憤怒の悪魔
前方から無数の槍が飛んでくる。
その数は三〇を超える。つまり、ガーゴイルの数は三〇を超えると言うことだ。
するどい手槍の一撃がフィルたちを襲うが、フィルは呪文を詠唱すると《大嵐》魔法を唱えた。
台風のような風が吹きすさみ、手槍はあらぬ方向へ飛んでいく。
第一撃はそれでかわしたが、ガーゴイルたちも馬鹿ではない。それは想定済みだったようで、拳にあるかぎ爪を伸ばしながら襲ってきた。
叡智の騎士ローエンはそれを颯爽と避けると、一撃でガーゴイルを切り捨てる。
ルイズは攻撃を食らった振りをすると、変わり身の術を使って敵の背後に回り込み、一撃で敵の首を掻き切る。
ダークフィルは豪快に攻撃魔法をぶっ放し、ホワイトフィルは華麗に攻撃魔法を放つ。
フィルはいわずもがな。
セリカの出番はなさそうであった。
事実、ガーゴイルの襲撃は数分で終る。十数匹のガーゴイルを討ち取ると、そのまま後退していった。
「追い払うことに成功しました」
安堵の溜め息を漏らすと、ルイズは、
「お嬢様、追撃しますか?」
と尋ねてくる。
セリカは首を横に振るう。
「やめておきましょう。憤怒の悪魔はこのような罠を何重にも張っているはず。いちいち深追いしていたらこちらの身が持ちません」
その言葉は正解だった。
翌日はオーガの集団、その翌日はゴブリンの集団、と次々とモンスターが差し向けられる。
無論、そのつど、撃退するが、敵の襲撃間隔が短くなっていることに気が付く。
「敵はやはり古城にいるようですね」
「そのようです。しかし、この様子ですと古城の守りは堅いはず。このまま正面から入るのは危険かと」
「……ですね。どうしましょうか」
と悩んでいると、叡智の騎士は剣を抜き去りながら言った。
「お嬢様、ここは俺とルイズに任せてください」
「ローエン……」
セリカは叡智の騎士ローエンの瞳を見つめる。
「あなたがやろうとしているは、俗に言う、ここは俺たちに任せて先に行け、というやつですね」
「ですな。我々が古城のモンスターを引きつけます。その間、お嬢様とフィル様に古城の奥にいる悪魔を討伐してもらう」
「危険すぎます」
「それは憤怒の悪魔討伐を担当されるものも同じかと。今は時間がないのです」
ローエンは言う。
時間とは呪いで伏せているエスモアの健康状態のことだろう。何日も時間を掛ければ死んでしまうこともあり得た。
「…………」
セリカはしばし考え込むと、その作戦を採用する。
結局のところ、その作戦が一番成功の可能性が高そうであった。
セリカはローエンの手を握り締めると、
「ご武運を――」
と言った。
中年の騎士は、にやり、と不敵に笑うと、古城の中に入っていった。
その後ろにメイドのルイズも静かに続く。
十数秒後、魔物たちの雄叫びが聞こえた。
セリカはふたりに魔物の注目が集まったことを確認すると、城の裏手に回る。
そこから一気に主の間に向かうつもりだった。
セリカは城の地図を片手に、迂回路を駆使し、敵との遭遇を避けながら城の奥に進んだ。
城の奥。主の間まで向かうと、一際立派な椅子に青白い顔の貴族が座っていた。
彼は物憂げな表情で宙を眺めていた。
こちらに視線を合わせることなく、つぶやく。
「この世界でもっとも勝敗に結びつく感情は『怒り』だ。
怒れば冷静な判断力を失う。
相手が見えずに不覚を取るようになる。
要は無闇に怒れば負けるのだ」
しかし、と貴族は続ける。
「怒りが勝ちに繋がることも多い。
相手に対する復讐心。
相手を上回ろうとする虚栄心。
すべて怒りがその源泉となる」
