三食パン
一輪の花の人物はいったん忘れるフィル。この謎はお昼休みにでも改めて調べることにする。
フィルはいい子なので授業に集中しなければいけないのだ。
やる気を見せるフィルだが、残念ながら一時間目はホームルームだった。担当教師がその日一週間にあったことや、これからある行事や注意事項などを生徒に説明する時間である。
普段は間近に迫った学校行事について説明するのが常なのだが、生憎と予定表は真っ白だった。来週はなにもないようだ。
このようなときは担任のミス・オクモニックがなにかためになる小話や説教を始めるのだが、今日のミス・オクモニックは違った。
ていうか、入ってきたときから雰囲気が違った。
いつもはびしっと髪をセットし、上品な格好をしているのに、今日のフラウ・フォン・オクモニックはやさぐれていた。
髪は乱れているし、服も皺だらけ、それにお酒臭い。というか、右手にワインボトルを持っている。
「先生、なにかあったんですか?」
挙手をしながら説明を求める生徒。彼女は空気を読めない。フィルでさえ、おおよそ事情を察しているというのに、その言葉を吐くか、と思った。
「……なにか? なにかですって!?」
ぎろり、と発言した生徒を見つめるフラウは、殺人未遂容疑者に近かった。
「なにもあるわけないじゃない。なにもなかったわよ」
酒臭い息をまき散らしながら続ける。
「ただ、馬鹿らしいほど高いお洋服を買って、何ヶ月も掛かるオーダーのハンドバッグを作って、気合いを入れてお見合いにいっただけよ。もちろん、前日には王都一の美容院にいって髪も盛りに盛ってもらって。でも――」
「でも?」
「でも、お見合い相手の男が糞だっただけよ。一生懸命におめかししたのに。お給料を貯めて買っただけなのに、そんなブランドもので固めてお金の掛かりそうな女ですねって、言われただけだから」
あちゃあ、とクラスメイトはフラウに同情する。
「しかも前回は逆に浪費家だと思われないように。近所のトーユーで銀貨三〇枚くらいの安物のバッグと既製品の服で行ったら、安っぽい女って言われたのよ? いったい、わたしにどうしろと? 裸でお見合いに行けと?」
それはそれで一部の人からはモテそうだ、という言葉をクラスメイトは飲み込むと、クラスメイトたちは「気落ちしないでください。そのうちいい出逢いがありますよ」と言った。
フラウはにっこりと微笑むと、
「若いのは今のうちだけ。あんたらも年取るんだからね」
とワイン瓶をラッパで飲む。
その様は社会不適合者そのものであったが、上品なフラウが乱れるのは、お見合いに失敗した翌日だけだった。
明日には、いや、午後にはもとの人格者に戻るだろう。だからクラスメイトたちはフラウをいたわりながらホームルームを進行させた。
このようにホームルームが終った。その後、国語と数学の授業が終ると、昼食の時間になる。
フィルはセリカの手を引いて、食堂にはいかず、購買部に行く。
「あら、フィル様、今日は食堂ではないのですか」
「今日はパンの気分。それにビアンカと一緒に食べたい」
ビアンカとはフィルの友達で、魔法科の中等部にいる獣人の少女である。少し前までは不倶戴天の敵認識をされていたが、今は仲良しである。一緒にご飯を食べることもあるくらいに。
「ビアンカさんもパンだといいですが」
「大丈夫、ビアンカはパン派だと言っていた」
「まあ、仲良しさんですね」
「うん、この前聞いた」
なんでもビアンカの里は米がたくさん取れ、子供の頃からお米ばかり食べさせられたらしい。今でも白米は大好きらしいが、王都にきてからパンというものを食べ、その美味しさに驚愕したようだ。
「この豊潤な香り、ほどよい甘さ、なにこれ……」
と、以来、昼食はパンと決めているようだ。購買部で購入し、どこかで食べている。
その購買部にやってくると、黒山の人だかりができている。
「あら、なんでしょう」
セリカは尋ねるが、フィルには心当たりがあった。
「あ、今日は水竜の日だ!」
週の真ん中、水竜曜日、日竜曜日にもっとも遠い日、などと揶揄されるが、この日は特別な日。
なんと購買部に特別なパンが入荷される日なのだ。
「特別なパン?」
首をかしげるセリカ。お嬢様のセリカはあまり購買にこないのだ。ほとんどが実家から盛ってきた豪華なお弁当か、食堂のランチを食べる。
普段は常識知らず扱いされるフィルも、このときばかりはどや顔で説明する。
「あのね、毎週水竜曜日になると、出入りのパン業者さんがすっごいパンを焼いてもってきてくれるの」
「すっごいパンですか?」
「すっごいパン」
「どのようにすごいのでしょうか?」
セリカは尋ねてくるが、語彙の少ないフィルには説明が難しい。うんとね、あんとね、と繰り返したあとに、百聞は一件にしかずという言葉を思い出し、セリカの手を引く。
購買部の前までやってくると、彼女に大きな手書きのメニューを見せる。
購買部の前に垂れ下がった大きな文字、そこには、
「焼きそばコロッケお好み焼きパン……?」
思わず疑問形になってしまう。
「え? セリカ知らないの?」
きょとんとするフィル。
「それぞれ別個の食べ物として知っています。どれも東洋の食べ物です」
「うん、東方から伝来した食べ物を全部パンの上に載せた至高の逸品」
「全部、炭水化物のような」
「炭水化物の宝石箱なんだよ」
美食家のコメンテーターのような口ぶりだ。しかし、それにしても炭水化物過多である。ウスターソースにぴったりの食材という共通点はあるが。
セリカは怖じ気づいたが、フィルが手を握り、「買おう!」と言ってきたので、買わざるを得なくなる。
財布から銀貨を六枚、六シルを取り出すと、購買部のお姉さんからパンをふたつ買う。
「じぃ……」
いや、フィルが物欲しそうに見つめているから、三個買う。
それらを受け取ると、コップに牛乳を注いでもらい、それを持って学校の中庭に行く。
「ビアンカの匂いがするの」
ということだった。フィルの鼻の良さは本当に犬並である。
そんなことを思いながら校舎をあとにした。




