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悪魔の猪

 目の前にいる大きな猪。

 それはフィルの故郷の竜の山にもいないような大きさを誇っていた。

 さすがのフィルズもびびる。


「げ、下界にはこんな大きな猪がいるのか?」


「セレズニア王国恐るべしです」


 鼻息荒く、こちらを見つめている猪に戦々恐々としていると、「くっくっく……」

 という笑い声が聞こえる。

 その笑い声の人物に注目する。

 彼女は夢遊病患者のように虚ろな目をしていた。


「お、おまえは!?」


 ダークは目を見開くが、

「……誰だっけ?」

 きょとんとする。呆れるのはホワイト。彼女は突っ込む。


「ダークの馬鹿、この子は学院の風紀委員でしょ。フィルの天敵の」


「ああ、そうだった。――あれ? でもなんでその風紀委員がこんな場所に」


 その説明は彼女自身がする。


「我の名は憤怒の悪魔。――おまえたちを抹殺し、フィルローゼの血肉を頂く」


「なんだって!?」


「そもそもおまえたちを誕生させたのは、フィルローゼの能力を弱めるためだ。おまえたちを各個撃破し、フィル本体を孤立させるぞ」


 と言うと風紀委員の少女エスモアはにたりと笑い、ダークとホワイトを指さす。

 すると興奮状態にいた猪が襲いかかってくる。


 猪突猛進、それを絵に描いたような一撃を見舞ってくる。

 ダークとホワイトは左右にジャンプし、それをかわす。

 するとエスモアが魔法を唱え、エナジーボルトの一撃をかましてくる。


 ホワイトはそれを防壁で防ごうとするが、エスモアの魔法は意外と強力で、防壁にヒビが入る。


 このままではそのまま突き破られ、ホワイトが死ぬ。そう思ったダークはホワイトを蹴飛ばした。


 数メートル吹っ飛ぶホワイト、彼女は血で滲んだ口を拭きながら、

「まさか蹴っ飛ばされるとは思っていませんでした」

 と笑った。ただ怒ってはいないようだ。


「命を救っただけだよ」


「分かっています」


 と言うとホワイトは、右手に魔力を込め、《火球》の魔法を無詠唱で放つ。

 ホワイトの魔法は綺麗な挙動でエスモアに向かうが、彼女は防壁を張った。


 その防壁を突き破ってダメージが通ったかは分からない。爆煙で視界が塞がれたからだ。


 しばし注視していると、エスモアの防壁は健在だった。彼女はダメージひとつ受けていない。


 さらに煙が収まったと同時に、その奥から巨大猪が突進してくる、

 ダークはホワイトの前に回り込むと、牙をがしっと掴み、突進を防ぐ。


 猪の力は凄まじく、ダークは押されるが、ホワイトも加勢すると、そのまま猪を押し戻す。


 巨漢の猪もこのような細身の娘に押し返されると思っていなかったのだろう。驚いているが、エスモアは計算通りだったようで、にたりと笑うと《転移》の魔法を唱える。


 すると猪と対峙している真横に現れ、そこで《散弾》の魔法を唱える。



 猪と力比べ

 不意打ち

 後背に魔法



 そのみっつが重なれば、さしものフィルズも避けることはできなかった。

 十数メートル吹き飛ぶ。木々をへし折りながら吹き飛ぶ美しい少女たち。


 常人ならばそこで死んでいるが、ふたりはダメージを負ったものの、意識を保っていた。


 だが、苦痛で表情を歪める。


 ダークのあばら骨が折れているようだ。ホワイトはすかさず治癒魔法を掛けるが、エスモアはその瞬間を見逃さなかった。


 猪を突進させつつ、魔法を唱えている。


 しかもその魔法は禁呪魔法だった。この辺一帯を焦土にできるほど強力なやつだ。

 これは詰んだかしら? ホワイトは自嘲気味に分析するが、ダークはニヒルに応える。


「……そんなことはないみたいだぜ。真打ちは最後にやってくるんだよ」


 どういうこと? とダークの視線を追うと、空がきらんと光った。


「あ、あれは?」


 見れば遠くから大木が飛んでくる。

 その上には王立学院の制服を着た銀髪少女が仁王立ちしていた。

 その後ろには必死に大木にしがみつく金髪の少女が。


「もしかしてフィルとセリカ?」


「この世界にあんな非常識な登場をするやつがあたしたち以外にいて堪るか」


「そうよね」


 ホワイトが苦笑を浮かべていると、ずどん! とフィルは到着する。


 フィルは大木が地面にぶつかる前に、セリカを抱え、魔法で逆噴射し、衝撃を弱める。


 さらに空中で大木の軌道を変えたようで、大木をそのまま巨大猪に命中させた。


 なんと冷静で的確な判断! と思ったが、これは敵と判断したからでなく、美味しそうな猪がいたのでついでに狩ろうと思ったらしい(あとで聞いた)。食い意地の張った娘である。


