではありません」
答えたのは志賀所長だった。
「局長。これは半導体の集積度がどうとか、新素材がどうとかいう次元の話ではないのです。
物理法則の理解、そのものが我々より数百年進んでいる。
例えるなら、江戸時代の蘭学医に最新のMRIスキャナーを見せるようなものです。
『何が起きているか』は観察できても、『どうやって動いているか』は理解できない。
これは……正真正銘の『オーバーテクノロジー』です」
会議室に重苦しい沈黙が落ちた。
オーバーテクノロジー。
SF小説の中だけの言葉だと思っていた単語が、現実の脅威として突きつけられた瞬間だった。
「……つまり、宇宙人の仕業だと言いたいのかね?」
内閣情報官の加藤が嘲るように、しかし目は笑わずに言った。
「あるいは未来人か? 異世界人か? 馬鹿馬鹿しいが、この映像を見せられては否定もできん」
「出所はどこだ」
小野寺危機管理監が話を戻した。
「この『パンドラの箱』を送りつけてきた人物だ。何者なんだ? テロリストか? 外国の工作員か?」
真田が資料をめくり、一枚のコピーを提示した。
「配送伝票です。ヤマト運輸の匿名配送システムを利用しています。
発送元は東京都内のコンビニエンスストア。
品名は『精密機器(模型)』。
添え状には……『山で拾った』『野良猫に使ったら治った』と書かれています」
「山で拾っただと……?」
堂島局長が鼻で笑った。
「ふざけているな。だが……妙だ」
「何がです、局長?」
「手口がお粗末すぎる。もしこれが高度な秘密結社や国家機関による意図的なリークなら、もっと巧妙な手段を使うはずだ。痕跡を残さず、特定の人物に直接届けるとか、ダークウェブを使うとかな。
だが、こいつはコンビニから送っている。防犯カメラに顔を晒し、電子マネーの履歴を残してな。
まるで……『ちょっとメルカリで不用品を売る』くらいの感覚だ」
堂島の鋭い指摘に、出席者たちは唸った。
「つまり、送り主はプロではないと?」
「ああ。十中八九、一般市民だ。
偶然、とんでもない技術を手に入れてしまった。
その価値も危険性も正確には理解せず、しかし良心か恐怖心から専門機関に丸投げした……。
そんなプロファイリングが成り立つ」
「一般市民……」
小野寺が呟いた。
その声には深い疲労と警戒が滲んでいた。
「それが事実なら、最悪の状況だ。
核兵器のスイッチを幼児が持っているようなものだぞ」
厚生労働省の局長が、青ざめた顔で発言した。
「管理監、このナノマシンですが……もしプログラムを書き換えられたら、どうなりますか?
『細胞を修復せよ』ではなく、『細胞を分解せよ』と命令されたら?」
「……接触した瞬間に人間が溶ける、最悪の生物兵器になるでしょうな」
「ひっ……!」
局長が悲鳴を上げて口元を押さえた。
そうだ。これは医療革命であると同時に、国防上の最大の脅威なのだ。
テロリストに渡れば、東京は一夜にして死の街になるかもしれない。
「対応を協議する」
小野寺が卓上のマイクに向かって言った。
その声には国家の意思決定者としての冷徹な響きがあった。
「議題は二つ。
第一に、この情報の取り扱いについて。
特に同盟国であるアメリカ合衆国への報告はどうするか」
全員の視線が交錯した。
日米同盟。安全保障条約。
通常であれば、軍事転用可能な未知の技術が発見されれば、情報は即座に共有される。
だが、今回はわけが違う。
「……報告は保留だ」
内閣情報官の加藤が苦渋の決断を口にした。
「もしアメリカに知られれば、彼らは『日米地位協定』や『安全保障上の懸念』を盾に、検体と送り主の身柄引き渡しを要求してくるだろう。
米軍基地の中に持ち込まれたら、我々は手出しできない。
日本国民がネバダ州の地下施設で一生モルモットにされるのを、黙って見ていることになる」
「同感です」
堂島も頷いた。
「それに、この技術がアメリカの軍産複合体に独占されれば、日本の立場はなくなる。
これはエネルギー問題、食料問題、医療問題……すべてをひっくり返すジョーカーだ。
日本国内で発見された以上、まずは日本政府が確保し、管理下に置く。
それが『国民の生命と財産の保護』という、我々の職務だ」
「異論はないな」
小野寺が環視する。誰も反対しなかった。
ここには「親米」や「反米」といった政治的思想はない。あるのは「国益」という冷徹な計算のみだ。
「では決定だ。
本件は『特A級機密』に指定。対外的には『新種の感染症疑いによる検疫強化』をカバーストーリーとする。
アメリカ大使館、在日米軍の情報部……あらゆる情報収集ルートに対し、徹底的な情報封鎖を行え。
