第八十六話 戌は切望する
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ずっと、つまらなかった。
ずっとずっとずっと、退屈だった。
お姉ちゃんと離れての生活も、誰にも求められていない現実も。
入寮してからの全部が、カラカラに渇いた砂漠のように楽しくない時間だった。
だから気晴らしに買い物に行こうと寮を出たら、たまたま神さんの姿を見かけたとき。
神さんを学校外で発見するなんて物珍しい光景に、『退屈を紛らわせるようなナニカが起こるかも』なんて、少し期待してしまったんだろう。
もともと散歩も兼ねて、駅の方まで歩いて行くつもりだったけれど。
神さんがバスを使っていたら、神さんの行く先も知らないままで、わたしもバスに乗り込んでいたかもしれない。
偶然にも神さんはわたしと同じ方向、つまりは駅に行くまでの散歩道を歩き出した。
『目的とする方角が同じだから』って、そんな言い訳を心の中で呟きつつ、神さんを見失わない程度の距離をあけてついて行った。
声をかけてみるなんて考えは、頭に浮かんでもすぐに却下した。
だってこれまで、ろくに話したこともないし。神さんって、かなーり近寄り難いような女の子でもあるし。
誰かの後をつけることなんて初めてだったけれど、神さんは私の尾行にもおそらく気づいていないままで、トコトコと歩みを進めて行った。
だけど寮を離れて大した時間も距離も経っていない時分で、神さんはわたしの想像していた道筋から外れた道に入った。
駅に向かっているのかと思っていたけれど、そうじゃなかったみたい。
神さんは駅の方角とはあさっての方にスイスイと進んでいった。
……まだ午前中だし、別に誰かと待ち合わせしているわけでもないし。
そんな言い訳を免罪符に、わたしはそのまま尾行を続けた。
神さんが見ず知らずの道を進み、その目的地も予想できないままで、コソコソと尾行しながら歩くこと数十分。
人気もない小道の真ん中で、神さんが初めて立ち止まった。
何か目的があるのか、はたまたここが到着地点なのか、あるいはただの小休止なのか。
神さんに見つからないように曲がり角に身を潜めて、探偵にでもなったような気分で少し高揚した気持ちを抑えつつ。
コッソリと神さんの様子を覗き見ていたのだけど。
神さんはキョロキョロと周りを見回して、取り出したスマホを少しだけポチポチといじり始めた。
何か調べ物か、誰かに連絡を取っているのか。そこまでは、この距離じゃ流石に確認することができない。
もしかしたら、待ち合わせをしている子が私の後ろからやって来るかもと背後を見ても。
遠くに誰かの人影がボンヤリ見えるだけで、こっちに近づいてきそうな様子でもないし、神さんと合流するような人の姿は確認できなかった。
ひと安心かなと胸を撫で下ろして、あらためて神さんの観察を再開したら、神さんは何故かスマホをブンブンと上下に振り下ろしている。
……何やってんだろ。充電切れたのかな?
そんな予想もなんか当たっているっぽくて、神さんはまたスマホをいじり出したけど、すぐに画面から目を離した。
ギュッとスマホを握った両手を胸にあてて、また周囲をキョロキョロと見回したと思ったら、その場にしゃがみ込んでしまった。
わたしは結構目が良くて、神さんより遠くの電柱に張ってあるチラシの内容も確認できるほどではあるんだけど。
いま辺りを見回した神さんの表情は、なんか今にも泣きそうな顔をしていた。
焦っているというか、不安そうというか……いや、そのどっちも含んでいそうなそんな顔。
これまでの神さんの行動も、その表情も。
そんないろんなピースがはまる状況なんて、わたしには一つしか思いつかない。
神さん、迷子になっちゃったのか……。
そう思い至ってから見る神さんの姿は、まさしく迷子のそれだった。
◇◇◇
五月の温かな陽気のなか、人気のない小道の片隅で。
小説に出てくるような表現ではなく、本当に頭を抱えて神さんがしゃがみ込んでから、幾許かの時間が過ぎた。
その間、わたしもただ黙って見ているだけではない。
声をかけるべきか。
でももし尾行してたのがバレたら、気持ち悪がられるかもしれない。
誰かが通りかかれば、神さんが道を聞いたりできるのに。
他の人の力を頼ろうとも、この場に新たな人の登場は期待できそうにもないし。
