第109話 ペペさんvs廃人協会
龍華に持った隠れ家の一つで、俺がせっせと毒を調合していたときのことだ。俺の敏感な鼻が、異様な匂いを感知した。今俺が調合しているものも大概な匂いだが、それとはまた違う……これはガス……!? 睡眠ガスだ! 即座に窓を破って外に逃げ出した俺が、着地すると同時に太腿を矢で撃ち抜かれる。
ぐ、ぐぅッ! 俺が呻いていると、矢の飛んできた方から高笑いが聞こえて来る。
「フハハハッ! 我は『廃人協会』が刺客! 『毒蝉のお凶』! 『最害』のペペロンチーノよ、お前の命貰い受けるッ!」
こいつは……! プレイヤーか!? 屋根の上に乗った黒装束の怪しい男が翼のようにマントを翻し地面に降り立つ。
しかしそんなことより俺の心を震わせる部分があった。プルプルと頬が震え、抑えきれない。俺は噴き出した。
ダ、ダセェッ! お凶て!
スパァン! と俺のもう片方の太腿が矢で撃ち抜かれた。凄まじい形相で毒蝉のお凶とか言うアホみたいな名乗りを上げたカスが俺を睨む。
「貴様はいつもそうだ。自分自身たいした人間でもないのにまず人を小馬鹿にし、その場のイニシアチブを取ろうとする。弱いからな、初見で言葉と態度を強く見せることでしか場の流れを掴めない」
意外と見てるな。俺は感心した。無駄にカタカナを使おうとしてくるようなアホだが、どうやらただの馬鹿ではないらしい。
お凶がゆるりと近付いてくる。すかさず俺は太腿の矢を引き抜き、咄嗟に懐から取り出した毒粉を周囲に撒いて逃げると見せかけて自死をする。
セーブポイントで復活した俺は姿を消す為に行動を起こそうとして、しかし何者かに肩を掴まれた。
「おっとぉ、逃がさないよ。ペペロンチーノ……お前ならすぐにそうすると思っていた」
な、なにィッ!
先程のお凶とは違うプレイヤーだが、全く同じ黒装束を纏った怪しい奴だった。フードの奥に隠れた顔は、上半分だけ仮面に覆われている。露出した口がニヤリと笑う。
「僕は『紅蝗のミリオン』、ペペロンチーノ……お前はここで終わりだ」
黒いマントの下から勢いよく出された『紅蝗のミリオン』の左腕。お凶といい勝手にダサい二つ名っぽいのと合わせて名乗ってくる連中はどうやら只者ではないらしい。
左腕がウゾウゾと形を変えて、耳障りな羽音と共に無数の『何か』に変化していく。それは赤いバッタだ。肘から先を《化粧箱》で無数のバッタに変えたミリオンは不敵な笑みを深くする。俺は発狂しそうだった。
「プレイヤー相手なら、レベル一なら
僕の『ミリオンラッシュ』で殺せるぞ!」
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
俺は目を回した。視界を埋め尽くさんバッタ共は俺に地獄というものが何かを教えた。視界の暴力だ。俺はブチ切れた。ここまでキレたのは初めてかもしれない。気付けば涙が溢れていた、憤怒の感情から生まれた血の涙だ。一瞬のうちに、俺は己の《魂》をも削る勢いで実際にはグリーンパスタとぽてぽちに頼み込んで《プレイヤーズギルド》を経由して《プレイヤー》そのもの自体を代償に魔法を使った。
『召喚!』
俺が天に掲げた手の先から魔法陣が現れる。その中心から、ぬるりと卵型の何かが出てきた。それは破損した『機竜』と呼ばれる機械である。頭部と手足を失い、尻尾も無いので胴体だけだが俺とバッタ野郎を踏み潰すには充分だった。
同時に死に、同じ所で復活する。しかし俺は復活地点を機竜の内部に設定していた。しかも極限状態による俺の緻密な操作により、機竜の操作基盤と融合するように俺は復活した。これはグリーンパスタに匹敵する凄技だ。もちろんぽてぽちに頼み込んでグリーンパスタの外部援助も受けているが、それはさておき俺の怒りはストレスでマッハだった。
怒りのあまりそのまま死んでしまいそうだったが、そこを何とか堪えて俺は更に《プレイヤーズギルド》の真奥へ接続する。
《ぷち子……お前に俺の全てをやる……だから今だけ、今だけはこの目の前のクソ野郎を殺す力をくれェッ!》
《……?》
よくわかっていない『不死なるプレイヤーズギルド』が俺の腹から幼女の姿で機竜の中に現れる。
多分何も分かっていない。しかし目の前の機竜に興味を示したのか、本来の姿であるゲル状に自分の身体を周囲に飛ばし張り巡らせて取り込み始める。