通信傍受の可能性を前提とし、本件に関するキーワードを電子通信で使うことは厳禁とする」
「了解」
「次に第二の議題。
送り主の特定と確保についてだ」
小野寺は堂島に向き直った。
「堂島局長。警察の出番だ。
ただし相手を刺激してはならない。もし彼がパニックになり、ナノマシンをばら撒いたり、あるいは自暴自棄になって破壊したりすれば、人類の損失だ。
慎重かつ迅速に確保せよ」
「承知しております」
堂島は手元のメモに走り書きをした。
「直ちにヤマト運輸へ開示請求を行います。
裁判所の令状を待っていては遅い。公安調査庁の権限と、内閣の『超法規的措置』として、コンプライアンス部に直接圧力をかけます。
彼らも『バイオテロの容疑者』と言えば、協力せざるを得ないでしょう」
「所要時間は?」
「30分もあれば、発送店舗と受付時刻、そして決済手段までは特定できます。
あとは店舗の防犯カメラの映像と、電子マネーやクレジットカードのログを紐付ければ、個人の特定は時間の問題です」
堂島の目が猛禽類のように細められた。
「今夜中には網にかかるでしょう。
SAT(特殊急襲部隊)と、NBCテロ対応専門部隊を待機させます。
相手が未知の兵器を持っている可能性を考慮し、確保の際は万全を期します」
「うむ。頼んだぞ」
小野寺は深く頷き、そして志賀所長を見た。
「志賀所長、真田主任。
貴官らは直ちに研究所へ戻り、検体の解析を続けてくれ。
ただし、これ以上の実験は許可しない。あくまで『観察』に留めろ。
ナノマシンが暴走するリスクを常に考慮してな」
「ははい! 了解しました!」
真田は椅子から飛び上がるように立ち上がり、敬礼した。
彼の顔には、科学者としての高揚感と、国家機密に関わってしまった一般人の恐怖が入り混じっていた。
会議は終わった。
だが、本当の戦いはこれからだ。
東京の地下深くで、国家権力という巨大な歯車が、たった一人の市民——工藤創一を捕獲するために、静かに、しかし確実に回転を始めたのだ。
一方、その頃。
東京都郊外、午後五時。
夕日が長く伸びる中古車販売店「あおぞらモータース」の敷地内で、工藤創一は満面の笑みを浮かべていた。
「へへっ……ついに来たか、俺の相棒」
彼の目の前には、綺麗に洗車された白い軽トラックが停まっている。
平成年式の古いモデルだが、タイヤは新品に交換され、エンジンオイルも交換済みだ。
その荷台の広さは、無限の可能性を感じさせる。
「毎度あり! いやー、お客さんみたいに即決で買ってくれると助かるよ」
作業つなぎを着た店主が、キーを渡しながらニコニコと擦り寄ってきた。
「しかしIT系の仕事してるって言ってたけど、本当に何に使うの? これ、農家のおっちゃんが使うような車だよ?」
「ええ、まあ」
創一はキーを受け取り、愛おしそうに撫でた。
「趣味で『庭造り』を始めましてね。
ちょっと広い庭なんで、資材を運ぶのに、どうしても必要だったんです」
嘘ではない。
その「庭」が東京ドーム数千個分の広さがあり、バイターという害虫が徘徊する異惑星だということを除けば。
「ははあ、なるほど。DIYってやつだね。流行ってるもんなあ」
「ええ、そんなところです。……じゃあ乗って帰りますね」
創一は軽トラのドアを開け、少しへたったシートに座った。
エンジンキーを回す。
ブルルルン! と軽快なエンジン音が響く。
高級車の静粛性とは無縁の働く車の音だ。だが創一には、それがファンファーレのように聞こえた。
「行くぞ、イヴ。これで輸送力が劇的に向上する」
『はい、マスター。積載量の増加に伴い、工場拡張計画の修正案を作成しました。今夜は忙しくなりますね』
脳内のイヴも、どこか楽しげだ。
彼らは知らない。
この瞬間、霞が関の地下で、自分を「バイオテロの容疑者」として確保するための包囲網が敷かれ始めていることを。
自分が送った「善意の医療キット」が、日米同盟を揺るがすトップシークレットに指定されたことを。
「安全運転で行こう。……目的地は、テラ・ノヴァだ」
創一はギアをドライブに入れ、アクセルを踏み込んだ。
白い軽トラックが夕焼けの道路へと走り出す。
その荷台には、ホームセンターで買い込んだ大量の単管パイプとブルーシートが積まれていた。
国家の追跡と、異星への脱出。
二つのタイムラインが交錯する中、何も知らない主人公は、新たな開拓の日々へとアクセルを踏み込んでいった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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