名無しの少女とレイヴン
脅威が去って一息つく間も無く、モーガン主導による街の復興再建計画が早くも始まっていた。
リヴェリアの部下達が協力を申し出た事で、肉体的、精神的に疲労のピークだった冒険者や住民達は交代で休むことが出来ている。
小気味好い槌の音が、街に平和が戻ったのだと実感させてくれる。
「おい、レイヴン。もう具合は良いのか?」
「ああ、腕はまだ完全にはくっ付いてはいないがその内治る。だから問題無い」
ランスロット達がレイヴンの腕を斬り落としてから、まだ数時間しか経っていないというのに呆れた回復力だ。
腰には魔剣『魔神喰い』がいつものように下げられていた。
「ランスロット……」
「何だよ?」
「その、なんだ……あ、ありがとう」
「……お前。やっぱ、まだ具合が悪いんじゃねぇか?」
「もうお前には言わない」
「悪かったって。ま、お前に礼を言われるのは悪い気はしないぜ」
「ふん……」
ランスロットと共に街を歩く。
街の住人達は疲れて眠っているのだろう。大通りにはリヴェリアの部下達の姿しか見えない。
冒険者組合の前では、ユキノ、フィオナ、ミーシャの三人が補給物資の炊き出しの準備を行っていた。
「あ! レイヴンさん! もう動いて平気なんですか?」
「問題無い」
「それにしても出鱈目な回復力ね」
「腕の方はもう良いの?念の為に治癒魔法をかけておいたけど、あまり無理しちゃ駄目よ」
「ああ。まだ痺れが残っているが、明日には完全に治るだろう」
「はあ…。そう、なら良かった。後ろのテントにお嬢と女の子がいるから会って来たら?」
「分かった」
配給所の横を通り抜けた先に野戦用の小さなテントが張ってあった。
テントの前ではライオネットとガハルドが警備をしており、ちょうど中から誰か出て来るところの様だ。
見た事の無い人物だが、少女の知り合いなのだろうか。
「おう、来たかレイヴン。もう体の具合は良いのか?」
「レイヴンの回復力にはいつも驚かされますね」
「……」
「ん? どうした?」
リヴェリアにその後の事を相談しようとしていたレイヴンは思わず立ち止まった。
目の前にいるのは、どう見ても十歳前後の子供だ。
栗色の髪に金色の目。腰には見覚えのある剣をぶら下げている。
「誰だ?」
隣にいたランスロットは腹を抱えて笑っていた。その様子からして知り合いなのだろうということは分かるが、まるで状況が分からない。
金色の目ということはリヴェリアの身内なのだろうか。
『ああ!』と言って手を叩いた少女は腰に下げた剣に触れて命令した。
「レーヴァテイン、第二まで解除だ。……? おい、聞こえているか? 第二まで解除だ」
『許可出来ません』
「はあ……。全く、完全に拗ねておるな。レイヴン、私だ。リヴェリアだ。力を封印している間はこの様な外見になるのだ。レーヴァテインの奴、お前との戦闘が終わったら勝手に全部封印してしまいおった。まぁ、今回はかなり無茶をしたので仕方ないがな」
聖剣レーヴァテイン。
聖の魔力を持つ者にしか扱えないとされる魔剣の一つ。レイヴンの持つ魔神喰い同様、謎の多い剣だ。
リヴェリアが姿を変えているのもレーヴァテインの力の一つという事らしい。
「……覚えておく」
「ああ、そうしてくれ。というか、ランスロット! いつまで笑っているのだ!」
「い、いや…さっきまでとのギャップが……ブフゥ、だ、駄目だ…腹が………ていうか、せめて喋り方くらいどうにかならないのかよ?」
「失礼な奴め! 私は昔からこういう口調だ!あ、そうだレイヴン。あの少女の事で話がある。ユキノ達の所へ行って話そう」
リヴェリアは補給食のビスケットを頬張りながら、今後あの少女をどうするか話し始めた。
ユキノとフィオナが小さくなったリヴェリアの世話を何やら嬉しそうにしているが御構い無しだ。話している内にどんどん髪型が変わっていくリヴェリアの話を纏めると、あの少女を中央にあるリヴェリアの家で預かるというものだった。
身寄りのない少女がこの世界で生きて行くのは難しい。野垂れ死ぬか、魔物の餌になるか、良くて奴隷といったところだろう。それでもいつまで生かされているか分からない。
中央でという点は不安だが、リヴェリアの家で生活出来るのなら、さほど不自由は無いだろうと思う。
「異論はない」
「それだけか?」
「どういう意味だ?」
リヴェリアの周囲には常に誰かがいる。ずっと付きっ切りで面倒を見られないとしても、自分と一緒にいるよりもずっと幸せな暮らしが出来る。そう思ったのだが……。
「ライオネット、連れて来てやれ」
「はっ!」
