獅子崖下天仰
謎のドルイド翁との戦闘になり、フィルの攻撃を完全無力化された乙女ふたり。
彼女たちは最終奥義を放つ。
かの大賢者ザンドルフが編み出した最終奥義。
獅子崖下天仰!!
それは獅子、つまりライオンが実の子を崖に突き落とす故事に由来している。
最強の息子にするため、崖下に落とし、修行させる父ライオン。それを見上げる息子ライオンからヒントを得てザンドルフはこの技を開発したのだ。
ふたりはさっそくザンドルフに教わった型を真似る。
まずは両足を大地に付ける。これは崖下に落ちた子供のライオンを表現している。
次に両手両足も大地に付ける。平伏というやつである。
そこですかさず魔法の言葉を話す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしないから許して!!」
ふたりは同時にその言葉を話すが、その時点でセリカは気が付く。
「これってただの土下座じゃないかしら……?」
セリカは小声で言うが、フィルは怒る。
「違うの! これはただの土下座じゃないの!」
それを証明するかのようにフィルは顔を上げる。ここは崖から突き落とされた獅子が天を、父を見上げる光景を現しているらしい。
フィルはにんまり作り笑いを浮かべると。さらに謝った。
「ごめんね、許してなの。悪気はなかったの」
心の底から謝るフィル。本当に申し訳ないと思っているようだ。
セリカも同じ気持ちであったし、そもそもこの老人と戦う理由はなかった。
セリカも心のそこから謝ると、老人は、
「ふぉふぉっふぉ」
と好々爺のような笑い声を上げた。
「いいじゃろう。頭を上げよ、ザンドルフの孫娘に侯爵家の娘よ」
言われたとおりに立ち上がると、セリカはフィルの膝に付いた土埃を取る。
その後も申し訳なさそうに直立不動するが、セリカはとあることに気が付く。
ドルイド翁のセリカたちを呼ぶ呼称が誰かに似ているような気がするのだ。その口調も、たたずまいも。
セリカはじいっと細めでドルイド翁を見つめると、フードの奥にある立派なあごひげを確認する。
「……ご老人、もしかしてあなたはアーリマン様ではないのですか?」
老人はびくりともしなかった。
そもそも最初から隠すつもりなどなかったようだ。
「かっかっか、いつ気が付くかと思っていたが、やっと気が付いたか」
フードを取りながら言うと、アーリマンはにやりと微笑んだ。
見知った顔を見たフィルは、表情を崩しながら言う。
「おお、アリマーンだ!」
「アーリマンじゃ」
「そだった。なんだ、アーリマンだったのか。僕はてっきり知らないおじいさんかと思った」
「わしも最初は本当に泥棒かと思ったぞ。まあ、よくよく考えれば善人のおまえたちが泥棒などするはずはないが」
「ならばどうして我らに襲いかかってきたのです」
セリカは尋ねるが、アーリマン学院長の答えは想像の上を行く。
「乗りかの」
一言だけ言うと、「ふぉっふぉっふぉ」と、あごひげを弄る。
「…………」
呆れてものも言えないとはこのことだが、不法侵入した手前があるので抗議はできない。
しかし、セリカもさるもの。いつまでも老人に主導権を渡さない。
「アーリマン学院長、不法に侵入したことは重ねて謝りますが、なにとぞ、この植物園の調査をさせてください」
「調査だと!?」
「はい」
「なんの調査をするのだ? この植物園は政治とまったく無縁の場所だぞ」
アーリマンはセリカ絡みの事件はすべてロッテンマイヤー伯爵家との政治闘争が絡んでいると思っているのだろう。
それは大いなる誤解であるので、真実を話す。
数日前からフィルの下駄箱に置かれる謎の粉雪草。それの調査をしていたらここに行き着いた旨を話す。
「……なるほどのう」
神妙な面持ちになるザンドルフ。
「たしかにそういう経緯であればこの植物園に忍び込むのも納得はできる」
「だよね、ね」
賛同を求めるフィルであるが、アーリマンも教育者、無原則に甘くはない。
「気持ちは分かるが、それでも学院の許可なく、禁止区域に立ち入ってはいけない。この植物園には毒草もあるのだから」
「ごめんなさい」
しょぼんとするフィル。