そして俺の脳内から得たイメージで、損傷した機竜の残りを再構成させた。
それはまるで大きな着ぐるみだ。全長5メートルほどの着ぐるみの竜がそこにあった。緑の体表をした、つまりペペゴンチーノの再来といえる。
変形中にまたもや身体をバッタに変化させようとしていたゴミを俺は踏み潰す。ぶちぶちブチィッと気色の悪い感覚に俺は血の気が引いた。殺意が無限に湧いてくる。それが口中に集まり、ドス黒い瘴気を球状にして吐き出す。
《絶許玉!》
ぐりん、と首を背後に回す。背後から俺を殺そうとしていたお凶が、絶許玉を受けて地面に転がった。
「ぐ、ぐおおおっ!? こ、これは! 一体……っ!?」
くくくく。それには俺の絶大まで高められた感情とそれを増幅する術式が込められている。お前は数秒持たずに憤死するだろう……。
そして俺の宣言通り、お凶は顔中の血管から血を噴き出しながら感情を爆発させて死んだ。
「変身……ッ」
復活したバッタ野郎が決意を決めた顔でポーズを決める。すると全身の皮膚が裏返り、鎧じみた形に変形すると金属にも似た光沢を得る。
「クリムゾン……ライダーッ!」
何やら強くなった雰囲気を見せてくるが所詮はレベル一。俺からすれば《化粧箱》で虫に化けるという一切理解できない精神性をしたコイツとは一生をかけても分かり合えないことこれ必定なので殺すしかない。
腕が無数のバッタになる人間。一体どんな精神性を持てばそんな変身が可能なのか。グリーンパスタのように本来の自我を保ったまま変身できるタイプのプレイヤーなのかもしれないが、それはそれとして気持ち悪いので殺す。
俺の殺意が口中に溜まる。チャージは完了だ。ぷち子やぽてぽちとグリーンパスタに俺の魂を売ったペペゴンチーノモードに凡百のプレイヤーが叶うわけがなかった。
バッタ野郎が走ってくる。同時に復活したお凶がバッタ野郎の前に寝転がる。そして、お凶の構えた足の上にバッタ野郎が乗り、勢いよく空を飛んだ。
空を飛ぶバッタ野郎。そこをすかさず噛む俺。バタバタと俺の口内でバッタ野郎が暴れている。
《界力全開》
そしてゼロ距離で絶許玉を放つ。《プレイヤーズギルド》を介した、俺の魂を懸けた絶許玉はしばらくバッタ野郎のプレイヤーとしての《魂》そのものにダメージを与える。つまり、しばらくの間バッタ野郎は幾度復活しようと俺の絶許玉による精神汚染の影響を受け続けるのだ。
「ぐあああああああッ!」
ニヤリと俺は笑みを深くした。
これが俺様を不快な気持ちにさせた報いだ……次は……。俺は視線を変えた。お凶だ。バッタ野郎の仲間らしきこいつにも分からせてやらねばならない。
「ば、ばかなっ、ペペロンチーノがここまでやるとはっ」
驚愕に身を震わせるお凶を見下し、俺は再び絶許玉を溜め始める。しかし、うまく思考がまとまらなくなってきた。自然と絶許玉に込めるべき負の感情が霧散し、夢と現の境界が朧げになってくる。
ふと、俺は自分の手を見た。淡く、僅かに発光して小さな粒に解けていく。
なるほど、時間切れか。俺は、これが本当の本当に限界なのだと悟った。限界の先、更に先……漫画の主人公のように、限界を超え続けた代償を払う時がきた。
いつの間にか膝をつき、俺は天を見上げていた。登っていく光の粒子は俺の肉体そのものだ。ゆっくりと、しかし確実に俺の身体は消滅していき……そして、復活することなく全てが消えた。
*
ペペロンチーノの消滅。
それはプレイヤーの中で嵐のような話題となった。プレイヤーは《プレイヤーズギルド》という《スキル》によって繋がっている。無意識の領域で他のプレイヤーの気配を感じることができるのだ。
つまり、その気配が無くなった……もしくは感じられないほどに弱まった事をどんなプレイヤーであろうと知ることができる。
完全なる消滅、もしくは何者かが強力な封印に成功した事実にプレイヤーの皆が詳細を知りたがった。
それに対して一番仲が良いとされている攻略組のメンバーは何も声明を発表することは無く、自然とペペロンチーノ死亡説とペペロンチーノ雲隠れ説が両立する事になる。
真実は……プレイヤーの誰にも知ることができない。正確には《不死なるプレイヤーズギルド》以外には知るよしもないことだった……。
*
暗い。
