◇女神
無意識に呟いていたヒスカリアは、気がつくと真っ白な世界に立ったまま、一人ポツンと浮かんでいた。
呟き始めた辺りからなぜか意識がふわふわとしていたヒスカリアは、突然の変化に思わず目を見開く。
(ここはどこ!? 一体私どうなってしまったの!?)
叫びたい衝動に駆られつつも、なぜか怖くて声が出ない。
辺りをキョロキョロ見渡しても、ただただ真っ白な空間が続いているだけで、何も無い世界に一人きり。
先ほどまで居たジェインとレイヴィス、サマリア夫人の姿はどこにもない。
よくわからない場所にただ一人浮いていることに、どんどんと不安が込み上げてくる。
必死にその不安と戦っていると、目の前に突然小さな光の球が現れた。
「球……?」
おそるおそるその球を見ていると段々とそれが大きくなって、目の前で勢いよく弾ける。
そして、次の瞬間、目の前には美しく妖艶な女性が姿を現した。
その美しさと佇まい、それはまさに――
「女神様……」
ヒスカリアの口から思わず漏れた言葉に、その妖艶な女性は微笑んだ。
「そうじゃ。妾は女神。この世界の者を慈しみ、力を与える者。それにしても久しいな、ヒスカリア」
「……え!? め、女神様!?」
金色のウェーブの髪を靡かせ、少し気の強そうな女神は、赤い瞳で真っ直ぐにヒスカリアを見下ろすと、不思議そうな顔をする。
「ヒスカリア、なぜそのように驚く? 初めてではないであろう?」
「え??」
女神の言葉に、今度はヒスカリアが目を見開き、首を傾げる。
「いえ、初めてお会いするのですが……」
ヒスカリアがおどおどしながらそう言うと、女神は訝しむ表情になって、しばらく考え込む。
「あ、でも、もしかしたら、私の記憶がないだけかもしれません……私には七歳までの記憶がありませんから……」
ヒスカリアの言葉に、女神は何かを思い出したように、手を叩いた。
「ああ! そういえば、忘れておった。ヒスカリアの記憶は妾が封じたのだったな」
「え!? 女神様が私の記憶を!?」
「ああ。力と一緒に妾が封印した。それがカリオン、お前の父との約束であったからな」
「お父様との約束……?」
そうだとばかりに頷く女神に、ヒスカリアは詳細を尋ねようと、さらに声をかける。
「あのっ」
「私は説明するのは苦手でな……。見て来ると良い」
「え!? 見て来るって――」
言いながら、自分の姿が段々透けてることに気づいて、息を呑む。
「一人だと後々説明が大変だろうから、あやつも飛ばしてやろう。二人で見ておいで」
「え!? 女神様、二人って!? 私はどう――」
最後まで告げることができないまま、ヒスカリアは女神の力により、すっと消えた。
◇
気がつくとヒスカリアは、今度は薄暗い空間に移動していた。
どこかの山間部の上空に浮いている。
不思議なことに、記憶のないはずのヒスカリアは、その山に見覚えがあった。
そして、もう一つ不思議なことに、自分の身体がほんのり透けて光っていることに気づき、思わず声を上げる。
「え!? 私の体……透けてるの?」
「……ヒスカリア?」
自分の体をマジマジと見つめていると、後方からヒスカリアを呼ぶ声が聞こえ、その声のする方へと振り返る。
そこには、戸惑った様子のジェインが自分と同じように立った状態で浮いていた。
「ヒスカリア!? 無事だったのか!」
安堵したような表情で、ジェインがヒスカリアに近寄る。
するとそこで初めて、ジェインは自身とヒスカリアの身体が少し透けていることに気づき、眉根を寄せた。
「これは一体……どういうことだ!? それにここはどこだ? なぜ宙に浮いている!?」
「わからないのです。さっき女神様にお会いして、父との約束で私の記憶を封印されたとおっしゃっ……」
「女神だと!?」
ヒスカリアの言葉を遮りジェインが急に声を上げる。
「はい。女神様が力と一緒に封印したとおっしゃっていました」
「……なるほど。ということは、前侯爵は知っていたのか。だから君に対して何もしなかったのか。それで、今のこの状況はどういうことだ?」
少しの説明で理解してしまったのか、よくわかっていないヒスカリアを置き去りに、現状について尋ねてくる。
