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禁呪

 レイヴンの体から漏れ出す血と闇は瘴気を生み出し、広大な平野をあっという間に魔物の大群で埋め尽くし、冒険者の街パラダイムを飲み込もうとしている。


「何故だ……」


 張り詰めた空気の中で呟いたのはゲイルだ。


 レイヴンが魔剣で自分を貫く事はある程度予想がついていた。しかし、それは魔物堕ちから戻って来る為のものになると思っていた。


 魔物堕ちから戻って来る手段として、自らを貫く事はゲイルも提唱した事がある。意外だったのは世界の理に干渉する事を選択したという事実だ。


「願いの力の発動には、我々が想像もつかない様な膨大な魔力を必要とする。だから今しか無いと考えるのは分かるわ。だけど……」


 疑問を口にしたのはニブルヘイムに起きた奇跡を実際に目にして来たユキノだった。

 氷に閉ざされた北の大地に起きた“奇跡” は人間の領域を逸脱していた。神の行いを知らないユキノでも、あんな事が出来るのはレイヴンだけだという確信があった。


「願いの力は自分の為の願いは叶えない。……だからだよ」


 疑問に答えたのはマクスヴェルトだ。


 願いの力は万能では無い。

 シェリルがこの力を『背中を押す力』だと言った理由がそこにある。


 世界の理に干渉して願いの通りに事象を書き換える。そんな超常の力でも、自分の為に使う事は出来ない。

 禁忌というしがらみを考慮しなかったとしてもそれは変わらない。


「じゃあ、レイヴンは一体どうやって元に戻るつもりなんだよ」


 世界の理を書き換えた後、レイヴンが生き残ったとしても人間に戻れないのなら、これ迄の様な生活を送る事は愚か、ありふれた日常を送る事など夢のまた夢。

 自我があった所で、それはレイヴンが戻って来たと言えるのだろうか。


「だから僕達が居るんだよ。願いの力を持っているのはレイヴンだけじゃない」


「シェリルの事か?でも、あれはレイヴンに受け継がれたのではないのか?」


「ええ、私にはもう願いの力を使う事は出来ないわ」


 そもそも、魔物堕ちから元の人間に戻す手段は“願いの力” と“魔神喰い” 二つの力が無ければ意味が無い。

 願いの力だけでは人間に戻る事は不可能だ。


「いや、レイヴンは魔神喰いの事を“ミストルテイン” と呼んだ。だったらまだ、レイヴンが可能性を捨てていないと思うんだ」


 マクスヴェルトが異界を旅している間に得た知識と同じ理屈だとしたら、レイヴンは魔剣その物を作り替えて願いとした筈だ。


「レイヴンが自分の願いを魔剣に託したのだとしたら、僕達に出来る事は一つ」


「全ての魔物を殲滅して、魔剣ミストルテインを援護する。そういう事ね?」


「御明察」


 ステラもまさか魔神喰いがこの様な形で完成するとは思わなかっただろう。

 こんな力は要らないと言ったレイヴンの願いは、新たな魔剣ミストルテインへと移譲される事で実現した。


「たく…お前の話は分かりにくいんだよ。初めからそう言えってんだ」


「レイヴンに近付く程、強力な魔物が発生している。そっちはリヴェリア達に任せるとして……」


「なら、出し惜しみは無しって事で良いのよね?」


 カレンは、これまでの様な紅蓮の炎の燃え盛る鎧姿では無く、真紅の鎧を纏っている。

 体内の魔物の力を気にする必要が無くなった事で体内を流れる魔力の制御が容易になったからだ。


 隣ではカレンを筆頭に腕に覚えのある各人が武器を構えて城壁に縁に足をかけていた。


「そういう事なら俺も行くぜ。仲間が世話になった礼をしたいのもそうだけど、今の俺がどこまで通用するのか試したい」


 そう言って同じく城壁の縁に足をかけたのはリアムの街代表のリアムだ。


「儂等も出るぞ!ドワーフ族が受けた恩を返さない事には美味い酒が飲めん!がはははははは!」


 西の城門には武装したドワーフの一団が鼻息を荒くして門が開かれる時を今かと待っていた。既に顔が赤い者もいるが、最高級の武装を身に纏った彼等であれば魔物の大群の中に拠点を築く事も出来るだろう。