テントから出て来たライオネットは例の少女を抱き抱えて戻って来た。良かった。どうやら無事に意識を取り戻したらしい。
真新しい白色のワンピースを着せてもらって身綺麗になった少女は、レイヴンと同じ赤い目をしていた。予想はしていた。魔剣の力で少女の中にある魔を喰らっても、一度混ざった血までは元に戻せ無いだろうと。
「あー、…あー! レイヴン! う、あ、あー!」
手を伸ばして名を呼ぶ少女の言葉は拙く、辛うじてレイヴンの名前だけは言える状態であった。
体も一回り小さくなって、髪の毛と肌は色が完全に抜けて白く変質している。
「ユキノの話では、時間が経てば元の様に喋れると言うのだがな。意識を取り戻してからずっとお前の名を呼ぶのだ。まだ体が思うように動かせないらしくて、名前を聞いても首を振るばかりで字も書けない」
「……」
「こら、そんなに暴れたら……!」
「うあ、あーー!」
地面に落ちた少女はヨロヨロと立ち上がる。脚は震えて、今にも倒れてしまいそうだ。
再び抱き抱えようと近付いたライオネットをリヴェリアが制止する。他の皆も心配そうに見守るだけで、動こうとはしない。
手を貸すのは簡単だ。しかし、それでは駄目だ。これから先、少女は新しい体と自分の足で生きて行かなくてはならない。
少女は一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと前へ進む。
どんなに遅々とした歩みでも、苦しくても、それでも前へと向かって進むしか無いのだ。
自分がそうだったからなどと偉そうなことを言うつもりはない。少なくとも、この場にいる全員がそうやって今、ここに立っている。
もう少しでレイヴンのもとへたどり着くという時、バランスを崩して倒れてしまった。必死に立ち上がろうとする少女の服は汚れ、あちこち擦りむいている。
「あー!……うぅ、うあー!」
レイヴンを見上げた少女が伸ばした手は空を切るばかりだ。
本当は直ぐにでもその小さな手を掴んでやりたいのを拳を強く握って耐える。
「自分で立て」
「あ……」
うまく立てない少女は地面を這いずり、レイヴンの服を掴んで立ち上がろうと必死に力を込める。何度も何度も繰り返し地面に倒れても、少女は這い上がろうと必死にもがいた。
「レイヴンさん、もう……」
「駄目だ。手を出すな」
「でも……」
(頑張れ。もう少しだ)
ようやく立ち上がった少女は自分を見下ろすレイヴンの赤い目を見て満面の笑みを浮かべると、そのまま倒れ込むように胸へ飛び込んで来た。
レイヴンは優しく少女を抱きしめる。そして、皆には聞こえない様に少女の耳元で囁いた。
「よくやった……」
「あーうぅ! レイヴン、レイヴン!」
「うむ! よくやったのだ! ユキノ、治療してやってくれ。……とまあ、そういう訳だレイヴン」
一体何が、『そういう訳』なのかさっぱり分からない。
少女が無事に回復しているのは分かった。少しはこの状況を説明して欲しいものだ。
「私がその少女を引き取っても良いという言葉に偽りは無い。しかしな、どうにも私達と一緒に行きたがらないのだ」
「それで?」
「鈍い奴だ。それだけレイヴンに懐いておるのだ。お前がその少女の面倒を見るしかあるまい?それに、私はもう中央に戻らねばならん。元老院の爺共には一日で戻ると言ってしまったからな」
「……」
「安心しろ。旅に必要な物は既に準備させている」
「勝手な事を……」
懐いているからと言って旅に連れて行けとは無茶が過ぎる。
冒険者の仕事は遊びじゃない。危険の多いダンジョンに連れて行く訳にもいかないし、宿屋に一人で残していくのも不安だ。それになにより他人の面倒を見るだなんて自分には向いていない。
しかし、リヴェリアの方はそうは思ってはいないようだ。
真っすぐにレイヴンを見つめる金色の目は真剣そのもの。先ほどまでとは雰囲気も違っている。
「確かに勝手だ。けれどな、レイヴン。これは私…いや、皆からの願いでもある。どうか、その少女にこの世界で生きる術を教えてやってくれないか?」
「……」
「私の元でなら安穏と暮らす事も出来るだろう。魔物混じりに対する害意からも守ってやれる。だが、それでは意味が無い。ただ生きているだけだ。その少女がいつか自分で道を見つけられる時までで良い。その時、私の元へ来るも来ないも自由だ。そして最後に……レイヴン。これはお前にとっても良い経験になるのではないか? そう、私は思っている」
(俺にとって……)
本当にそうだろうか。自分の事で精一杯で、出来る事と言えば戦う事しか無い。そんな自分にこの少女の面倒を見ることが出来るのだろうか?