理解できていないヒスカリアは女神に言われた言葉をそのまま伝えるしかない。
「よくわからないのですが、説明するのは苦手だから見て来るといいと言われて、気づけばこんな状態に。その際に、二人で見ておいでとおっしゃっていました」
ヒスカリアが申し訳なさそうに説明すると、ジェインは頭を抱えつつも、原因がわかったことで少し落ち着きを取り戻したのか、ヒスカリアを安心させるように微笑んだ。
「女神の導きであれば、悪いようにはされないだろう。ちなみにだがヒスカリア、今見えている風景に見覚えはあるか?」
「よくわからないのですが、なぜかこの山に見覚えがあるのです。記憶を失くしてから山になんて来た事はないのに……一体どういうことでしょう?」
女神の導きだと言われても、まだまだ不安そうなヒスカリア。
するとジェインは何か確信を得たように、下を見下ろし、少しずつ高度を下げると何かを探し始めた。
慌ててヒスカリアもジェインの後ろをついていく。
そうして、少し広めの山道を見つけたジェインは、ヒスカリアをともなってその道へと下りていった。
「女神の言葉を考えると、おそらく、そろそろ通るだろう」
「一体何が……」
何が通るのかとヒスカリアが聞こうとして、目の前に現れたものに、思わず言葉が詰まる。
バークレイ侯爵家の紋章の入った馬車が物凄いスピードを出して通り過ぎようとしていた。
何かに追われているのか、明らかにおかしな動きで、走る馬車。
そして、一瞬見えた窓からは、ヒスカリアの両親と幼いヒスカリアと思しき幼女が身を寄せ合って、衝撃に耐えようとしている様子が見えた。
「い、今のは……」
「恐らく私たちは事故の日に飛ばされ、その様子を見せられているようだ。荒療治にも程があるな……女神。ヒスカリア、大丈夫か?」
少し怒りながらも、ヒスカリアの様子を気遣うジェイン。
けれど、ヒスカリアの中では複雑な心情が渦巻いていた。
(え? 事故の日に飛ばされた? ということは、事故の真実がわかるの!? 知りたい……! だけど、知ってしまったら、何かを失ってしまうような気がして怖い……)
「だ、大丈夫です……たぶん……」
思わず本音が漏れてしまったヒスカリアに、ジェインは手を差し伸べる。
「怖ければ、目を瞑っていれば良い。代わりに私が確認して、最後までしっかり見届けよう」
そう言って、重ねられていたヒスカリアの手を握る。
「ジェイン様……」
「だが、君にとって両親の生きている姿を見られる貴重な機会でもある。だから、後悔のないようにとだけ言っておこう」
握られた手の温もりに、ヒスカリアが少し心の落ち着きを取り戻す。
「……ありがとうございます」
「では、馬車を追いかけよう」
そう告げた矢先、目の前を禍々しい気配を放つ真っ黒い複数の影が通り過ぎていく。
「今のは……!」
「恐らく、あの影に追われているのだろう。呪術の類だな。あれだけの瘴気を放っているものを見るのは初めてだ。禁忌の呪いか……?」
「呪い……?」
「ああ。とにかく急ごう。追いつけなくなる!」
ジェインは、ヒスカリアの手を握ったまま、再び浮遊しだし、方向を決めると急に速度を上げた。
普段から浮遊魔法を使って慣れているのか、器用に馬車を追って飛んでいる。
慣れないヒスカリアはただジェインに身を任せる他なかった。
そして馬車に追いついた頃には、ちょうど馬車が崖に差し掛かり、転落しそうになっているところだった。
「この崖は……」
ジェインの声がいつもより低く、張り詰めている。
この崖こそ、事故現場であり、ヒスカリアの両親が亡くなったとされている場所だった。
お読みいただきありがとうございます。
女神に過去に飛ばされたヒスカリアとジェイン。
次は事故の真相と魔力継承です。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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ようやくクライマックスが見えてきました。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。




