第70話 四方十字の『聖痕』
俺達プレイヤーは、肉体に精神が引っ張られる。つまり幼女の肉体を持てば、中身がジジイだろうと幼女の心を持つことが出来るということになる。
魂というものがあるとして、それは容れ物の形に合わせて変化するのだと俺は認識している。プレイヤーに限るのかもしれないが。
だがいくら形が変わろうと芯は中々変化しないもの。だから俺達プレイヤーは歪な精神性を持つのだ。
《化粧箱》とは、肉体……魂の容れ物を変化させるスキルだ。それはつまり、元の精神をまた変化させることに繋がる。
既に歪なものを更に歪ませるスキル、使用後のプレイヤーは当然別人の様な人格になる。それは果たして変化前と同じ存在だと言えるのだろうか。
俺がかつて見た《化粧箱》を使うプレイヤーはとある人間を模していた。そして、ほぼ『変化後』の人間の様な振る舞いをしてみせた。いや、そうなってしまうのだろう。
なので例えば、俺を模した姿をとるプレイヤーがいたとしたら……まぁこういうことになる。
*
三十くらいの年齢だろうか。ボサボサの茶髪に無精髭がだらしなく、陰鬱なオーラを纏ってよりみすぼらしく見せていた。
その男はテーブルに並べられた食事にほとんど手をつけておらず、ただ酒をチビチビ煽っている。
その男のテーブルに置かれた手に、黒髪の2Pペペロンチーノことグリーンパスタが小さな手を重ねる。
「一体、何があったらその様に悲しい瞳をするんです?」
憂いを帯びた瞳だった。心底からこの男の事を心配しているのだと、そう瞳が語っている。
グリーンパスタが触れているのとは逆、酒を持つ手に小さな手が重なった。俺の手だ。
もし良ければ、私達に教えてもらえませんか? そう俺が続くと、酒を飲むのをやめて男が苦笑した。
「いや、なんて事はない。俺がだらしないのさ」
そうは言うが、とても聞いて欲しそうな顔をしている。慰めを求めているのだ、女々しい野郎だ。だから追い出されたんだな。
俺はニコニコしながら内心毒づいた。俺がこの男の構ってちゃんを察する事ができると言う事は、もちろんグリーンパスタもそれが分かっているということだ。
「話してください。とても、辛そうな顔をしています」
まるで聖母の如き包容力。俺も負けじと催促する。
吐き出せば、楽になれますよ? なんか毎回こんな事を言っている気がするが、喋りたい人間にはこれが一番効くのだ。
要は理由が欲しいだけだ。
「はは、君達は息ぴったりだね。そうだな、だらしない男の、だらしない結末を聞いてくれるかい?」
魔王復活によって、通常の獣より魔力が高く、かつ凶暴になった魔物と呼ばれる存在の『力』が増している。
そんな中、聖公国は魔王軍幹部に対抗し得る『聖痕』の勇者を集めている。しかし、『聖痕』を持たずとも魔王討伐軍と呼ばれる組織に入ることは出来る。
入ると何が良いのか、単純にそこで実績を積めば箔がつく。歩合制で給金も出る。そんな感じである。迷宮潜りよりはまだマシな稼げる仕事だ。
その魔王討伐軍というのは、各地で頻発する魔物被害及び魔王軍幹部出現の情報を収集したり、それを鎮圧したりといった魔物と魔王軍相手の傭兵みたいなものだ。
このシケた男は三十手前の年齢らしく、討伐軍に入って知り合った奴等と五人パーティでその活動を行なっていたが……
「俺にはなんの才能もなさそうだ。はっきり言ってずっと足手まといだった」
ははっ、と。乾いた笑いで涙をこらえる男。俺はその男の右手の甲に……シミのように刻まれた『聖痕』を見てグリーンパスタに疑問符をぶつけた。
1.ペペロンチーノ
コイツ『聖痕』あるけど?