 全員良い目をしている。

 万を超えようかという魔物の大群を前にして臆した様子など微塵も無い。


「分かってると思うけど、誰一人として欠けちゃ駄目だ。全員生き残って宴会をする。そうでしょ?」


 ランスロットは不適に笑い返すと、表情を引き締めた。


「モーガン!」


「弓部隊!魔物を西門から遠ざけろ!行動開始ッ!!!」


 風を切り裂くおびただしい矢の雨が降り注いだのと同時、固く閉ざされた西門が重たい軋みをあげながら開かれた。


「カレン!」


「攻撃目標は世界を隔てる壁内部にいる魔物全てだ!一人も死ぬ事は許さん!一匹たりとも逃すな!殲滅せよッ!!!」


 カレンの合図で城壁から飛び降りたランスロット達は魔物の群れに向かって突撃を敢行した。



 一方、リヴェリア達も動き出していた。

 カレン達が相手にするのはSSランクまでの魔物。レイドランク以上の魔物はこの場にいる三人で仕留める。


「ミーシャは上空を飛び回って皆の援護だ。最終的なタイミングは任せるが、まだツバメちゃんの力は使わないで良い」


「はいです!行きますよツバメちゃん!」


「くるっぽ!」


 ミーシャが飛び立った後に残った三人は、周囲を囲み始めたレイドランク以上の魔物達を警戒しつつ、互いに背を預ける様にして一箇所に固まっていた。


「クレア。いけそうか?」


「大丈夫です!全部やっつけてレイヴンの所へ行きたい!話したい事が沢山あるから!」


 クレアもすっかり自分を取り戻した様だ。

 修復を終えたばかりの魔剣エターナルがどこまで戦闘に耐えられるかは未知数だが、今のクレアであればきっと大丈夫だ。


「ルナはどうだ?」


「勿論大丈夫!ね、翡翠!」


『気軽に言ってくれる。これだけの数の魔物じゃぞ?全てを倒し切る前に主の魔力が尽きてしまう』


 精霊王翡翠の力を十全に発揮すれば魔物の殲滅は容易いだろう。しかし、完全な姿で顕現すれば世界崩壊に繋がりかねない。

 後はルナの才能がどこまで成長しているかだが、その心配は必要無い様だ。


「やだなぁ、僕だって何も用意して無かった訳じゃ無いよ。お誂え向きの夜だし、ここは一つ派手にやるよ」


 ルナは翡翠の手を握って魔力を高めた。


『ふふふ、やはり主は面白い奴じゃ』


「でしょ?」


 そう言ったルナは目を閉じて魔法陣を展開した。


 発動が難しい魔法でも、精霊王翡翠の力を借りれば実現可能となる。

 展開された魔法陣の規模は通常の十倍近い大きさに広がって幾重にも折り重なって青白い輝きを放っている。


「もしや……これは禁呪か。いつの間にこんな魔法を……」


 魔法にはあまり詳しく無いリヴェリアでも、これから放たれる魔法が生半可な物で無い事くらい分かる。


 だが、これを見て慌てたのはマクスヴェルトだ。


「ルナ!その魔法は駄目だ!僕が封印しておいた禁呪の魔導書を勝手に読んだでしょ⁈ 」


 リヴェリアは昔、全ての魔法を操ると言われるマクスヴェルトが大規模な攻撃魔法を使いたがらない訳を聞いた事がある。

 その時は上手くはぐらかされたが、今のマクスヴェルトの反応を見た限り、とんでもない魔法に違いない事だけは分かった。


「イーーッ!だ!今まで僕を騙してたのが悪いんだよーだ!」


『なんじゃお主、気付いておったのか』


「当然じゃん。精霊王が僕とすんなり契約するだなんて不自然過ぎ」


 翡翠がルナの事を気に入ったのは本当であり、契約を結ぶ気になったのも本気だ。しかし、マクスヴェルトとの繋がりを知らなければ、きっと魔物混じりの少女に興味も持たなかっただろうとは思う。


『さもありなん……』


 翡翠はマクスヴェルトに向かって“諦めろ” と合図を送って魔法に集中した。


 ルナが使おうとしている魔法は世界そのものの声を聞く魔法だ。

 世界の理を知る精霊王の補助無しには決して発動しない究極の魔法。


 ルナの紡ぐ言葉に反応する様に魔法陣に描かれた文字が変化していく。


 ーーー夜天に輝く星達よ。我が名はルナ。月の名を冠する夜天の主也。星よ来たれ!天空より降り注ぐ無数の煌きとなって、我が眼前に立ち塞がる全ての敵を討ち滅ぼし、一切合切の障害を薙ぎ払え!メテオレイン!!!



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