 しかし、彼女の参戦、協力は願ったり叶ったりであった。

 学院で一番の実力者、大賢者の孫娘は地上最強なのである。

 そう思っていると憤怒のエスモアは高笑いを上げる。


「飛んで火に入るフィルとはこのことね。探しに行く手間が省けたわ。さすがに学院で暴れるわけもいかなかったし」


「それはこっちも同じ、ボクも学院で暴れたくない。みんなに迷惑掛けたくないし」


「それは私に勝つこと前提のような言い方ね」


「そだよ」


「くすくす、馬鹿な娘ね。憤怒の悪魔の力を得た私は最強よ。そもそもあなたを三人に分けたのは弱体化させるため。そのうちふたりをボコボコにしたのだから、あなたもボコボコになると思わない?」


「それはないね」


 キッパリ! という言葉が似合いそうなほど胸を張るウィル。その理由も述べる。


「だって、君は数週間前、つまりダークとホワイトが分離したときのボクの強さを基準にしてるんでしょう」


「そうよ、そのときの強さを基準に戦略を練っているわ」


「じゃ、駄目だね。君の負け。だってボクは毎日変わってるから、毎日成長しているから。昨日のボクより今日のボク、今日のボクよりも明日のボクの方が強いんだよ」


 と言うとフィルも魔法を詠唱し始める。エスモアと同じ魔法だ。同じ禁呪魔法を使うつもりらしい。


 ふたりの魔力の量は同等に見えたが、呪文の詠唱速度、流暢さはフィルが上回っていた。


 それに気が付いたエスモアは、


「ば、馬鹿な!? 本当に成長している!?」


「この一週間でダークとホワイトと友達になったの。ダークは悪い子だけど、ほんとは素直なの。ホワイトは真面目で優しいの。そこを見習った」


「すべて自分でしょうに!」


 とエスモアが禁呪魔法を放つと、同時にフィルも同じ魔法を放つ。

 巨大なエネルギーの塊が空中で激突する。

 激突した瞬間、エネルギーが飛び散り、爆風と光が解き放たれる。

 ダーク、ホワイト、フィルはそれを遠くから見守る。

 最初、両者のエネルギーの威力は互角に見えたが、徐々に趨勢がはっきりする。

 やはりフィルのほうが実力は上だったのである。

 エネルギー波がエスモアのほうに向かい始める。


「そ、そんな!? 馬鹿な!? 本当に日々、成長しているというの!?」


 それに答えたのはセリカだった。


「フィル様を三日見なければ刮目してみよ! です。それにフィル様は他人を守るとき、能力を何倍にも跳ね上げます。それを計算していなかったのがお前の敗因です」


 と言うとエスモアに憑依していた悪魔は、

「――一時的に撤退する」

 とエスモアから抜け出る。


 黒い邪悪なオーラは天に向かって消えるが、するとエスモアの魔力はゼロとなり、エネルギー波が迫る。


 そのままエネルギーに包まれれば、普通の女子生徒など瞬時に消し炭となる。

 そう悟ったフィルはすぐに彼女を救おうと思ったが、行動には移さなかった。


 彼女が嫌いだからではない。エスモアは風紀委員でフィルを目の敵にするが、そんなことはフィルにはどうでもいいことだった。


 フィルが動かなかったのはダークとホワイトがすでに動いていたからである。


 ホワイトが気を失ったエスモアを介護しながら、ダークが転移の魔法を唱えていた。まるで双子の姉妹のような連携である。本家の出る幕はなかった。


 フィルズがエスモアを救うと、先ほどまでエスモアたちがいた場所に高密度のエネルギー波が通る。


 木々をなぎ倒し、森の地形を変える。木々は少なくとも数百メートルは飛んだことだろう。


 このようにしてフィルは自分を付け狙う憤怒の悪魔の第一陣をかわした。

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