2.グリーンパスタ
光がない。つまり覚醒してないんだよ。しかも四本線……『十字』の『聖痕』か、才能無いなんて、気付いていないだけだね。
へぇ。覚醒とかあるんだ。
正直『聖痕』というのがよく分かっていない。これがあると、まぁなんか凄いらしいくらいしか知らない。
無いと魔王軍幹部に勝てないんだったか?
3.グリーンパスタ
簡単に言えば才能の可視化及び強化ってとこだね
一本が『戦士』、つまり近接職
二本が『魔術士』、魔法
三本は『支援』、他者の強化や弱体化と言った具合にね
「討伐軍として、名を上げて……そんな、夢を見てしまったのさ」
ん? 四本は?
ニコニコと男の話を流し聞きしながら俺はグリーンパスタをつついて先を促す。
4.グリーンパスタ
いやしっかり聞いてあげなよ。
四本目は、僕もよく分かっていなくて……分かっているのは、恐らく『ユニークマギア』持ちだという事くらい。
それは……素晴らしい話だな。
俺は男の手を両手で包み込み胸の前に持っていく。小首を傾げながら、男の瞳を食い入るように見つめて口を開いた。
「私は、貴方に素晴らしい才能を感じますよ」
俺の言葉に、ゴクリと男は唾を飲み込んだ。妖艶な笑みを浮かべて俺は続ける。
「気付いていないだけなのです。周りも……貴方自身も、その価値を」
5.グリーンパスタ
ちなみに五本目は特別。『魔王』の資質だからね。
ええい! 邪魔をするな! どうでもいいわ!
男の瞳が揺らぐ、懐疑心の奥にある期待や希望の感情を増幅させて俺はトドメの言葉を放った。
「私が、その才能を開花させましょう」
*
追放された男、オットーは笑えないくらい使えない奴だった。未だ覚醒していない『聖痕』という名の才能、それに期待して洗脳して手駒にしてやろうと思っていたのだが……。
夜、酒場の扉を蹴り破る勢いで開いた俺はズカズカと中を進む。向かう先にいたのは呑んだくれてテーブルに肘をついている男。
知らんおっさん連中とカードでギャンブルをしている。俺は吠えた。
オットーっ! お前っ……! あまりの怒りに顔を真っ赤にした俺を見て、知らんおっさんが茶々を入れる。
「おぅい、オットーぉ。お前また娘さんきたぞぉ」
誰が娘だ! 怒る俺にオットーはヘラヘラとした顔で酒をあおった。
「休憩だって休憩。休ませてくれよー」
てめっ! 昨日も一昨日も同じ事言ってたろ! お前を追い出した連中に目にもの見せてやると息巻いていたのはどこの誰だ! 修行から逃げ出すんじゃねぇ!
今日のノルマであるトレーニングも、魔王領への遠征もバックれられている。このクソ野郎、俺のコイツを連れて鍛えながらk子を抹殺作戦がパァだ。
レッドとグリーンパスタだけではおそらく魔王領を進めない。よってこの男の才能を開花させつつボディガードをさせてやろうという俺様の好意を無下にされている。
そもそもこの話はコイツにとっても悪い話ではない。人の成長とは窮地に陥ってこそ。レッドという肉壁に加えて俺の精神操作によるモチベーションの維持があれば……ついでにグリーンパスタも居るので、恐らくだが元・復讐狂戦士レイトをも超える戦士を作り出せる予定だった。
死ねばそれまでだが、ともかくオットーという男は追放されたのも止む無しと言わざるを得ない程、怠惰な人間だった。
出会った当初は、俺は強くなりたいだの有名になりたいだのとほざいていたが、いかんせんやる気が見られない。
俺の魔王領への侵入計画も、乗り気で聞いていたくせにいざ行こうというと、やれ腰が痛いだの身体が怠いだのと言ってこの町を出ない。
仕方なくトレーニングメニューを知り合いの筋肉大好き男に連絡して考えたのに、それすらやろうとしない。
俺は風呂を上がって髪をまとめながら怒りを発露した。
くそっ……! 時間の無駄だぜ、あんな怠惰なヤローに俺様の貴重な時間が食われているなんて……。
ボヤきながらペタペタと化粧水を肌に塗り込む。その様子を横で見ていたグリーンパスタが目をパチクリして聞いてきた。
「え? 肌のケアなんてして意味ある?」
俺は何も分かっていないバカにやれやれと肩を竦めて教えてやる事にした。
プレイヤーと言えど、何日も死なずに生きてれば身体は代謝をする。するとだな、数日と言えどこうしてケアをしているお肌としていないお肌では天と地ほどの差が生まれるんだ。美のな。
グリーンパスタは戸惑いがちに頷いた。
「そ、そうなんだ」
たしかに、最悪死ねばお肌もリセットだが……そういう怠惰な考えは内面の美しさを喪う事につながる。分かるか?