分からない。
「少し、考えさせてくれ」
「無論、構わないとも。だが、一時間だけだ。それが過ぎたら、私は中央へ帰る」
「分かった。それまでにまた此処に来る」
レイヴンはそう言うとユキノに少女を託してその場を後にした。
「あぅー! レイヴン! レイヴン!」
「駄目よ。傷を治して、それからまた新しい服に着替えなきゃ」
「それにレイヴンならまた此処に来るから大丈夫よ」
「レイヴン……」
レイヴンが一人で街へ向かったのを見送った面々は、揃ってリヴェリアへと視線を送る。
敢えて口を挟まずに聞いてはいたのは、どうにもリヴェリアの真意が見えて来なかったからだ。
レイヴンはこれまで一人で生きて来た。ここに辿り着くまでに、自分達では想像もつかない様な苦難を乗り越えて来たのだと思う。
そんなレイヴンに言葉も碌に話せない少女を預けるという案は些か強引な気がする。
基本的にレイヴンは自分から他人と交わらない。今でこそ自分達と会話をするまでの仲になっているが、他の人間と同じ様に出来るかと言えば、そんな事は無い。
とことん不器用な人間だ。けれど、とても優しい。本人はそんな素振りを見せたがらないが、長く付き合う内にレイヴンの本質に気付くのだ。
レイヴンは誰よりも人間らしく生きたいと願っていると。
「なあ、リヴェリア」
「何だ?」
「いや、リヴェリアの話はもっともだけどよ、最後のレイヴンの為になるってのが……」
「ふむ。今回の件、皆はどう思った? 街を襲った魔物の大軍。偶然ダンジョンで拾っただけの少女。どちらも昔のレイヴンなら力づくで解決していたと思わないか? 私達が居ようと居まいとな」
「確かに……」
リヴェリアの言う通りだった。昔のレイヴンなら、全て自分一人の力で解決していただろう。圧倒的な武力で敵をなぎ払い、敵がいなくなるまでひたすらに戦い続ける。けれど、何故か今回はだけは違った。
無理だからと殺すのではなく、危険を冒しどうにかしてでも生かす事を選んだ。
たった一度、ダンジョンで会っただけの少女の為に自分が魔物堕ちするかもしれない危険まで犯して少女を救ってみせた。
その行動はレイヴンを知る者であるほど違和感に感じられた。
レイヴンには同情という概念が無い。薄情だと言ってるのでは無い。誰にも媚びず、頼らず、自らの手で道を切り開いて来た。だからレイヴンが少女を生かす事に拘った理由が今一つ分からなかった。
「昔からレイヴンは不思議な人でしたよね。でも今回のは何て言うか……」
「そうよね。私も気になってたわ」
「レイヴンらしく無いっていうか」
「ふふふ。そう難しく考える必要は無いぞ。あの少女を抱きしめた時のレイヴンの目を見たか? あやつはもう決めておるよ。確かに迷ってはいる。けれど、レイヴンは必ず此処に来る。そういう男だとは思わないか?」
「ああ、そうだな。確かにその通りだ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
森の中にある小さな集落ーーーー
酒場の扉を開ける。
昼間だからか自分達の他に客はいない様だ。
「水の入ったボトルを売ってくれ。それと、ミートボールパスタと水を二人分頼む」
「待て待て! 三人分だ! 俺だけ仲間外れにするなよ!」
「お前の分は払わないぞ」
「へいへい。それで? これから何処へ行くんだ?」
「西だ。ドワーフ達の街へ向かう。そこでなら依頼も豊富にあるだろう」
「あの街か。何年か前に一度だけ立ち寄った事があるな。だけどよ、あそこの依頼は採取系ばかりだぜ? 手間ばっかかかるし、報酬だって安い。ははあん……」
ランスロットは不敵な笑みを浮かべてレイヴンを見ていた。
何も考えていない素振りだった癖にちゃんと考えているらしいと思って。
「何だ?」
「この子の為だろ? 」
「知らん。それと、名はクレアだ」
「あぅー!」
「名前? この子が喋ったのか?」
「俺が付けた。呼ぶのに困るからな」
「お前が!?」
「ああ」
他人に無関心なレイヴンが名前を付けた。
これはレイヴンの中で何かが変わり始めたという事だろうか。
「へぇ……クレア、ねぇ。良い名前じゃないか。よろしくな、クレア!」
「あうー!」
「止めろ。あまり話しかけるな、馬鹿がうつる」
「何だとコラ!!!」
「あーうー!」
「何だよ! クレアまでレイヴンの味方かよ!」
「当然だ」
リヴェリアが俺に言った事。
正直、今までもよく分からない。
けれど、あのままクレアを放っておく気にはなれなかった。いつか、リヴェリアが言う様に、クレアが自分の道を見つけられるまで側に居てやろうと思う。
俺に何が出来るのか、何がしてやれるのか。分からない事だらけだ。
ただ、一つだけ思う事がある。
俺を救ってくれたオルドも……きっと今の俺と同じ気持ちだったのではないだろうか、と。
理由なんてよく分からない。直観的にそうする事が正しい気がした。
あの子を、クレアを引き取る事で何かが変わるような、きっかけになるような気がしたのだ。
「クレア、ミートボールはこうやってフォークで刺して食べると良い」
「おー!」
「ったく、もう親バカかよ……。案外向いてるんじゃないか」
「放っておけ」
これにて第一章 冒険者の街パラダイム編完結となります。
ここまで読んで下さった皆様に感謝申し上げます。
次回より、新章開幕となります。
一人でも多くの方に読んで頂ける様、精進して参ります。
これからもレイヴン達を宜しくお願い致します。




