西の空へ
レイヴンとルナが姿を消した直後、頃合いを図っていたかのように姿を現したルーファスは、警戒するカレン達を他所に淡々と一方的に帝国の内状を話して聞かせた。
竜人族の魔物混じりが魔物堕ちしたとなれば、その被害は想像もつかない甚大な物になるに違いない。
カレンとエレノアも帝国へ向かいたい所だったが、カレンは本来派遣されていたマクスヴェルトの代わりを務める為に妖精の国に留まらねばならず、エレノアはフローラが回収して行ったクレアの魔剣の修復が終わるまでの護衛として一度戻らなければならいという間の悪い状況だった。
そして現在、妖精の森とアルドラス帝国とを隔てる国境付近の空に三つの影があった。
一つはまん丸でふっくらとした影、残りの二つはそれぞれ片翼の翼を持っていた。
「ミーシャちゃん!無理しなくても良いからね!」
「だ、大丈夫です!」
「くるっぽ!!!」
皇帝ロズヴィックの魔物堕ちという衝撃的な報せを聞いたカレン達が話し合った結果、シェリル、ステラ、ミーシャの三人が救援に向かう事になった。戦力としては心許ないが、帝国にはレイヴンがいる。であれば、結界の張れるシェリルとステラに加えて、ツバメちゃんで自由に飛び回って支援の出来るミーシャが最適だろうという結論になったのだ。
因みにランスロットは、リヴェリアの部下達と共に妖精王アルフレッドが会談を行う間の護衛役を買って出た。
てっきり自分もついて行くと言い出すと思っていたカレン達も驚いていたが、ランスロットの引き攣った顔を見て納得したのだった。
「ランスロットさんも後から来るって言ってましたけど、まだ回復し切っていないんでしょうか?見た感じ元気そうだったのに……」
「見た目はね」
「え?どういう意味ですか?」
「ランスロットも案外普通の男の子って事よ」
「???」
シェリルとステラは分からないといった表情をみせるミーシャを見てクスクスと笑っていた。
レイヴンとの戦闘で負った傷は右腕一本。
それはあくまでも表面的には、だ。
終始レイヴンを攻め立てていたランスロットの体は限界を超えて酷使され、本来なら即気絶してもおかしくない程の激痛に襲われていたのだ。それを痩せ我慢して何でもない風に装っていた。という話だ。
「本気のレイヴン相手に腕一本で済んだのは本当に凄い事だけれど、レイヴンの動きについて行くのは流石に無理があったのよ」
「多分、今頃はアルフレッドの治療を受けて寝てるんじゃないかしら?あ、今の話はランスロットには内緒ね。ミーシャにはバレて無いと思っているだろうから。ふふふ……」
「私に?んー……ランスロットさんは相変わらずよく分からない人ですね。あ、それよりツバメちゃん凄くないですか⁈ 前よりずっと速く飛べる様になったんですよ!」
翡翠の元から帰って来たツバメちゃんは、モフモフでまん丸な体からは想像もつかない様な速度で大空を駆けていた。
以前よりも格段に力を増したツバメちゃんだが、相変わらず戦闘能力は皆無。その代わりに翡翠から貰った『精霊王の首飾り』を着けている。この精霊王の首飾りは、一度だけ精霊王の力の及ぶ限りの願い事を叶えるという精霊界の秘宝だ。
「翡翠ちゃんがくれた首飾りを使えば、私だってツバメちゃんと一緒に戦えちゃいますね!もう足手纏いにはなりませんよ!頑張りますよツバメちゃん!」
「くるっぽ!」
翡翠から受けた説明で、ツバメちゃんが風の最上位精霊である事と、ミーシャとの契約を果たす為に下位精霊と同程度の力しか持っていない状態となっている事が正式にミーシャに明かされた。
それはツバメちゃんが自ら望んだ代償であり、それを受け入れた翡翠には二度と元の最上位精霊に戻してやる事は出来ないのだと言う。ただし、手段が無いという訳では無い。
『簡単な事じゃ。妾が直接契約を書き換える事は出来ぬが、一度結んだ契約を書き換えてツバメちゃんを元の姿に戻すには、妾と同じ力を持つ精霊界の秘宝を使えば良い』
