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◇祖父の手帳

 全てを話し終え、ようやく泣き止んだヒスカリアは、サマリア夫人に抱きしめられていた。


 ヒスカリアの話を聞いたサマリア夫人は、開口一番、「そんな王子、蹴飛ばしてしまいなさい! 女性に無理強いするなど、王族の恥でしかありません!」と珍しく語気を強めて言い放った。

 その言葉に、ヒスカリアの心は大いに和まされたのだった。


「それにしても、本当にギリギリでも回避できて良かったですわ。無意識にでも本心からジェイン様に助けを求められて正解でしたよ」


「? どういう意味ですか?」


 キョトンとした表情で答えると、夫人はヒスカリアの左手を取り、指輪を見ながら真剣な表情で告げる。


「この指輪は、婚約の誓約魔法がかかった指輪です。互いを守る指輪なのですが、無理やり奪われたりしない限り、心の底から相手を思わねば、力を発動できないのです。ですから、もしヒスカリア様がお祖父様や他の方を思って魔力を流しても、発動しなかったでしょう」


「そ、そんな指輪だったのですね……」


(奪われた時以外にも発動する指輪だったのね……しかも、心の底から相手を思ってって……)


「全く、ジェイン様は言葉が足らなさすぎるのですよ」


「……あ」

「ヒスカリア様、どうかなさいました?」


「ということは、私が心の底からジェイン様を思ったことが、ご本人に筒抜けだったのですね……」


「ええ。ですから、ジェイン様はヒスカリア様を抱えてお戻りになったのでは? 先ほどレイヴィス様が嬉しそうにそうおっしゃっておられましたよ」


「……ああああ〜〜〜〜!!!」


 思わず淑女らしからぬ大声をあげてしまう。

 けれど、夫人はヒスカリアを咎めることなく、クスクスと楽しそうに笑っていらっしゃる。


(穴があったら入りたい……! ジェイン様は全てご存じだったのね……!!)


「……こちらの部屋へ来られる前、ジェイン様は何かおっしゃっていましたか?」


 恥ずかしさに顔を押さえながらヒスカリアが尋ねると、夫人はにこやかに微笑む。


「『ヒスカリアを頼みます』ととても心配そうにおっしゃっていました。ですから、先ほどお伺いしたラーカス殿下の件を、ジェイン様にお伝えしてもよろしいですか? 直接お伝えされるようでしたら、わたくしは黙っておりますが……」


「あ……サマリア夫人からお願いしてもよろしいでしょうか……」


「そうですわね。やはりご自分からは言いづらいですものね。承知いたしましたわ」

「ありがとうございます」



 そうして、ようやく落ち着いたヒスカリアが、サマリア夫人とゆっくりお茶を飲んでいた時だった。

 夫人の視線がテーブルの隅に置かれた古びた手帳に釘付けになる。


「……それは」

「どうかなさいましたか?」

「いえ、その……」


 夫人の声に、思わずヒスカリアもそれと言われる方向を見る。


「ああ、この手帳ですか? ご覧になられます?」


 ヒスカリアが特に何も思わず祖父の手帳を手に取ると、サマリア夫人は食い入るように手帳を見つめる。

 夫人のあまりの表情にヒスカリアは、手帳を手渡すと、夫人は懐かしそうにそれを手に取って微笑んだ。


「これは……ロイド様のものですね」

「……はい」


 祖父を「バークレイ侯爵」以外の名前で初めて呼ばれ、ヒスカリアは思わず目を見開いた。


(そうだわ。この方はお祖父様と交流があったのだわ……!)


