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消えたうずら

 風紀委員襲撃事件を乗り越えたフィル、風紀委員に代表されるように、フィルは一部の堅苦しい生徒や教師から人気がなかった。


 学院の廊下を走り回ったり、宙返りしたり、木に登ってカブトムシを捕まえたりしていればそうなるが、フィルにも主張はある。



「カブトムシじゃないの! クワガタを獲っていたの!」



 ……主張はあるが、反フィル派の人たちの言い分ももっともなのかもしれない。


 しかし、セリカはフィルの常識知らずの行動を頭ごなしに叱るようなことはなかった。


 なぜならばそれはフィルの個性だからである。


 俗世に染まらず、山の奥で優しい仲間たちと暮らしていたからこそ、誰をも慈しみ、敵にさえ情けを掛ける優しい女の子に成長したのだ。


 それは彼女の個性であり、最大の長所であった。それを失わせるのは惜しいと思っているのだ。


 それにフィルは一部の生徒に嫌われていたが、それ以上に味方が多かった。


 すでに礼節科の生徒のほとんどは彼女の天真爛漫な性格に魅了されているし、白百合寮の寮生もそれは同じだった。


 同じクラスや寮生だけでなく、フィルの優しい性格、個性的な性格は学院中の生徒を魅了しつつあり、敵よりも圧倒的に味方が多いのである。


 セリカとしてはこのままフィルに学院生活を送ってもらい、徐々に常識を身につけてほしかった。


 そのように願っているのだが、セリカはある日、由々しき噂を耳にする。



「セリカ様、聞きました?」



 と、やってきたのは新聞部のエース、シエラである。

 彼女はあくまで噂ですが、と前置きした上で言った。


「最近、フィルさんが悪い子になったみたい」


「……悪い子? ですか」


 それは聞き捨てならない噂であった。詳細を尋ねる。


「はい、なんでも食堂の中華丼のうずらの卵を五個も取ったとか」


「チュウカドン……? ウズラ……?」


「ああ、セリカさんは知らないのか。ええと、中華丼というのは東方の料理で、八種の野菜と肉を煮込んで、とろみを付けたものをご飯に掛けた料理です。うずらの卵を茹でたものを乗せるのですが、通常は一個だけなんです」


「なんと、つまりフィル様はひとりで五人分も独占したと」


「そうなります」


 それは悪い子である。

 セリカは注意をしようと思ったが、フィルの悪行は他にもあるらしい。



 学院で捕まえたカブトムシを、街で子供たちに売っていた。

 カブトムシとクワガタを戦わせ、賭け試合の胴元をしていた。

 厭がる女性の髪にカブトムシをいっぱいくっつけた。



 などという報告が上がっているようだ。


 ……全部カブトムシに関連しているような気がするが、悪いことをしているのはたしかなようである。


 これは注意しないと、と立ち上がると、セリカは教室を出て、フィルを探す。



 礼節科の教室を出ると、廊下でテレジアと出くわす。


 テレジアとは礼節科のクラスメイトである。気の強い男爵令嬢であるが、最近、少しだけ仲がいい。


 彼女はセリカを見つけると、

「あら、セリカさん、ごきげんよう」

 と話しかけてきた。


「ごきげんよう」


 と返事をするが、深く話している時間はない。そのまま去ろうとするが、逃がしてくれなかった。


 それにテレジアはフィルのことを口の端に乗せた。なんでも奇妙な噂を聞いたらしい。


 セリカは足を止める。


「聞きました? セリカさん」


 テレジアはそう前置きすると、言った。


「最近、フィルさんがいい子になったらしいです」


「……いい子ですか?」


 奇妙な物言いだと思った。先ほどシエラに悪い子になった話を聞いたばかりなのに、と思ったのだ。


「どのようないい子になったのでしょうか?」


「そうですね。例えば廊下では絶対走らなくなりました。それに会う人すべてににこにこと微笑んでごきげんようと言うらしいです」


「……それは奇妙ですね」


 廊下を見つけるとばびゅーんと走ることに命を懸けるフィル。それに彼女はごきげんよう、などという挨拶は好まず「よっ!」と手を上げることが多かった。


「それだけじゃなく、学院の裏庭で花壇を作ってパンジーを育てたり、刺繍を始めたり、校門前でゴミ拾いもしていました。あと、アーリマン学院長の肩を揉んだり」


「…………」


 本当に奇妙である。フィルは基本いい子であるが、そのようなお嬢様じみた善行はしない。基本、その圧倒的な身体能力で物事を解決するのだ。


 セリカはしばしその場で考え込む。

 シエラからもたらされたフィルの悪行、テレジアからもたらされたフィルの善行。


 まるで違う人物の行動に見えるが、どちらもフィルが行っているのはたしかなようだ。


「……なにか臭うわ」


 それは確信していたが、それ以上の考察は進まなかった。これ以上はフィルを探し出し、本人に問いたださなければならないだろう。


 そう思ったセリカは男爵令嬢テレジアに背を向けると、フィルを探し始めた。

 フィルを探すのはそんなに難しくない。

 存在感の塊なので、その辺を歩く生徒に話しかければ情報を得られるのである。



「先ほど、ホッドドッグを囓りながら中庭のほうに」

「落花生を食べながら噴水に」

「クッキーを食べながら教員棟のほうに」



 様々な目撃情報が手に入る。


 すべてなにか食べながら、というのは突っ込まずフィルを探すが、最後の情報によってフィルの居場所を探り当てる。



「フィルさんならば今し方、学食で」



 と言う情報を得ると、情報提供者の女生徒に感謝を述べ、すぐ向かう。

 するとそこには食券の販売機の前で悩んでいる銀髪の少女を見つけた。


「中華丼にすべきか、クリームシチュー丼にすべきか、それが問題なの……」


 真剣に悩むその姿は、「生きるべきか、死ぬべきか」と哲学した古代の哲学者を想起させる。それくらい真剣なのだ。悩みの内容以外は。


 セリカはどちらでもいいじゃないですか、と思いながらフィルに話しかける。


 腕を組んで悩んでいたフィルは、


「あ、セリカだ」


 と、ぱあっと顔を明るくする。


「セリカー、ボク、今悩んでいるの。中華丼にすべきか、クリームシチュー丼にすべきか」


「それは一大事ですが、その前に少しお話、いいですか?」


「ええー、ボク、おなかぺこぺこ」


「ホットドッグと落花生とクッキーを食べたと聞きましたが?」


「ほえ? そんなの食べてないよ?」


「目撃証言がいくつもあります」


「いや、本当に食べてないんだけどなあ」


 と言うフィルを食堂の端に連行する。

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[一言] 「カブトムシじゃないの! クワガタを獲っていたの!」  ……主張はあるが、反フィル派の人たちの言い分ももっともなのかもしれない。  しかし、セリカはフィルの常識知らずの行動を頭ごなしに…
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