秘宝の説明をした翡翠は精霊界の掟を自ら破ろうとしているのに随分とあっけらかんとしていた。
『何じゃ?掟はどうしたと?この後に及んで細かい事を言うで無いわ。黒でも白でもなければどうという事は無い。なに、数千年もすればまた首飾りは使える様になる。気にせず取っておくが良い』
それを聞いていたアルフレッドが頭を抱えていたのは言うまでも無い。
ミーシャとツバメちゃんの二人はやる気十分といった様子だ。
しかし、はしゃぐ二人を見たシェリルとステラは心配そうに眉を潜めた。
「あまり過信しては駄目よ」
首飾りの力を使えばツバメちゃんは本来の姿に戻って最上位精霊の力を行使出来る様になる。けれども、そこで問題となるのがミーシャの保有魔力量だ。
ツバメちゃんの召喚で精一杯のミーシャでは、良くて一撃放てるかどうか。下手をすればその一撃で魔力切れになって動けなくなってしまう。
それにミーシャは大きな力を持つという事の怖さを知らない。最上位精霊が認めたからといって、力を得てしまった快感に抗えるとは限らない。
当然、そんな事は翡翠にも分かっていた筈だ。だが、それも全てミーシャとミーシャを選んだツバメちゃんの為なのだろう。大体、精霊王が自分よりも下位の精霊の力を奪えるのに、契約を書き換えられないなどおかしな話だ。要するに、この首飾りは二人を試す方便なのだ。
「最上位精霊なら確かにフルレイドランクの魔物とでも十分に渡り合えるでしょうけど、効果に見合った魔力を要求される事を忘れないで」
「そ、そうでした……」
「足りない分の魔力くらいは私達が補ってあげられるけど、ミーシャには他にも出来る事が沢山あるわ。戦いは私達に任せて、首飾りは最後の手段として取っておきなさい」
「は、はひ!」
「ふふふ、緊張しないで。向こうに着けばレイヴン達とも合流出来るから」
シェリルとステラの二人はなるべくミーシャが緊張してしまわない様に配慮しながら、ルーファスが現れた事について考えていた。
ルーファスはレイヴンでもリヴェリアでも無く、わざわざ自分達に救援を依頼して来た。同じ帝国領土にいるレイヴンが、皇帝ロズヴィックの魔物堕ちに気付かない筈が無い。如何に皇帝が強大な力を持っていようとも、レイヴンがいれば一人で事態を収集する事も出来るだろう。
ーーーねえ、ステラ。もしかしてだけど、皇帝の魔物堕ちは故意だと思う?レイヴンには秘密にしているみたいだったのも気になるわ……。
ーーーどうかしら。ルーファスの話だけでは、ロズヴィックが魔物堕ちを選ぶ理由が分からないわ。トラヴィスでない事は確かね。
ステラは皇帝ロズヴィックがトラヴィスの魔眼の影響を受けてなどいない事に初めから気付いていたし、皇帝の方もステラの存在には気付いている様だった。
ロズヴィックを完全に操っている気でいるトラヴィスを見ているのは滑稽だったが、あの時は帝国内の事情などどうでも良かった。
何千年もの間、魔物堕ちを抑え込んでいた皇帝が魔物堕ちを選ぶ理由など検討もつかない。
「……大きな気配が近付いて来たわね」
西の空から感じる魔力は二つ。
まだ姿は見えないが、どちらも桁外れに大きな力を持っているのが分かる。
「反応が二つ?やっぱりルーファスは何か隠してる……」
「これはちょっと思っていたより厄介な事になっていそうよ……」
皇帝の相手だけでも時間稼ぎが積の山だというのに、同じ規模の魔力反応が二つもあるだなんて想定外だ。
「だ、だだだだだ大丈夫ですよ!レイヴンさんが居ます!」
「ふふ、そうね。先を急ぎましょう」
ルーファスの意図が何にせよ、レイヴンが気付くのは時間の問題だ。もし、レイヴンに気付かれては困る何かがあるのだとすれば、急いだ方が良い。
三人は帝国の方から感じる巨大な魔力の反応に向かって加速した。