「まあ、これ以上は怒らん。そして改めてこの植物園に立ち入る許可を与えよう」
「まじで!」
「まじじゃよ。ただし、付き添いでわしも同伴するが」
「それは願ったり叶ったりです。アーリマン様ほどの大賢者が横にいてくれれば、粉雪草の謎も解けるかもしれませんし、もしも強敵に出くわしても一撃です」
「ふぉっふぉっふぉ、あまり年寄りに期待せんでくれよ」
と言うとアーリマンは重い腰を上げるが、その前にちょっとトイレに行くと言い出す。
「すまんの。年を取るとトイレが近くなるのだ」
セリカは「どうぞ」と淑女のように送り出し、フィルは「がんばって!」と元気よく手を振って送り出す。
両極端の娘だな。そう思いながらアーリマンは植物園の奥へ消えた。
植物園のトイレ――、ではなく、救護室の一角。
アーリマンはそこにおもむくと、表情を歪める。
痛む右手をそうっと覗き込むが、案の定、その右手はあらぬ方向に曲がっていた。
「……あいたた」
痛みを正直に口にすると、自分で骨接ぎをし、回復魔法を掛ける。
応急処置が終ると、アーリマンは吐息を漏らしながら言った。
「……まったく、あの娘は化け物か。あの一撃、太古の悪魔とてあのような無慈悲な一撃は繰り出さない」
まるで小隕石を受け止めたような感覚がまだ残っている。
フィルのパンチはそれほど重いのだ。
「さすがは古竜を素手で殺せる少女、老いぼれの骨など枯れ木と変わらないか」
自嘲気味に言うと、アーリマンは同調を求め、友人に語りかける。
「ザンドルフよ、お前は自分の孫娘にどんな教育を施してきたのじゃ」
その言葉を発した瞬間、医務室の端に青白い霊体が浮かび上がる。
「どんな教育と言われてもな。ワシが研究をするかたわらに置いて、たまに魔法と武芸の稽古をしただけじゃが」
「それだけであのような化け物に育たないわい」
「化け物とは酷いな。ワシの孫ぞ」
「お前も現役時代は化け物じゃったろう」
「おぬしもワシとどっこいじゃろう」
と言うと両者は同時に口元を緩めた。
アーリマンは、
「違いない」
昔を懐かしむように言う。
「わしが衰えたということもあるな。寄る年波には勝てないのだろう」
「そうじゃ、皆、老いさらばえる。世代交代を繰り返す」
「じゃな。いつかは若者の時代になる。その中心にいるのがあの子なのじゃろうて」
「そうだな。ワシの孫が次代を担ってくれるだろう」
しかし、とザンドルフは続ける。
「実力のほうは申し分ないが、常識や礼節のほうはまだまだだ。アーリマンよ、引き続きあの子を教育してくれないか」
「分かっておる。山に閉じ込めてドラゴンを狩らせていた賢者よりはまともな教育をしてやる」
「それは有り難い」
「皮肉を言ったのじゃがな。もっと怒れ」
「そこで怒ったらお前の思うつぼだろう」
ザンドルフは珍しく笑う。久しくこの男の笑顔を見ていなかったが、この男は孫の前ではいつもこのように笑っていたのだろうか。
アーリマンはしばし考察したが、やめた。
無益だと思ったのだ。笑わぬ賢者と言われたザンドルフであったが、それは過去の話。遠い昔の話だ。
フィルという少女と暮らし始めてからの彼はよく笑うようになったのだろう。それは問わなくても分かることだった。
なぜならばフィルという少女には人を明るくする才能がある。人を笑顔にする才能があった。
それはどのように高度な学院でも、どんな大賢者でも身につけさせるのは不可能な才能だった。
彼女は生まれ落ちたときから人を安らかにさせる才能があるのだ。
――願わくは、その才能を、その長所を、もっと伸ばしてほしかった。
そのためにアーリマンは労力を惜しまないつもりだった。
おそらく、アーリマンの寿命もそれほど多く残されていない。ザンドルフのように近く寿命を迎えるだろう。
そのとき、自分の側にフィルという少女がいてくれれば、どれだけ助かるか。どれだけ心安らかでいられるか。
アーリマンはその瞬間を想像し、軽く口元をほころばせた。
「……わしもザンドルフのように幸せに身罷ることができるだろう」
その予言が、いや、願望が成就するように、アーリマンは努力を惜しまないつもりであった。




