6 王との謁見1
翌日、出発を前に王への謁見の機会が設けられた。王自ら礼を言いたいと言われれば、断ることはできない。機嫌を損ねれば礼金がもらえなくなるどころか、下手すれば命を落とすことだってあり得る。
謁見の間には王だけではなく、大臣やあの日悪魔の奇跡を目の当たりにした宰相、役人らも一堂にそろっていた。病が蔓延している中、多少顔色の悪い者はいたがそれなりの人数がそろっている。あの「死ね」の魔法が漏れ出して周りにも効いてしまったのかもしれない。せっかくの金づるを逃してしまったことに男は思わず舌打ちしたが、ここが王城であることを思い出し、不敬のないよう笑顔で繕った。
「さて。…この度は朕の病回復に尽力したこと、礼を言う」
王の回復は早く、色つやもよくなっていた。つい四日前には死にかけていたとはとても思えない。物資の不足する民とは違い、充分な栄養を取ることができる身分なのだ。
「それでは褒美を取らせる」
侍従が布袋を三つ積み上げたトレイを運んできた。ずいぶん重そうだ。あの中身がすべて金貨だとしたら、庶民なら一生遊んで暮らせるだろう。
思わずにやける男の前を通り過ぎ、侍従は宰相の前で止まり、用意された台の上にトレイを置いた。
「お、おい、それは俺の」
「王の御前である。勝手な発言は控えよ!」
男は場の雰囲気がいつもと違うことに気がついた。治療の直後のように自分を功労者として称える者はいない。あの悪魔がいないせいでありがたみを忘れてしまったのか。
「約束を違えるんですか? とっとと礼金を払い、あの悪魔を返してください。あれは私の所有物だ。あの悪魔は私でなければ抑えられず、あなた方の自由にできるもんじゃない。この国に災いをもたらす…」
「無礼者っ!」
興奮のあまり思わず王に向けて足を進めた男を衛兵が押さえつけ、男はその場に膝をついた。
「よい。離してやれ」
王の言葉で衛兵は手を放したが、男のすぐ後ろに控えた。何かあったら即座に捕えるつもりだ。
「続けよ」
王の言葉で、宰相の横にいた令嬢が前に出て、優雅な礼を見せた。
宰相は巻物を広げ、その文面を読み上げた。
「エレン・ローヴァイン。この度の王の治療、および王城、王都の民に対する病魔払いに対する功労に謝意を表し、金貨三百枚を進呈するものとする」
エレン・ローヴァインとは誰だ? 褒賞を横取りするのか。一体こいつは…
令嬢の左腕には長手袋とドレスの袖の間に黒い羽根の刺青があった。それを見て、男は初めて自分が買った「悪魔」がエレンという名を持つことを知った。
礼をした令嬢が頭を上げた。
つけ髪を足して結い込まれた髪。化粧のノリの悪い肌。腕や顔に残る傷。服の下に隠れた部分にはもっと大きな傷跡がいくつもある。買ってから一度も風呂に入れたこともない薄汚れた悪魔は、今、見た目だけであればこの王城にあって違和感なくなじむ一人の令嬢になっていた。
あまりの化けように男は驚いたが、報奨金惜しさに王城が仕組んだこざかしいトリックを苦々しく思いながらも、すぐさま糾弾する方法を思いついた。
「…恐れながら! ここにいる皆様は悪魔に騙されています。こいつは私が連れて来た悪魔だ! 私という抑えがなくなり、皆様の心を乗っ取ろうとしている。大変危険なことです。惑わされてはいけません!」
「黙れ」
冷静な宰相の言葉を遮り、なおも男は言葉を続けた。
「いいえ、あなた様も惑わされてしまっておられる。これは大変だ。ここは私が」
立ち上がりエレンに近づこうとした男を、直ちに衛兵が捕らえた。
男とエレンの間に立った宰相は、男を見下ろし、冷静に問いかけた。
「この国では人身売買は禁止されているのを知っているな?」
宰相の言葉に男は息を飲んだ。
「この者は悪魔ではなかった。この者は食事の前に祈りを捧げ、女神の言葉を唱える敬虔な者。ここにおわす陛下をはじめ、陛下の臣下たる我々を病から救ったこの者こそ真の功労者であろう」
真実を語られ、男は焦った。悪魔ではないという前提はあってはならないのだ。
「騙されている、あなたはこの悪魔の言いなりになって動いているだけだ」
「おまえが何をしなくとも、この者は暴れることも、人に害をなすこともなかった。何を根拠に悪魔と呼ぶのか」
宰相の背後で、エレンは男と目が合わないよう顔を背け、それでもこの場の話を聞き逃さないように震える心を懸命に押さえつけた。
男は今自分を押さえている衛兵があの時エレンを押さえつけていたものだと気付き、必死に訴えかけた。
「死にゆく者に『死ね』と追い打ちをかけるような悪魔だ! 王様にだってそう言ったのを、あなたも聞いていたでしょう!」
衛兵は一瞬顔を歪ませたものの、男を押さえ付ける手を緩めることはなかった。
「一言、何が死んでほしいのか言葉を添えれば誤解はない。それだけのことだ。『黒いもやもや、死ね』と言っても同じ効果があった。ここにいる者達の前で実践したのだ。ここにいる者全てが証人だ」




