15 ズタ袋の中身
お兄様がぶちまけた袋の中からは、色とりどりの小さな丸い物が溢れ、テーブルは山盛りとなった。
それは艶々、きらきらと輝いて、どれもが美しくて可愛らしい……。
エリンは立ち上がって、大声を上げた。
「ボタンだわ!!」
そうーー。
宝石の山かと思いきや、この小さな丸い物には糸を通す穴が空いていて、様々な素材……鉱物やガラスや真珠や真鍮を使って作られていた。
「きゃー! 見て、このお花の形の可愛いボタン! こっちはほら、ハートの模様が刻まれているわ!」
宝石に興味を示さなかったエリンがボタンに飛びついたので、アシュリー公爵は驚いてエリンを見上げている。
レナルドお兄様は「うんうん」と嬉しそうに頷いた。
意表を突かれたアシュリー公爵は怒りが削がれて、ボタンを手に取って見つめている。
お兄様曰く、船が辿り着いた地は東西の文化が混ざり合い、シルクや織物、羽飾りやボタンなど服飾の文化が盛んだったらしい。この国では滅多に見られない生地や素材が沢山手に入ったのだという。
レナルドお兄様は皆が感心しているこのタイミングで、さらにもう片方の従者が持っている袋の中身も、テーブルの上にぶちまけた。
バッサーーー!!
「金っ!!」
見たことのない量の札束が山となったので、エリンはつい、見たままの名称を叫んでしまった。
前世でも今世でも、こんな大金は見たことがない。伯爵家は貧乏だったし、今は契約妻として公爵家から大金を支給されているとはいえ、現ナマを受け取っているわけではないので、エリンは興奮してしまった。
「俺の元妻が公爵家の金を使い込んでたのは、本当に悪かった。俺はその港町でビジネスを展開して貿易社を作り、輸入品を元手にこの国の商会と取引をした」
結果、莫大な売り上げが出たのだと言う。
いきなり現金で負債をチャラにしてきたお兄様に、押され気味だったアシュリー公爵は誤魔化されまいと、再び怒りを露わにした。
「だからと言って、実の息子であるノエルを二年も放置して。それが親のすることですか!」
「現地人に習って、鳩に手紙を付けて送ったんだけどなぁ。やはり遠すぎて届かなかったようだ」
レナルドお兄様はノエルに満面の笑みを向けた。
「ニ年ぶりで大きくなったな! ずいぶん元気そうじゃないか」
ノエルはクマのマスコットを手に持ったまま、飄々とした顔をして座っている。
まるでよそのおじさんを見るような冷静な顔だ。
子供にとって二年は長いので、本当によそのおじさんになっちゃったのだろう。
ノエルは呆れて応えた。
「まぁ、元気ですよ。お父様は相変わらずですね」
「7歳の頃に比べて、はつらつとして見えるな! 女の子みたいにか弱かったのに」
アシュリー公爵は口を挟んだ。
「それは、このエリン令嬢がいてくれたから……」
と言いかけて、エリンと目が合うとアシュリー公爵は口ごもった。
執事がすかさず、代弁した。
「奥様が毎日工夫して、ぼっちゃまと遊んでくださいましたからね」
その言葉に、レナルドお兄様は目を輝かせた。
「いや〜、堅物で女嫌いの弟に、こんなに可愛い彼女がいたなんて驚きだ。あ、もう奥様か」
お兄様が「このこの~」と肘で突いてくるので、アシュリー公爵は気まずい顔をしている。
エリンは思わず、否定した。
「契約妻ですけどね」
「え? 契約……妻?」
レナルドお兄様はエリンとアシュリー公爵の顔を何度も見て、顔を顰めた。
「おいおい、契約妻ってなんだよ? まさかそういうプレイ……」
アシュリー公爵はお兄様の続きの言葉を断ち切るように、勢いよく立ち上がった。
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!」
またもやヒートアップする兄弟喧嘩に、エリンは飽きていた。
隣を見下ろすと、ノエルも退屈そうに俯いているので、小声で囁いた。
「缶蹴りで勝負をつけたらいいのにね」
ノエルは「プッ」と吹き出した。
「なんですか、それ?」
「ブリキ缶があるでしょう? あれを見張る鬼の目から隠れて、隙をついて思いっきり、缶を蹴り上げるゲームよ。鬼が泣いてスカッとするわ」
「面白そうですね! 僕もやってみたいです!」
兄弟喧嘩そっちのけで盛り上がって、さらに庭に出ようと立ち上がる二人を、アシュリー公爵は慌てて振り返った。
自分達が子供の前で大喧嘩している状態に気づいたようだ。
「それでは、私とノエル君はお外で缶蹴り遊びをしますので、失礼しますね。ご兄弟でごゆっくり……」
しずしずと出ていくエリンを、ノエルは楽しそうに追いかけて行ってしまった。
お兄様はワクワクして、アシュリー公爵を誘った。
「缶蹴り遊びってなんだ? 見に行ってみようぜ」
その浮ついた後ろ襟を、アシュリー公爵は掴んで止めた。
「レナルドお兄様。ごゆっくり、お話を聞かせていただきましょうか」
お兄様は摘まれた子猫のように、大人しく観念した。
カーン!