私の背後に今も薄ぼんやりと見える人影に協力を求めるとか。
だけどその人になんて言って説明すればいいのかわからない。『わたしが直接助けてあげれば良い』って思われるのは当然だし、最悪な状況として、その間に神さんがまた動き始めて、見失ってしまうかもしれない。
そんな葛藤に苛まれながらも、ひたすらに隠れて神さんのことを見守っていた。
一番期待しているのは、神さんが道を引き返してくれることなんだけど……。
そんなことを考えていた矢先に、神さんが立ち上がった。
だけどその時の強がっているような表情には、不安しか感じられなかったし。
案の定その不安は的中して、神さんは道を引き返すでもなく、さらに未踏の先へと足を踏み出そうとしていた。
「……あの!」
「うぇっ!?」
隠れていた道影から無意識に身を乗り出して、その背中に声をかけていた。
驚いた表情で振り返った神さんと、ついついその身を曝け出してしまったわたし。
今どこにいるのかもわからないような、こんなヘンテコな状況のなかで。
わたしは神さんと、はじめての邂逅を果たしたのだった。
◇◇◇
神さんを横に連れて、いままで歩いて来た通りを戻る道すがら。
何度も御礼の言葉をいただきながらも話を聞くと、果たしてこの子の目的地は駅で当たっていたらしい。
駅に歩いて向かうのは初めてだったらしく、見切り発車で歩き始めて、最終的にあのような辺境の地に迷い込んでしまったとのことだった。
「戌丸さんが声をかけてくれなきゃ、多分あのまま死んでました……本当にありがとうございますぅ……」
「い、いえいえ! お役にたてたようなら良かったです!」
グスグスと泣きべそをかきながら、右手だけで涙を拭っている神さん。
左手は埋まっている。だってわたしの右手と繋がっているから。
……いつまで繋いでおけばいいんだろう。
神さん、離してくれそうにないほどにギュッと握ってきてるし。
確かに最初に『こっちです!』って手を引いたのはわたしの方だけど、時間が経てば経つほどに、流石に恥ずかしくなってきた。
おててを繋いで誰かと歩くなんて、お姉ちゃんと数年前にしたとき以来だし……それも親愛があってのもので、恥ずかしさとかは全然なかったけれど。
神さんも迷子になって不安だったのか、『絶対に離さない!』とばかりに握ってきている。
なんとなくの流れで、そのまま駅まで案内なんかして。
……流石に通行人の姿が見えはじめたあたりで、繋いでいた手は放させてもらったけれど。
そのあとも神さんの買い物に付き合ったり、時間もちょうど良かったから、一緒にお昼ご飯を食べたりした。
全部わたしから申し出て、神さんも快諾してくれたから、ずっと同行していたんだけど……。
神さんという女の子は、わたしの常識におさまらないほどに世間を知らない子だった。
どこにどういうものがあるのかよく知らなくて、ご飯を食べるためにお店に入っても戸惑っている。
その度にわたしを頼ってきたから、すぐさまサポートのために尽くした。
本人に聞いてみれば、外出して買い物や外食をした経験が皆無らしくて、なるほどこれがいわゆる『箱入り娘』というものなんだろうと納得した。
漫画に出てくるようなそんなお嬢様が現実にいたことには驚いたけれど、神さんの浮世離れした雰囲気には、納得させるだけの説得力があった。
……そして神さんとのそんな時間は、瞬く間なんて表現では長すぎるくらいに、あっという間に過ぎてしまった。
ずっと楽しかった。
ずっとずっとずっと、充実していた。
わたしが同行を申し出たのだって、『特に予定もないから』なんておためごかしを口にしながら……その実、自分のためだって自覚はある。
だって、きっと、神さんは私を必要としてくれそうだったから。
そして実際に神さんは私を頼ってくれた。私は神さんのために尽くすことができた。
ずっとずっと、私の学校生活は空虚だったけれど……。
まるで彷徨っていた砂漠に突然現れたオアシスのように、『ようやく現れてくれたんだ』って。
そんな興奮が、わたしの渇いていた心を満たしていった。
わたしのことを必要としてくれる存在、ずっと求めていた存在。
ずっと望んでいたような人、神さんという女の子を……。
わたしはその日、みつけることができたのだった。
◇◇◇




