ヤキュウ(前編)
王立学院の中庭、フィルは猫のように丸くなって日なたぼっこをしている。
それを実の姉のように見るのは彼女の保護者である侯爵令嬢のセリカ、まるで花々でも愛でるようにフィルをいとおしげに撫でるが、セリカの至高の時間を邪魔する影がひとり。
そのものは男爵令嬢テレジア。
先日からフィルのことを目の敵にする困ったクラスメイトだ。
フィルとしてはそんな彼女とも仲良くやっていきたいのだが、テレジアの闘争心は通常の三倍はある。
フィルの平和的な心をもってしても彼女の敵対行動を収めることはできなかった。
テレジアはびしっと指をフィルに突き立てながら言う。
「そこの山だしガール! 先日はよくも皆の前で辱しめてくれましたわね。あのときの借り、利子をつけてお返ししますわ」
あのときの辱しめとは
たぶん剣術の授業でボコボコにされた件を指しているのだろう。
フィルは先日の授業でテレジアを完膚なきまで叩き潰したのだ。
そのときの恨みを晴らすためにやってきたようだが、当のフィルはのんきに日向ぼっこを続けていた。
「気持ちいい。このまま植物になりたい……」
ぽやーん、と、とろけているが、それがさらにテレジアの気に障ったようだ。
「こ、この田舎娘! わたしにここまでの屈辱を与えるなんて。もう許しませんわ。勝負よ、勝負なさい」
「勝負ってなに~?」
ぽわ~ん、と聞くフィル。
フィルとしてはテレジアと喧嘩する気などないが、彼女と勝負するのは嫌いではなかった。
花嫁科の同級生はあまり闘争心がなく、体育の授業が暇なのである。
「勝負の内容は、『ヤキュウ』ですわ。ヤキュウで勝負よ」
「ヤキュウ?」
首をひねり、口元に指を添える。
「ヤキュウは食べ物じゃありませんよ」
とセリカが説明してくれる。
「さすがにそれくらいは文脈で分かるの。それに今はそこまでお腹減ってないの」
「それはいいことです。ならば説明しましょう。ヤキュウのことを」
なぜかテレジアよりも気合いが入っているセリカ。
下級生でもあり、家格も低いテレジアもちょっと遠慮している。
「ヤキュウとは、異世界から伝来したジェントルメン御用達のデュエルのことです」
「ジェントルメン?」
「紳士のことですね」
「ボクは淑女だけど」
「候補ですね、正確には。まだまだ淑女を名乗れません」
「だけど、紳士って男だよね?」
「そうです。よく気が付かれました」
偉い偉い、とフィルの頭を撫でるセリカ。
えへへ、と喜ぶフィル。
「ヤキュウは本来、殿方のスポーツ。女子はやらないものです」
「ならどうしてそんなスポーツを?」
とテレジアのほうを向くが、彼女はやっと自分の出番か、と逸った。
「その考えは古いですわ。ヤキュウはもう殿方だけのスポーツではない。ヤキュウという異世界のゲームは、学生の健全な身体と精神の育成に役立つ、と、全国の学校で流行中なのですよ」
なんでも今度、当校にもヤキュウチームが設立され、王立学院リーグが作られるとの噂もあるらしい。
「へー、すごいの。面白そうなの。やりたいの」
興味津々のフィル、もはや対決ムードなど吹き飛び、わくわくモードに移行している。
テレジアとしてはそれが気に入らないが、まあ、なんとか勝負に持ち込めたと安堵する。
びしっと、フィルを指さし、宣言する。
「ふふ、あとで吠え面をかかないようにね。それにヤキュウは九人でするもの。ちゃんと面子を集めておくことね」
テレジアは親切なんだか、喧嘩腰なんだか分からない言葉を残すと、そのまま「おほほほ」と立ち去った。
急に静かになる中庭。
周辺に静寂が戻るが、先ほどのようにまったりはできない。
聞き捨てならない台詞を聞いてしまったからだ。
「セリカ、セリカ、今、テレジアがヤキュウは九人ですると言ったの。それは本当?」
「ええ、本当です。ヤキュウは九人でします。ナインと呼ばれし、選ばれたものたちが、スタジアムという場所で球を投げ合います」
「そんなスポーツだったのか。知らなかった」
「個人戦だと思われたのですね」