気持ちの良い音を立てて、ブリキ缶は青空に舞い上がった。
「ぐぁー、またやられた!」
「あはは、万年鬼ですね!」
エリンは動きやすい部屋着ドレスに着替えたとはいえ、スカートを摘んで走るのは難儀だった。
すばしっこいノエルに缶を蹴られまくって、エリンは汗だくで髪を振り乱していた。
ティナとニコも缶蹴りに参加しているが、気配が無くてどこに隠れているのかわからない。
「おのれ〜、砂利どもめ!」
ブリキ缶を中心にエリンが庭を警戒していると、向こうの方から海賊が……いや、レナルドお兄様と異国の従者が、カラの袋を手にこちらに歩いて来た。
アシュリー公爵の説教から解放されたのだろうか。
「やあ、ずいぶん楽しそうな遊びをしているね」
「缶蹴りですわ。お義兄様もご一緒しますか?」
「そうしたいところだけど、これから商談があるんでね。今日はこれで失礼するよ」
レナルドお兄様は興味深そうに、エリンを見下ろしている。
「弟から聞いたよ。手作りのぬいぐるみを作ってるんだって? あのボタンを使ってくれたら嬉しいな。今度は珍しい生地も持って来るからさ」
エリンはあのキラキラとした可愛いボタンを思い出して、笑顔になった。
「本当ですか!?」
「ああ。珍しい素材を使って斬新なデザインを売り出したら、素材の取引より儲かるだろうな」
どうやらお兄様は根っからの商売人気質のようだ。
発想も行動もアクティブすぎて、公爵家の家督であるデスクワークには向いてなさそうだ。
軽いノリでいい加減な人だが、エリンは変にかしこまらなくて済むので気が楽だった。
レナルドお兄様はエリンに向けて、色っぽくウィンクをした。
「俺がこんなだから、弟は真面目で賢い奴でね。女の子に奥手なところが心配だったけど、君なら大丈夫そうだ」
エリンの手を取って、両手でギュッと握った。
「息子と弟をよろしく頼むよ。可愛いお嬢さん」
なるほど……。
三人も奥さんを迎えた恋多きレナルドお兄様は、顔はアシュリー公爵に似ているが、漂う色香が怪しげだ。
エリンが近距離のお兄様をジッと観察していると、突然、握られていた手が強制的に引き剥がされた。
レナルドお兄様から自分を庇うように、アシュリー公爵が二人の間に割って入っていた。
肩で激しく息をしている。書斎から走って来たのだろうか。
「お兄様は、女性との距離がおかしい!」
アシュリー公爵に一喝されたお兄様は、「わはは!」と愉快に笑った。
「嫉妬しちゃって。アシュリーは可愛いなぁ」
アシュリー公爵はみるみるうちに真っ赤になった。
エリンも同じくらい、真っ赤になった。
「な、何言ってるんですか! 全然反省してないじゃないですか!」
アシュリー公爵の怒りに背を向けて、レナルドお兄様は優雅に手を振って、去っていった。
「じゃぁね~、今度ぬいぐるみ見せてね」
嵐が去ってーー。
アシュリー公爵とエリンは、無言のまま佇んだ。
我に返ったエリンは、缶蹴りでボサボサになっていた髪や、汗だくの顔を必死で整えた。
耳まで赤いアシュリー公爵は、こちらを振り返ることなく、小さく呟いた。
「うちの兄が……すみません……」
いや、結構面白かったし、あのお兄様は突飛な性格なだけで、悪い人ではない。
とエリンは伝えたかったが……。
背後でカーン! と大きく缶が蹴られたので、鬼のエリンは地団駄を踏んだ。