まず覚えたのはその感覚だった。俺、俺……? 俺は自我を取り戻したが、そこに至るまでの記憶が曖昧だった。とりあえず凄い美少女だったことは覚えている。死んだのか? まずそう思った。しかし違うらしい。
風を感じる。視界はないが、どこか高いところに立っている感覚がある。しかし自分の身体ではない。
柵を越えた先、下を見れば遥か遠くに地面が見える。ここは学園にある時計塔の天辺。学園内にあるどの建物よりも高く、ここから落ちればまず命はないだろう。死ぬには間違いない高さだ。
待て待て待てぇ! 俺はこの体の『持ち主』に呼びかけた。
何を勝手に死のうとしてやがる! 俺は中から呼びかけた。俺は誰とも知らない人間の中に入っている。しかも男だ、可愛い女の子が良かった。
「だ、だれ?」
声に出すな、心の中で、体の中にいる俺に向かって話しかけろ。それで伝わるはずだ……言うなれば『念話』といったところか。プレイヤーなら自然にやっていることだが、この『容れ物』はどうやら現地の人間らしいな。しばらく口に出したり瞑想みたいな事をして、ようやく男というか少年は俺へ話しかける事が出来た。
(あの、誰ですか? 一体どこに……? 僕の体から?)
ふん。詳しいことはこの俺にも分からん。だがそんなことは今はどうでもいい。
俺は単刀直入に聞く。
お前、なぜ死のうとしていた。
(……そうか、なんだかんだで僕は死にたくないのかな。だから妄想で君みたいな存在を生み出したんだ)
うざっ。俺は若い女が自分の父親に吐き捨てるような感じで言った。傷ついた少年はまた死のうとするので必死に止める。
「もう嫌なんだ! 辛いんだ! 死ねば……解放される……っ!」
果たしてそうかな? 俺は続ける。
実は俺は、死の先を知っている。
その言葉に、少年は柵にかけた足を下ろして興味を示す。俺は、何故だか出来ると思って俺の知る《死》を見せてやった。といってもプレイヤーが死んだ時のあの自分の存在全てが消え失せる感じだ、慣れれば別にどうということはない。
「っああっ! はぁっ! はぁ……はぅあっ!」
キモ……俺は少年に伝わらないように心中でつぶやいた。急に頭を押さえ、涙を垂れ流しながら悶えていたからだ。そんなに刺激的だったのかな?
「……あぁぁあ、死の先にも、救いはないのか……」
まぁプレイヤーが死んだ時の感覚といえば、一度不死なるプレイヤーズギルドに食われるようなもんだから実際の死とはかけ離れた感覚だとは思うが。
しかしそれは少年には伝えない。どうやら恐怖が身に染み付いたらしい彼は自殺を諦めたからだ。それならこのまま先程の感覚が『死』だと思わせていた方がいい。
それというのも、何となくだが今の俺はこの少年と身体を同じくしている……というよりは俺が間借りをしている感じか。
なので、直感したのだ。少年が死ねば、俺はどうなるかは分からないが……少なくとも、本来の『死』の感覚を味わう事になると。それは《不死生観》の範囲外の感覚だ。つまり久方ぶりに死ぬ事に恐怖を感じたのである。
おい、お前名前は?
「……ロック」
ふゥん。
いじめに負けて死のうとする奴には全く合わねぇ名前だな。
俺の言葉にロックはギョッとした。何故、と言いたげだ。当然の事だが今俺はロックの身体を間借りしている。つまり記憶を垣間見ることなど雑作もない。まぁ表層だけだが……。
「もう辛いんだ、生きててもいい事なんてない。でも死ぬのも怖くなった、一体僕はどうすれば……」
ロックが項垂れて絶望的な声を出す。そしていじめられてきた記憶を思い出し、様々な悪感情が彼の中を渦巻いている。同化しているからか、何なら不思議な感覚がある。しょうがねぇな。俺は心中にてため息を吐いた。
俺に考えがある。
「え?」
*
ロックの腹には、出来立ての殴られたようなアザがあった。とりあえずそれを治療する為に学園の保健室へ向かう。
「あら、いらっしゃい。どうしたの? 怪我? んー、お腹かな?」
出迎えてくれたのはニコニコ笑顔が特徴的な女だった。顔はかなり整っていて、外見からかなり若いことが伺える。特徴的な青い髪は美しく腰のあたりまで伸ばされていて、保健室にロックが訪れると後ろでその髪を縛った。
紐を口に咥えながら髪を纏める姿はかなりの色気を思春期の男に感じさせた。ロックの胸が少し高鳴るのを感じてしまう。死のうとしてたくせに俗物的だな。
それはさておき俺は驚愕していた。思わず呟いてしまう。
ラ、ランス……?
