転移の間
学院長に転移の間を使う許可をもらったフィルたち一行。
転移の間は学院の外れにある。
厳重に警備されており、一介の学生では敷地に入ることも許されない。
今からそこに向かうのだが、ここにきてフィルは「ほえ?」と首をかしげていた。
気になったセリカが尋ねる。
「フィル様、なにか気になることでもありますか?」
「あるある。ところで転移の間ってなんなの?」
「そこから説明ですか!」
とセリカは少しずこっとしてしまう。
すぐに気を取り直して、「こほん」と説明してくれるが。
「転移の間というのは、文字通り転移装置が置かれた間です。転移装置を使うと世界中のあらゆる場所に行けます」
「おお、爺ちゃんの工房にも行ける?」
「その近くの街の転移の間までならば」
「それでもすごいね」
「すごいのです」
とセリカは言うが、メイドの少女も追随してきた。
シャロンも尋ねてくる。
「そういえば転移装置というもの自体は知っているし、それの効果も熟知はしているけど、転移装置ってなんなの?」
哲学的な問いであるが、セリカは答える。
「転移装置というのは、各地にある同じ型番の転移装置に瞬間移動できる装置です」
「機械なの?」
「古代魔法文明の遺産と聞いています」
「なるほど、現代の魔法技術じゃ作れないってやつね」
「そうですね。貴重なものなので、主要都市と主要施設にしかありません。それに使うのに膨大な魔法石が必要なので、お金が掛かります」
「そのコストはセレスティア侯爵家持ちってことね」
セリカはこくりとうなずく。
「決して安くはありませんが、時間は黄金より貴重です。この短い期間で里帰りするには、転移装置を使うしかありませんから」
そのやりとりを聞いていたフィルは珍しく肩を落とす。
「……ごめんね、セリカ。お金を使わせちゃって」
「気にしないでください。わたくしもフィルさんの山の仲間に会いたいと思っていましたから」
と微笑む。
さて、こうして転移の間にやってきたわけであるが、そこで人を待つ。
セリカは魔法で時計を表示すると、
「……あと、五分ほどでくるかしら」
と、つぶやいた。
「誰を待ってるんですか?」
とはメイドのシャロンの言葉である。
セリカは答える。
「フィルさんの山はフィルさんの庭のようなもの。しかし、ドラゴンの住処でもあります。護衛が必要かと思いまして」
「たしかにドラゴンに食べられるのは厭かも」
「フィルさんの護衛ではなく、わたくしとシャロンさんの護衛かもしれませんが」
とセリカが言い切ると、そのものは現れた。
古めかしい鎧をまといその上に外套を着けている壮年の男。
シャロンはなかなかに素敵なおじさま、と漏らすが、フィルはその人物が誰か知っていた。
大きな声で彼を指さす。
「おお! Hの騎士ローエンだ!」
その言葉を聞いたローエンは孫娘を見守るような目で、
「叡智の騎士だよ、フィルのお嬢ちゃん」
と笑った。
「そうだった。叡智の騎士ローエン」
「フィルさんはお知り合いなのですか?」
とシャロンは尋ねてくる。
「うん、知り合い。ボクが初めて知った男」
その言葉にシャロンはぎょっとする。
セリカも不適切だと思ったようで、にこやかに否定する。
「初めて見たお爺さま以外の男、という意味です。ちなみに初めて見た女はわたくしだそうです」
「そう、初めての女はセリカ」
と、にこやかに宣言。
「フィルさんは山育ちと聞いていましたが、まさかここまでとは思いませんでした。十数年間、人間に会わずに生きていけるものなのですね」
「爺ちゃんとは毎日会ってたよ」
とフィルは言うと、ローエンがまとめに入る。
「さあて、お嬢様方、ここで無駄話をしていてもなんだ。転移装置を使えるとはいえ、最寄りの街からフィルの山に行くにも時間が掛かる。積もる話は道中、聞こうか」
その言葉を聞いた三人娘は、
「はい!」
と言い、転移の間へと入った。
転移の間には魔術師がふたりいて、彼らが転移処置をしてくれるらしい。
転移する前に注意を受ける。
「希に転移に失敗することもあるが、そのときは学院は責任を取らない」
「失敗するとどうなるの?」
フィルは尋ねる。
魔術師は答える。
「前、転移の間にハエが入ってな。転移先でハエと合成されてしまった」
「おお、格好いい!」
と、はしゃぐフィル。
魔術師も変わりもので、「お嬢ちゃんもハエ男のかっこよさが分かるか!」と嬉しそうにうなずいた。
セリカとシャロンは厭な顔をしていたが。
「他にも亜空間に放り出されたり、異世界に飛ばされた人間の話も聞く」
「異世界?」
「そうじゃ、異世界。とある冒険者がニホンという国に飛ばされたことがあってな。そこはとてつもない魔法文明が発達していて、皆、鉄の馬に乗り、誰しもが飢えない世界だったそうな」
「それはすごい!」
「王もいなければ、貴族もいない。四民平等の世界らしい」
「そんな世界があるのか」
「ただ、皆平等ではあるが、皆、奴隷でもあるらしい。朝から晩まで働きづめなのだそうだ。夜も煌々と灯がともっているから、夜中まで働かされるらしい」
「この世界では日が落ちれば仕事は終わりですからね」
とはセリカの言葉だった。
「まあ、王と貴族がいなくなったら、皆が奴隷になった、という皮肉な世界もどこかにはあるということよ。さて、転移事故の話はこれでおしまい。そんなに心配しなくてもいいぞ。転移事故は数年に一回しか起きない」
それは安全と言えるのだろうか、シャロンは冷や汗を流す。
「転移事故よりも気をつけなければいけないのは、妊娠かな」
「まさか、転移すると孕んでしまうのですか」
シャロンはお腹を押さえ、一歩後退する。
魔術師は首を横に振る。
「逆だ。妊婦が転移すると希に流産することがある。だから妊婦は転移させてはいけないことになっている。この中に妊婦はおるか?」
魔術師は無遠慮に尋ねてくるが、花嫁科に通う乙女にする質問ではないだろう。
セリカは丁重に、
「大丈夫です」
と言い放った。
「まあ、一応決まりなのでなあ。悪く思わないでくれ」
その他、諸注意を受けると、四人はそれぞれ魔法陣の上に乗る。
ここに龍脈を調整し、魔力を注ぎ込めば転移するのだが、転移されるものは特にやることはないらしい。
転移酔いだけには注意しろとのことだが、どう注意すればいいのだろうか。
フィルは頭を悩ませたが、その答えが出るよりも先に、空間が歪む。
どうやら転移が始まるらしかった。
いまだに転移装置なる物体の仕組みはよく分からないが、これを使えば故郷の山の近くに行ける。
それだけで心がうきうきしてくる。
フィルはそわそわしながら、転移装置から流れ込む魔力に身をまかせた。