 謁見のことがあって、すっかり忘れていたことに気づく。

 手帳を大事そうに見つめる夫人に、ヒスカリアは思い切って尋ねてみた。


「あの、サマリア夫人は、祖父とは親しかったのですか?」


 ヒスカリアの問いに、サマリア夫人は嬉しそうに頷いた。


「親戚でしたし、歳もそこまで離れていませんので、親しくさせていただいておりました。ヒスカリア様のことも、実はロイド様に伺っていたのですよ」


「え、お祖父様が私のことを……?」


「ええ。初孫が嬉しくて仕方ないといった様子で、色んな話を伺っていましたわ。ですが……あのような事故が起きてしまって……」


「……」


「ヒスカリア様はそこで記憶を失くされたのでしたね……」


「はい……顔に大きな傷を負い、記憶を失くしてしまった私を、祖父は気遣ってくれました。その手帳は祖父の形見です。何か封印が施されているそうで、開かなくて……ジェイン様も色々試してくださったのですが、ダメだったのです」


 ヒスカリアの言葉に、サマリア夫人はじっと手の中の手帳を見つめる。


「ヒスカリア様、こちらに魔力を込められたことはありますか?」


「え? 私の魔力をですか??」


 何を言われているのかわからず、戸惑いの言葉が出てしまう。


 それに対し、サマリア夫人は手元の手帳を見ながら、ある程度確信を持っているように答える。


「ええ……もしかしたら、これはバークレイ家の魔力でのみ解除できるものかもしれませんわね」


「……バークレイ家の魔力のみですか?」


「わたくしもバークレイ家の血を引いておりますので、わたくしでも反応するかもしれませんが、ヒスカリア様が込めた方が早いでしょうね」


 そう言うと、少し切なそうな表情で、ヒスカリアに手帳を丁寧に手渡す。


「どうぞ、魔力を込めてみてください。込め方は扉のプレートに込めるのと同じですわ」


 ヒスカリアは手帳を受け取り、一旦テーブルの上に置くと、そこに両手を添える。

 まだ少し魔力を出すことに違和感のあるヒスカリアは、ゆっくりと手に魔力を込めた。

 手元が温かくなると同時に、手帳が光り出す。


 そっと手帳から手を離し、その光を見守っていると時計の針が揃うような「カチッ」という音とともに、光が消えた。


「……やはり時間魔法でしたか。時間を止めて封印していたようですね」


「では、今ので……」

「ええ。封印は解除されましたね」


 おそるおそる手帳を手に取り、ページを開く。


 すると、あんなに頑なに開かなかった手帳が簡単に開いた。

 そして紙のページをパラパラとめくることができる。


 そこには少し癖のある滑らかな文字がほぼすべてのページに書かれていた。

 前の方にはカレンダーのようなものにスケジュールが記されていて、三分の二以上には文章のようなものが見られる。


「これは……手記? 日記でしょうか?」


 ページをめくっていくと、文章の頭には日付が記されている。


「どうやら後半は日記のようですわね」

「これは……私が見ても良いものでしょうか?」


 開けていた日記を一旦閉じ、悩ましげにヒスカリアが問いかける。

 その問いに、サマリア夫人も口元に手をあて考えこんだ。


「そうですね……本当はあまりよろしくはないとは思いますが、今はバークレイ家の魔力継承の手がかりが少しでもほしい状況と伺っておりますし……」


 魔力継承の手がかり……確かに、ヒスカリアはロイドからも父親からも何も聞いていない。

 もしくは、聞いていたのかもしれないけれど、彼女には七歳までの記憶がない。

 もしここに書かれているのであれば、それはとても有り難い。


「魔力継承の手がかり……書かれているでしょうか?」


「日記の時期にもよるとは思いますが、ある可能性がゼロではないと思います。それに……」


 サマリア夫人の声が急に躊躇うように、少しの間が空く。

 けれど、その躊躇う表情がとても優しく、手帳とヒスカリアを交互に見つめた。


「少し気になっていることがあるのですが……」

「気になっていること、ですか?」


「ええ……。でもそれよりも、この日記を読むことが、ヒスカリア様の記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないと、わたくしは考えますわ」

「あ……」


 この手帳に、いつの時期の日記が書かれているかはわからないけれど、祖父の日記ということは、ヒスカリアが記憶を失くす前の出来事が書かれている可能性が高い。


「もしかしたら、お父様やお母様のことが書かれて……」


「その通りですわ。一緒に住まれていたのですから、きっとご両親のことも書かれてあるのではないかと。それにもしかしたら、ヒスカリア様ご自身についても何か書かれているかもしれませんわね」


