帰ってきたよ、セレスティア
セレスティアの王都に帰ると、ケットシニアに旅立ってから一日も経過していないことに気が付く。
やはり妖精の国と人間界は時間の流れがちがうようだ。
それは学生であるセリカたちには僥倖なことであった。
セリカたちは学院長にことの顛末を報告に行く。
アーリマン学院長は一魔術師として妖精の国のことを詳しく尋ねてきた。
セリカは、ケットシニアの風俗、文化、文明などを事細かに話す。
フィルはケットシニアの住民について話す。
セリカが事細かに学術的に話すのに対し、フィルは感性で話すのが対極的であった。
フィルは猫は可愛い。長靴は一個一個違うの、語尾にニャを付けるの、などと話し、セリカは人間界との違いを詳細に話し、自分の考察も入れる。
三時間ほどであろうか、ケットシニアにおける王制と軍制の考察に話が及んだとき、コンコン、と学院長室をノックする人物が現れる。
やってきたのは学院長の秘書だった。魔女のような格好をした妙齢の女性は、紅茶を持ってくる。それにお薬も。
「学院長、お薬の時間ですよ」
「おお、もうそんな時間か」
アーリマンはそう言うと、「まだまだ話したりないが、残りは後日聞くか」と言った。
フィルたちも疲れてしまったので、紅茶を頂く。
アーリマンの秘書が入れてくれた紅茶はなかなかに美味だった。それに茶菓子も。
特にフィルはカヌレという円筒形のお菓子がお気に入りなようで、「うめー!」と言いながらいくつも食べている。
はしたないので注意するが、アーリマンは「ふぉっふぉっふぉ」と制す。
「うめーものは、うめーのじゃ。着飾った言葉より、粗野な本音のほうが心に響くこともある」
秘書の魔女も同意する。
「今朝方から一生懸命に焼いた菓子です。お上品にもごもご食べられるよりも、旨いとたくさん食べてもらったほうが嬉しいです」
と言う。
たしかにその通りなのだが、王立学院の長がそれでいいのだろうか、とも思う。
しかしフィルは先日大冒険を繰り広げたばかり。あまり細かいことを注意したくない。今日は好きなふうに食べさせてその労をねぎらうべきだろう。
そんなふうに思ったセリカもカヌレを口に運ぶ。独特の食感がとても美味しかった。
そのように優雅なティータイムを過ごしていると、またしてもノックの音が。
誰だろう? と首をひねると、やってきたのはセリカのよく知る人物だった。
メイド服姿の女性がうやうやしく頭を垂れ、部屋に入ってくる。
白百合寮のメイド、シャロンではなく、セレスティア侯爵家、つまりセリカの実家のメイドさんだ。セリカ専属メイドさんである。
「あら、ルイズ、珍しい。どうしたの?」
「ご休憩のところ失礼します」
「謝る必要はないわ。あなたのやることにはちゃんと理由があるもの。なにか急用があるのでしょう?」
「はい」
と、うなずくルイズ。
「実はなのですが、モルネット男爵から招待状が届いておりまして」
「モルネット男爵?」
クエスチョンマークを浮かべたのはアーリマン学院長だった。
「あの偏屈もののモルネット男爵が、コンタクトを取ってきたのか?」
「はい。しかもお嬢様ではなく、フィル様に」
「え? ボク?」
自分を指さすフィル。
「ええ、なんでも食事にご招待したいと」
「行く!」
フィルは即答するが、セリカが注意する。
「秒で決めないでください! これは罠かもしれませんよ」
「罠?」
「そうです。王弟派の罠かも」
「おー、策略だ」
「そうです。モルネット男爵は社交界にも一切顔を出しませんが、この国有数の大富豪として知られています。政治的な思想は知りませんが、この時期にフィル様を名指しで呼ぶなんてなにかありそうです」
アーリマンも同意する。
「たしかにそうじゃな。しかし、モルネットは変わりものではあるが、悪ではない。単純にフィルに味方したいだけかも」
「かもしれませんね。ともかく、無視はできませんが、調べてみる必要はありそうです」
セリカはそう言うと、カヌレを口に運ぼうとするが、フォークを刺した先にはカヌレが残っていなかった。
……たしか一口分残していたはずだが、とフィルを見ると、子リスのように頬が膨らんでいた。いつの間にか彼女が食べていたようだ。
まったく、意地汚いが、今はそのことを注意するよりも、モルネット男爵の情報を集めるべきだった。
セリカは家に帰ると、家人にモルネット男爵の情報を集めさせる。
というかルイズはその命令を想定したようで、すでにかなりの量の情報が集まっていた。
モルネット男爵。
一介の商人からモルネット商会を立ち上げ、この国一番の商会を築き上げた男。
商売の天才で、その富は小国の王に匹敵するという。
ただ、極度の人間嫌いで、商会を息子に譲ってからは、王都の郊外に引き籠もり、誰とも会わない生活を送っているという。
ここ数年で彼と会ったのは、彼の忠実な執事と、ランスロート・フォン・ボールドウィン伯爵だけだという。
「ボールドウィン伯が……」
ランスロート・フォン・ボールドウィン伯爵とは、この国の大貴族で、代々、将軍を輩出している武門の家柄だった。
先日のセレスティア侯爵家の夜会にもやってきており、フィルの後見人、セレスティア侯爵家の援助を約束してくれている人物である。
無骨なところもあるが、とても信頼できる人物であった。
セリカはさっそく、彼の屋敷に向かうと、モルネット男爵の意図を尋ねた。
ランスロートは急な訪問にもかかわらず、セリカを温かく迎え入れると言った。
「はっはっは、セレスティア侯爵家の末娘は心配性だな。この世界のすべてが策略によって動いているわけではない」
豪胆に言い切る。
「つまりモルネット男爵は信頼できると?」
「そうだな。世間に隠れて蠢動するロッテンマイヤー家よりは信頼できる。――というか、モルネット男爵、名をサイモンというのだが、やつは俗世にまったく興味がない」
「ならばなぜ、フィル様を食事に?」
「おそらくはこの前、ワシが会ったときにフィル殿のことを話したからだろう」
「…………」
あなたのせいですか! とは言わなかった。彼はフィルの有力な後見人だからだ。それに思慮深い。敵に情報を漏らすような真似は絶対にしない。つまり、モルネットには話してもいいと思ったのだろう。
「フィルという少女は不思議な少女。この世界のすべての問題を単純化し、颯爽と解決してしまう少女だ、とワシは言った。そのとき、サイモンは目を光らせたような気がする。きっとなにか頼み事があるのだろう」
「……なるほど」
ならばその頼み事を引き受けるべきだろう。なにせモルネット男爵はこの国一番のお金持ち。もしもフィルのことを気に入ってくれれば、資金援助をしてくれるかもしれない。
政争というやつはお金が掛かるのである。
それにフィルが女王として即位するときも。
モルネットに気に入られれば、盛大な即位式ができるかもしれない。
そう思ったセリカは、彼の屋敷に赴くことにした。
それを伝えると、ボールドウィン伯爵も同行の旨を伝えてくれる。
「久しくサイモンの顔を見ていない。それにフィル殿の笑顔を見たく思う」
無論、断る理由などなにひとつなかったので、同行をお願いする。
このようにしてフィルのモルネット男爵邸訪問が決まるが、このときのセリカはまだ知らなかった。――モルネット男爵邸で起る悲劇のことを。いや、喜劇でもあるのだが、ともかく、モルネット男爵は想像以上にセリカを困らせることになる。