「ランス?」
ロックが俺の言葉を聞いてうっかりそう、口にしてしまった。次の瞬間、目の前のランスくんもといスピアちゃんは笑顔を貼り付けたまま目にも止まらぬスピードで何処からか槍を取り出しロックを壁に追い詰める。
さすがの早業だった。いつの間にか扉の鍵は閉められ、壁に背中を預けたロックは腰を抜かし顔面の横で煌めく刃を見てションベンを漏らしそうになっている。
「お前、なにもんだ? どこで知った。誰からの指図だ」
ヒュンッと風を切る音がした。否、それはロックの耳が切り落とされた音だ。ピューッと血が噴き出し、ガクガクと膝を震わせてロックは小便を漏らす。
まずいな。俺は素直に反省した。ランスくんの警戒心を舐めていた。このままでは殺されてしまう。
おいロック! ペペロンチーノと言え!
「ぺ、ぺぺぺ! ペペロンチーノ!」
「……ほぉ」
しかしランスくんことスピアちゃんは不敵に笑みを浮かべてもう片方の耳を狙う。ちぃっ! ヒズミと言えっ!
「ヒズミ! ペペロンチーノ! ヒズミ! ペペロンチーノ!」
ダメだな。殺されそうだ。
その後何度も似たようなやり取りを繰り返して、俺しか知り得ないエピソードを語らせる事でなんとかスピアちゃんの警戒を解くことができた。
耳を治療しながらスピアちゃんが無邪気に笑う。
「わりーわりー。お前みたいな奴知らなかったからさぁ、敵だと思うじゃん。んー? これで合ってるのかな?」
ケラケラと悪びれることなく軽快に笑うスピアちゃん。男のままだったら、例えば俺ならぶち殺していた所だが可愛い女になったスピアちゃんならまぁ許してもいいかなと思えてきた。
そんな彼女は棚から出した軟膏みたいなものを千切れた耳の切断面に塗り込み、それをロックの元々耳がついてた部分につける。
「おい、ちょっと抑えとけ」
「はいっ!」
完全に躾けられたロックくんは服を全て脱ぎタオルを腰に巻いた状態で元気よく返事をした。小便もそうだが血まみれになったからだ。よくここまで元気残ってんな……俺はこいつの丈夫さに感心した。
「それで? 俺ぁぺぺよ、お前は死んだと聞いていたんだがな。まぁ、そんなわけないだろとは思ってたけど……これまたこんな野郎の身体の中にいるって……」
まぁ、そこは俺もわからん。何故こうなっているのか……その前後の記憶がどうもな……。何か、大事なものを守る為に戦っていた気がする。
逆に聞くが、お前はここで何を?
残念ながら俺に口はついていないので、そのようなことをロックに中継してもらう。
「ああ……元の姿に戻れる可能性の高い秘薬『エリクサー』。それをこの学園の偉い奴が持っていると聞いてな……手に入れる為に潜入したってわけだ」
なるほどな。しかし何故養護教諭に?
白衣姿はとてもよく似合っている。スピアちゃんに会う為に保健室通いをするような男子が生まれている事だろう。だが、元の性格から考えてもわざわざこのポジションを選ぶ理由が分からない。
「ああ。とりあえず俺がここに来た時に怪我で休養したのがこの保険室のおっさんだけだったんだ。すげえ頭良さそうな格好してたから絶対偉いポジションだと思ったんだけどな、ミスったぜ」
へぇ。そのおっさんとやらは多分こいつが襲撃して怪我したんだな。俺の呟きを聞いてロックがギョッとする。何を驚いている。さっきお前、耳落とされてんだからコイツが平気でそれくらいやる事分かるだろ。
「まぁでも、そのエリクサーを持ってる教授? って奴は定期的に飲み会みたいなのを自宅で開くらしくてな。そん時に見せびらかすらしいから……そこを狙おうと思ってる」
そう言ってスピアちゃんはロックの首元にまたもや視認が難しい速度で槍を突きつける。
「ぺぺの乗り物、お前この事漏らしたら殺すからな」
ガクガクと震えながら目だけで肯定を示すロック。
おい、あんまいじめるなよ……。俺の乗りもんなんだからよぉ。
「ナチュラルに乗り物扱いされてる」
ロックの不満が漏れるが俺は無視した。
つづく