 夫人の優しいその言葉に、ヒスカリアの表情がどんどん明るくなる。


「読んでも良いでしょうか?」


「もちろんですわ。では、わたくしは退出させていただくことにいたします」


 そう言って夫人がソファから腰を上げると、ヒスカリアがそれを止めるように手帳から顔を上げる。


「あ、いえ。その……サマリア夫人さえよろしければ、一緒に見てはいただけませんか?」


「……え?」


 そんな提案をされるなど全く想定していなかったのか、サマリア夫人は驚きのあまり普段では見ることのないキョトンとした表情になる。


「わたくしも一緒に……ですか?」


「……ダメでしょうか?」


「いえ、わたくしは構いませんが……ロイド様はどう思われるでしょうね」


 悪戯っぽくそう告げると、夫人はヒスカリアの隣へと座り直した。




 それから半刻あまりが過ぎただろうか。

 二人は最初のページから、まずは『魔力継承』について何か記載されていないかを丹念に見ていった。


 どうやらこの手帳にはちょうど亡くなるまでの一年間ほどのことが記載されているようだった。

 後半の日記は、なぜかかなり日数が飛んでいる。

 その内容を少し読むと闘病しながら書かれたものだとわかる。

 きっと自身の体調が良い日にだけ書いていたのだろう。


 『魔力継承』についての記載の可能性は低いかもしれないけれど、あの事故についての詳細が書かれている可能性が高い。

 記憶を取り戻すきっかけにはなるかもしれないが、ショックを受けるかもしれない……。

 それに気づいたヒスカリアは、一瞬固まった。


 その様子に夫人は、そっと手帳を閉じて持ち上げると、何かを決意したような表情であらたまってヒスカリアに話しかけた。


「ヒスカリア様……わたくし、実はあの事故の前日、ロイド様にお会いしたのですが、その時のことがずっと気がかりで……」


「……何かあったのですか?」


「あの日、王宮でお会いしたのですが、ロイド様のご様子がおかしかったのです」


「おかしかった? それはどのようにおかしかったのですか?」


「真っ青な顔をしながら、不安そうにされていて、時よりブツブツと小さな声で『息子たちが危ない……』というようなことをおっしゃっていたのですわ」


「ええ!?」


 思わず声を上げてしまったヒスカリアを気にすることなく、夫人は続ける。


「あの翌日に事故が起きたので、あまりに気になって、すぐにロイド様に会うため侯爵家を訪ねたのです。ですが、ご子息に阻まれて会わせてもらえませんでした」


(元公爵夫人といえど、親戚……きっと侯爵位を奪われるかもと、祖父に入れ知恵しそうな人を遠ざけたのでしょうね。あの叔父ならやりかねないわ……)


「時間魔法で未来を見たのかもしれないと思って納得していたのですが、今回のヒスカリア様の件を伺って、もしかしたらあの事故は、事故ではなかったのではないかと思えて来てしまって……」


 サマリア夫人の不穏な言葉に、ヒスカリアは目を見開く。

 両親の事故が、事故ではなく誰かの手によるものだったなら……。


 ヒスカリアは手がかりを求め、慌てて再び手帳を開いた。

 まず事故のあった日前後のスケジュールを探す。


 目当てのページにいきついたところで、一緒に手帳を覗いていた夫人が声を上げた。


「まさか……」


 そこには「マナリア妃謁見」の文字が書かれていた。

 それは、事故の前日。

 まさに夫人が祖父に会った日。

 今回のヒスカリアの事件の首謀者であるマナリア妃。

 彼女が関係しているとなると、疑いが深くなる。

 謁見で祖父に一体何があったのか……。


 夫人と顔を見合わせたヒスカリアは、手帳を手に立ち上がる。

 夫人もつられるように一緒に立ち上がると、二人はジェインたちが待機しているであろう応接室へ向かった。




 手帳のことで頭がいっぱいになってしまっていたヒスカリアは、先ほどまでのジェインとのやり取りをすっかり忘れてしまっていた。


お読みいただきありがとうございます。

夫人のおかげで疑惑が浮上……事故の真相を探ることになりました。

次回もお楽しみいただけますと幸いです。


ブックマークや⭐︎の評価、いいねもありがとうございます!

大変励みになっております。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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