閑話 スイートポテト.
秋深まる、ある日のことである。
セリカは憂いを帯びた、ため息を一つついた。
最近、フィルの様子がおかしいのである。
フィルとは王家のご落胤でありながら、侯爵令嬢であるセリカが迎えに行くまでずっと山で暮らしていた少女のことである。
心根が素直で優しく、誰からも好かれる愛らしさと、強靭な意思。しかし、いっしょに暮していた祖父以外の人間をまるで知らずに生きてきたため、子供ですら知っているはずの常識や礼節が、フィルには致命的に欠けている。
セリカの役目は、次の女王となる未来を持つフィルを立派なレディにすることだった。
フィルにはそれが窮屈だったのだろうか。
セリカは最近、フィルに避けられているような気がしていた。
今朝もそうだ。
「フィル様、学校が終わりましたら、今話題になっているケーキのお店にいきませんか?」
「ケーキ! もちろん、行く……あ、ごめんなの。ボク、シャロンと約束をしてるの!」
食いしん坊のフィルとはとても思えぬ台詞だった。
「……あらあら。それでは、シャロンさんもご一緒に」
「それはできないのっ。シャロンにセリカがいないところで、と言われてるの!」
「……フィル、様?」
セリカはにっこりと微笑む。
わたくしに隠れてなにをなさっているのですか?
と問う前に、フィルは明後日の方向を見上げて、ポンと手を叩いた。
「ごめん、セリカ! ボク、金魚にごはんをあげるのを忘れてたの!! さ、先に学校に行っててなのー」
止める間もなく、慌てた顔で逃げるフィル。
そうして、セリカは今日も彼女がなにをしているか聞き出せなかった。
そんなことが、もう三回続いている。
「フィル様が、わたくしに隠し事なんて。フィル様が自立をしてきたということで、良いことなのかもしれませんが……」
放課後。学内で白百合の君と崇められているセリカは、行き交う生徒たちから羨望の視線を受けながら廊下を歩く。
ぼんやりしながら歩いていると、視界の端を銀髪の少女が過ぎった。
「フィル様!!」
フィルはセリカには気づかず、廊下を走っていってしまう。
どこへ行くのだろう。
セリカはフィルの後を追う。
しかしセリカはフィルと違って廊下を走ったりできない。侯爵令嬢として、品位を損ねない速度でフィルが走っていった方向へ向かっていると、見覚えのあるメイド服の女性と遭遇した。
「セ、セリカ様!?」
彼女、シャロンは明らかに、しまったという顔する。セリカは笑顔で、彼女の両手を握りしめた。
「シャロンさん、フィル様の元に案内してくださいませんか?」
その笑顔は決して、NOとは言わせぬ迫力であったと、後日、シャロンは語った。
プルプル小鹿のように震えながら、シャロンはセリカを案内する。彼女が案内したのは、予想外の場所だった。
「調理室、ですか? 本当にこちらにフィル様が?」
「ええ……そのぉ、まあ、そうです、はい」
とても歯切れが悪いシャロンを置いて、セリカは室内に入る。
するとそこには、エプロン姿のフィルがなにやら奮闘していた。
「シャロンー、やっぱり、ボクが割ろうとすると破裂しちゃうの! え、え、え、セリカ!ど、どうしてここに!」
「シャロンさんにつれてきてもらいました」
「マジかー」
「マジです。フィル様は、なにをなさっているのですか?」
「卵を割ろうとしてるの。でも、ボクが割ろうとすると破裂しちゃうの!」
ノックをして、扉を粉砕したことのあるフィルである。卵の殻を割る力加減ができないのだろう。
「わたくしが割って差し上げます」
「ダメなの! ボクが全部、一人で作りたいの!!」
「なにを作ろうとしているのですか?」
「スィートポテトだよ」
フィルは食いしん坊だが食べる専門で、今までお菓子を作ろうとしたことはない。一体どうしたのだろう。
「えーと、ですね。フィルさんのクラスで、好きな人に、手作りのお菓子をプレゼントするというのが流行っているそうなんです」
「ダメなの! シャロン、セリカに話したらダメなの」
大慌てのフィルを見て、セリカは目を閉じた。にっこりと笑う。
「大丈夫です、フィル様。わたくしは、なにも聞いておりませんよ」
その言葉を、純粋なフィルは信じたようだった。
しかし、セリカの頭の中は、フィルに好きな子がいるという衝撃でいっぱいである。
セリカが娘のように、妹のように、可愛がっているフィル。
フィルが選ぶのならば間違いのない人間だろうとは思うが、だからといって、嫉妬心を覚えないかと言えば否である。
「フィル様……卵は繊細です。そんなふうに握りしめたら壊れてしまいますよ」
それでも、セリカは優しくフィルに卵の割り方を教える。
「そう。卵を小さな小鳥だと思って、痛がらないように優しく優しく持って、ボウルの淵で、こんこんと、優しくノックするように。はいそうです。ヒビが入ったらその隙間に、親指をそっと入れて」
「わ、やったー! セリカ!! ボク、綺麗に卵が割れたよ!!」
フィルは眩しいまでの笑顔で、セリカを振り返る。嬉しくて仕方がないらしい。
「フィル様、お上手です」
その後、二人は仲良く、スイートポテトを作る。
スイートポテトは、茹でたさつまいもをつぶしてペースト状にし、そこに砂糖、バター、卵黄をいれる。牛乳を少しずつ加えて、固さを調節したら、その生地を小さな型に入れて焼き上げるという、シンプルな焼き菓子だ。
シンプルだが、セリカの好物でもある。
侯爵令嬢のセリカは今まで様々なお菓子を口にしているが、もともと、さつまいもが大好きなのだ。
以前、新聞部にさつまいもを三個も食べたと書かれても、食べることを控えずに四個食べるくらいに好きなのだ。
その上、愛しいフィルがはじめて作ったお菓子である。
形の悪いので良いから、一ついただけないかしら?
と思いながら、セリカは焼き上がったスイートポテトを見つめる。
「フィル様、美味しそうにできあがりましたね!」
「うん! セリカが作り方を教えてくれたからだよ。ありがとう!!」
しかし満面な笑みのフィルを前にすると、自分にも一つもらえないか、とは言い出せなかった。
フィルが一生懸命作った貴重な、貴重なお菓子なのである。それも自分に隠れて。
「あら?」
セリカはふと引っかかった。
「どうしたの? セリカ」
「あの、フィル様。どうして、わたくしに内緒でお菓子を作られたのですか? まさかとは思いますが、わたくしにお菓子を食べられてしまうとお思いになったのでしょうか?」
「違うよ!」
フィルはぶんぶんと、首を振る。
「このお菓子は、セリカにあげたかったから! どうせだから、内緒にしてビックリさせたかったんだよ」
「まあ!」
「ボクはセリカが大好きだから。セリカが好きなさつまいものお菓子を作ってあげたかったんだー」
嬉しすぎる言葉に、セリカは感涙しそうになる。
フィルに気づかれないように、涙を指先で拭って、セリカは幸せそうに微笑んだ。
「フィル様、ありがとうございます! それでは、わたくしは美味しい紅茶をおいれしますね」
「うん!! いっしょに食べよう!」
そうして、二人は幸せなティータイムを過ごすのだった。