「うん、そう。ああ、困ったな。ボクには友達が少ない……」
もちろん、山に帰れば山の獣たちがいくらでも力を貸してくれるだろうが、生憎とまだこの学院に友人は少なかった。
友人と呼べるのはセリカ、メイドのシャロン、クラスメイトのシエラ、三人しかいない。
フィルはじーっとセリカを見つめる。
「じぃ……」
という擬音が口から出るくらい見つめる。
穴が空くほどにセリカを見つめる。
その視線に気が付いたセリカは、にこりと微笑む。
「分かっていますわ、フィル様。二番目のナインは不肖ですが、このわたくしが務めさせて頂きます」
と言うと、フィルは、
「やたっ♪」
と飛び跳ねた。
こうして始まったフィルのメンバー集め。ヤキュウをするにはあと七人メンバーが必要だった。
メイドのシャロンとクラスメイトのシエラはOKしてくれると勝手に思い込んだフィルは、他のメンバーから見つけることにする。
テレジアにはナインは女の子だけ、といわれているので女の子だけを集める。
といってもいまだ雌雄の見分けが苦手なフィルは、通りかかる女の子を皆、パフパフする。
胸があれば女の子だろう、という計算の元におこなっている作戦であるが、それで性別が判明しても、皆、逃げ出すだけだった。
「この娘に連れて行かれればなにをされるか分からない」
表情にも台詞にも出し、皆、逃げていく。
「なんでみんないやがるの!? ヤキュウは楽しいのに」
「当然です。フィル様、女性の胸を触るのは御法度です」
セリカは注意するが、「ただ――」とも付け加える。
「ぱんぱんやパフパフを止めてもナインを集めるのは難しいでしょうが」
「ほえ? どうして?」
「この学院の女の子はお嬢様が多いのです。スポーツが苦手なのです」
「剣士科の子は元気だよ?」
先日会った戦士志望の女の子の姿を思い出す。
「剣士科の娘は逆にすでになにかしらの団体に所属していて確保が難しいでしょう」
「うーん、そういうものなのか……」
「そういうものなのです。ここは募集は後回しにし、ヤキュウの練習をしませんか」
「練習?」
「はい、そうです。ヤキュウに誘うにしても我々がなにもしらなければヤキュウの魅力を伝えられません。まずは我々がヤキュウの良さを熟知し、そのあとにプレゼンをするのです」
「おお、セリカは頭いい。それでいこう!」
と元気よく微笑むと、フィルは一旦寮に帰り、メイド服姿の少女を連れてくる。
やってきたのはメイドのシャロンだった。
彼女はなにごとですか、という顔をしている。
やはりフィルはなんの事情も説明することなく、「あそぼ」とシャロンをさらってきたようだ。
セリカはため息を漏らすと、フィルの代わりに説明をする。
「かくかくしかじか……」
「ふむふむ」
なるほど、とシャロンはうなずく。
「分かりました。要はヤキュウをやる面子がほしいのですね」
「端的に言えば」
「ならばこのシャロン、協力しましょう。こう見えてもメイド界のエースで四番とはわたしのこと。投げては先発完投の豪腕、打っては俊足巧打のいぶし銀、守っては内野ならどこでもこなせる守備職人なのです」
「おお、よく分からないけど、強そうなの」
うきうきのフィル。
セリカはシャロンがヤキュウに詳しいことに驚く。
「実はヤキュウは我が故郷が最初に導入したスポーツなのです。エルティア王国ではヤキュウが盛んなのです」
えっへん、とシャロンは胸を張る。
「まあ、それは知りませんでした。頼もしいですわ」
とはセリカだが、フィルのなにげない一言にセリカはおののく。
「ところでシャロンはヤキュウが上手いの?」
「たぶん、上手いです」
「たぶん……?」
と冷や汗を流すセリカ。
「いやあ、祖国では盛んなのですが、生憎と一回もやったことがないんですよね。一度、村の広場で興業をみたくらいです」
その言葉にセリカは落胆するが、すぐに気を取り戻す。
(……まあ、ただでさえメンバーが集まらないのですから、贅沢は言っていられませんね)
と自分を鼓舞すると、三人でグランドに向かった。




