2 王を治療する悪魔2
「待て」
引き留めたのはこの国の宰相を務めるフェリクス・ローヴァインだった。
「実績はあるのだな?」
念押しをする宰相は、悪魔の試用に迷いはないようだ。
「効果のほどは悪魔の機嫌次第ですが、私が従わせましょう」
「…ついて来い」
宰相の一言で、その怪しげな男は本来足を向けることが許されない城の奥へと案内された。
王の眠りを妨げないよう、部屋は薄暗く、看病する者のためにわずかな明かりが灯されていた。
病が発症してからごく限られた者しか近寄らなかった王の寝室に、ここ数日幾度となく訪れては去って行く聖魔法使い、魔術師、薬師を見ていた侍女は、宰相や役人と共に見かけない怪しい男が現れてもさほど驚きを見せなかった。それだけ切羽詰まっているのだ。自分に代わる侍女ももういない。発症しても王と共倒れになるしかない。
「早速試せ。成功すれば褒美を取らせる」
男はにやにや笑いながら一礼すると、人型を王に向けて押し、よろけて倒れるとその体に蹴りを入れた。
「ぐずぐずしてないで、とっととやらないか!」
丸まった体は小さく震えていたが、人型はゆっくりと起き上がると、三歩ほど王の近くに歩み寄った。衛兵が剣に手をかけた音に人型はびくりと驚き、そのまま足を止めたが、剣は抜かれていないことを確認すると視線は王に向けられた。
天蓋と布団で王の姿はほとんど見えなかったが、体の形に盛り上がる布団を見ているうちに人型は半歩下がり、小さく悲鳴のような声をあげた。
「……消えて。…いなくなれ」
王に向かって投げかけられる言葉は不敬そのものだった。捕らえようとする衛兵を宰相が首を横に振って止めたが、衛兵を恐れたのか、人型は声を発せなくなった。
誰もが次の動きを待っていたが、フードに隠れた顔はうつむいてさらに見えなくなり、口を動かしてはいるようだが、声も聞こえない。
フードを顔を隠すように両手で引っ張り、うずくまった人型に、男が再度蹴りを入れた。
「早くしやがれ、この悪魔野郎がっ」
その場に倒れた人型からうめき声が聞こえた。
男は悪魔を飼い慣らしていると言ったが、それは本当なのだろうか。悪魔と呼ばれるこの生き物は明らかに男に怯えていて、反抗する気も持ち得ていない。何度も何度もこういう目に遭ってきたのだろう。
それでもなお人型は立ち上がり、王の寝床を見た。
「…なれ。………え。……で…」
「聞こえねえぞ、おらっ」
王に聞かせるにはあまりにひどい言葉だが、まだ術は発動していない。いつまで待てばいいのか、役人達も不審に感じ、この茶番のやめ時を考慮し始めた頃、
「消えちゃえ…。……来ないで。あっち行け。……消えて。……いなくなれ。……」
人型の語気が強まり、震えながらも王の寝姿を睨みつけていた。
そして、
「…やだ! ……消えて! ……死んじゃえ!!」
「王に向かって何を!」
決して口にしてはいけない言葉を王に向けた人型に、衛兵は人型を押さえつけた。人型は何の抵抗もなくその場に倒れ、痛みに声を上げても抵抗することはなかった。
「その男共々捕らえよ!」
役人の言葉で、男にも衛兵が詰め寄ったが、
「無礼はお目こぼしいただく約束ですぞ!」
と男は反論した。
「これがあの悪魔の力ですよ。ほらっ!」
男は王の寝床を指さし、その場にいた者は皆その指が示す方に目をやった。
「へ、…陛下!」
王のそばにいた侍女が驚いたように声をあげ、すぐに宰相が王の元に駆け寄ると、王の体にあった発疹は全て消えていて、苦し気に荒れていた呼吸も穏やかになっていた。
「失礼いたします。ご容赦のほど」
宰相が王の額に手をやると、ずっと下がらなかった熱は微熱程度になっていた。しかし体は病との戦いでやつれたままで顔色は悪い。奇蹟をおこす聖女の聖魔法のように全てが回復し、健康体に戻ったわけではないが、確かに病は消えている。
「…み、……水を」
うっすらと目を開けた王が水を求め、侍女は吸い口をあてがった。ゆっくりと王は水を口に含み、やがて安らかな寝息を立て始めた。
男は得意げに宰相を見ていた。
「どうです? 効果があったでしょう。この悪魔が呪った人は、私の術で呪いが反転し、命を吹き返すのです」
男の言葉に役人達は感心し、さっきまでの罵倒を忘れ、口々に男を褒め称えた。
「おお、悪魔の術を逆手に取るほどの力をお持ちとは!」
「実に見事だ! 素晴らしい!」
「褒美を取らせねば。まずはゆるりとお過ごし頂こう」
その夜、男は王城に客として滞在することになった。
しかし人型は「悪魔」であり、いつ何時危害を及ぼすかわからないため、安全確保のため城内の同じ部屋で過ごすことは許されず、王城の地下牢で預かることになった。男は難色を示したが、実際に牢に案内され、檻の中で小さくうずくまっている人型を見てしぶしぶながらも受け入れた。
男はゆったりと湯浴みした後、用意された上等な服に着替え、贅沢な料理、高級な酒に舌鼓を打った。
王の命を救ったのだ。これくらいは当然、もっと高く評価されてもいいはずだ。充分な礼金あるいは貴金属、もしかしたら領地や爵位をもらえるかもしれない。そうなれば「悪魔」連れの旅などやめてしまっても、左うちわでのんびりと暮らせるだろう。
男は王が病を受けた幸運に感謝し、高笑いした。