「…………」
セリカたちは貴族の言葉を噛みしめる。正論だと思ったのだ。
しかし、正論だからと言ってなんになる? セリカたちの目的は、この卑劣な憤怒の悪魔を討伐することだった。
彼を倒さなければエスモアに未来はないのだ。
それはフィルにもいえる。
この男は生きている限り、フィルを狙うだろう。その血肉を奪い、完全体になろうとするだろう。
それは侯爵令嬢として、フィルの友人として、絶対に認められないことであった。
なのでセリカは挨拶代わりに呪文を詠唱する。
「燃え上がる炎よ。邪悪な生命体を駆逐せよ」
と言うと手のひらに出来上がった火球を投げつける。
貴族は避ける様子もなく、それをまともに食らう。
しかし、服は燃え上がるが、ダメージを受けた様子はなかった。
炎をまとった男は、愉悦にも似た笑みを浮かべながら立ち上がる。
「侯爵の娘よ。有り難い。炎は怒りに直結する。怒りにもっとも近しい元素」
「つまり私はプレゼントを贈ってしまった、ということですね」
にやり、と肯定すると、「ならば!」と動いたのは、フィルだった。
彼女は自身の周りに《水球》を作り出す。
通常、水球の魔法はあまり攻撃力がない魔法である。攻撃魔法としてよりも応用魔法、補助魔法として使われることが多い。
ただ、フィルの水球は別格であった。
以前、セリカは一緒に訓練したとき、フィルの水球が岩を砕くのを、木々をへし折るのを何度も見た。本気を出せば巨熊の背骨さえへし折るだろう。
そのように強力なフィルの水球。しかもそれが彼女の周りに無数にあった。
一個、
二個、
四個、
八個、
と、どんどん増えていく。
水球に限らず、魔法というのは単発の威力を増加させるより、数をこなす方が難しい、
ましてやフィルほどの威力の水球を同時に操るには、普通の術者には不可能であった。フィルはその難事を平気な顔でこなす。
結局、一六個まで増えた水球を器用にコントロールし、一個、一個、確実に憤怒の悪魔にぶち当てる。
一個目はやつの正面に、二個目は右側、三個目は左、天頂、足下、あらゆる場所にぶつける。
憤怒の悪魔はそのたび、苦悶の表情を浮かべる。
首がへし折れ、全身の骨が砕かれる。
通常ならばそれで死に絶えるのだが、さすがは悪魔、それくらいでは死なない。
それどころか笑みを漏らしながら言う。
「さすがは大賢者ザンドルフの孫娘。その一撃は重い。攻撃を食らうたびに復讐心が鎌首をもたげる」
「へっ! それはいいけど、ボコボコで手足も出ないじゃねーか」
煽るのはダークフィルだが、憤怒の悪魔は気にした様子もなかった。
彼には奥の手があるのだ。
「素晴らしい。最高だ。大賢者の孫娘よ。お前は俺を常に怒らせる。その実力、無邪気さ、そして人に愛される様。すべてが怒りを駆り立ててくれる」
憤怒の悪魔はそう言うと怒りに染まる。
己の身体を変質させる。
ばきばきと、己の骨を砕き、皮膚を切り裂き、悪魔の本性を現す。
どす黒い筋肉、醜怪な犬歯、真っ赤な翼。どこからどう見ても悪魔にしか見えない形状へと変化する。
それを見たダークフィルは途中で攻撃を加えようとする。
「へへん、変身途中に攻撃しないのは物語だけさ」
と《雷撃》をぶん投げるが、悪魔はそれを右手でキャッチすると握りつぶす。
ダークとしては渾身の一撃だったので、思わず冷や汗を流してしまう。
(……やばいな)
ダークはそう思ったようだが、それはこの場にいる全員が感じていた。
もしかしたら負けるかもしれない。
一同はそういう認識のもと、戦闘を続けることになる。