ガチャリと、午後の鍛錬を終えて部屋に入ってきたレッドが感心したと言いたげにニヤリと口角を上げた。
「流石だペペロンチーノ、良い事を言うな。鍛錬にも同じ事が言える。グリーンパスタ、分かるか? 積み重ねた時間は無駄になる事がない」
何コイツ、女性の部屋にノックもなしに入りやがって。この女の敵がぁ!
「でもそろそろこんな所で無駄な時間を過ごしている暇はないよ。てかぽてぽちが攫われたこと忘れてない?」
忘れてないよ。
正直忘れていたし、割とどうでも良いが俺は首を横に振って心底心配しているという顔で拳を握った。
だからあの現地人を仲間にしようとしてんだろ……!
「……しょうがない。僕も頑張るとしよう。レッドもそろそろ手伝ってよね」
「良いだろう。レベル上げはこの辺にしておく」
じゃあ深夜の鍛錬に行ってくるとレッドは出て行った。睡眠を必要としないあの男は一日をフルに使える変態野郎なのだ。
さて、と。グリーンパスタがベッドに転ぶ。
「僕も何かいい方法を考えておくよ。ぺぺは代償術式の勉強しておいてね」
掲示板を介して脳内に叩き込まれる情報にくらりとしながら俺もベッドに横になった。うんうん、明日になったらねー。ぐー。
「……人のこと言えるのかな?」
*
数日後。
前日に謎の美女に酌をしてもらって気分を良くして酔い潰れたオットーが目を覚ますと、何故か地下室の様な所で椅子に座って身体を縛られていた。
二日酔いで痛む頭をフルに回転させて、記憶を掘り起こそうとするが……どうやら何も思い出せない様だ。
黒く禍々しい剣を片手に持った少年がオットーの前に立ちニコリと微笑む……まぁグリーンパスタの事だが。
俺は後ろに立って肩に手を置いた。ビクリと身体を震わせたオットーがキョロキョロとし始めて、壁にもたれかかる赤い髪の男に問いかける。
「な、何者だ!」
「答える義理はない」
謎の強者ムーブをかますレッドは置いといて、俺は耳元で囁く様にこう告げる。
大丈夫、全てを委ねなさい。
「ち、チノか!? なんだこれは! 何してる?」
「悪いことはしませんよ。少しだけ、我々に身を委ねてくれればそれで良いのです」
グリーンパスタの怪しげな笑み。
警戒心が高い。これでは俺の力が通らないな……近付いてきたレッドが俺の手を掴み、代償術式と呼ばれる方法で俺に界力を譲渡した。
ついでにグリーンパスタの突き出した魔剣がオットーの顔面のすぐそばを抜けて俺の胸に突き刺さる。
『限定展開・心壁崩理界』
俺とレッドの界力を代償に人の頭程の大きさの魔法結界を展開する事が可能になった。そして、対象が一人ならばこれだけで十分……オットーの頭部を包み込んで俺はニコリ。天使と見紛う笑みを浮かべた。
それを見たグリーンパスタも無害そうな笑顔で、オットーの眼前に手を伸ばしていく。
「共に行きましょう。貴方の力は我々が保証しますよ」
おおよそ危険を避けるために必要な感情を抑制され正常な判断力を失ったオットーは虚ろな瞳で答える。
「ああ……頼む」
言質は、取った。
うふふ、と誰かが笑った。




