モルドフの心象風景
不思議のダンジョンの地下で大髑髏を倒して、霊薬を手に入れたフィルたち。
それらは副次的なものというか、おまけでしかない。本来の目的は目の前にいるモルドフを捕まえることだった。
それを覚えていたキバガミは、モルドフに尻尾を立て、吠える。逃がさないように努める。
キバガミの行動でセリカは本来の役目を思い出し、戦闘態勢に入ろうとするが、それをフィルが制する。
「セリカ、大丈夫、モルドフさんは戦う気はないから」
フィルの言葉通りだった。
モルドフは小瓶の青い液体が空になったのを確認すると、憑き物が落ちたかのように立ち尽くしていた。
もはや戦うどころか逃げる気もないようだ。
モルドフは両手を突き出すと、「縛ってくれ」と懇願してきた。
哀れに思ったセリカは縄で縛ることなく、モルドフを客人として遇する。
「一緒に地上に行ってもらえますね」
モルドフは黙ってうなずくだけだった。
不思議のダンジョンの霊薬がなくなった今、モルドフはここにいる理由ない。刑務所を脱する理由はないのだ。大人しく出頭して残りの刑期を満了するだけだった。
モルドフの刑期はあと二千年ほどあるが、もはやモルドフはこの世界になんの未練もなかった。
これ以上、世間に迷惑を掛けまいと覚悟を決めている。
フィルはその背中を悲しげに見つめながら、彼と一緒に地上に出る。
フィルはその背中があまりにも悲しげだったので、思わず魔法を使ってしまった。
モルドフの心の内を覗いてしまった。
本来ならばモルドフほどの魔術師の心を読むなど、不可能であるが、目的を失い虚ろとなっている魔術師はガードが甘かった。
フィルは魔法によってモルドフの過去を見る。
モルドフの過去の心象風景――
そこは王立学院だった。モルドフがかつてこの学院に通っていたことを思い出す。
若かりし頃のモルドフ、今現在の面影がある。当時から痩せており、物静かな雰囲気を持っていた。
そんなモルドフに話しかけるのは、どこかで見たことがあるようなタマネギヘアーの女の子。明るく闊達な娘だった。
彼女はにこにことモルドフに話しかけるが、台詞までは聞き取れない。ただ、彼女はモルドフの恋人ではないようだ。
モルドフに親しげに話しかけるが、にこやかに話しかけたあとに、別の男の腕を取る。モルドフの幼なじみと思われる男の腕を取ると、躊躇なく彼と腕を組む。
幼なじみは恥ずかしそうに照れるが、モルドフはそんなふたりを祝福していた。
場面が変わる。
王立学院の卒業式、モルドフは幼なじみとなにか話している。
どうやら冒険者になるのを必死で止めているようだ。
「王立学院の魔法科を次席で卒業したお前がなぜ冒険者に」
モルドフは詰め寄る。
幼なじみは答える。
「俺は魔法を世の中の人々のために使いたいんだ。研究室に籠もって研究するのも悪くないが、実際に困っている人たちのために使いたい」
「しかし、君の婚約者が困る。卒院したら結婚するんじゃなかったのか」
「もう少し待ってもらうよ。数年待ってもらってもおばあさんにはなるまい」
「馬鹿野郎」
「似たような台詞を婚約者にも言われた」
「当然だ。彼女のような器量よしを待たせるとは」
「たしかに美人だ」
「冒険者は危険が多い。お前の身になにかあったらどうするんだ」
「そのときはお前が彼女と結婚してくれ」
「…………」
「俺のことは気兼ねしないでいい。お前が彼女のことを好きなのは知っている」
「気のせいだ」
「ならば気のせいでもいい。もしも、俺が死んだら、お前が彼女と一緒になれ」
そしてまた場面が変わる。
今度は数年後、お墓の前だった。
小さな教会の小さなお墓の前、そこで喪服を着たタマネギヘアーの女性。ローブを着た魔術師のモルドフもいた。
モルドフはただ涙を流し、震える女性の姿を見ていた。
悲しむ親友の妻を見、その身を震わせていた。
モルドフはそのとき決意をする。死人を生き返らせることを。死霊魔術を極めることを。
その後、モルドフは研究に研究を重ねる。魔法が等価交換であるように、死霊魔術もまた等価交換であることに気が付く。
無から命を作ることはできないと知る。
しかし、それでもモルドフは研究を続ける。
無から命を造ることができないのならば、等価交換によって命を造ればいいじゃないか、と開き直る。
自分の命が親友と等価なわけがないが、それでも努力すれば、研鑽を重ねれば、自分の命と引き換えに親友を蘇らせられるかもしれない。
そう思った。
親友が蘇れば、あの娘が、タマネギヘアーのあの娘が喜んでくれる。もう泣かないで済む。そう思うとモルドフの心の内から力が湧き上がってきた。
それがモルドフの原風景だった。モルドフが死霊魔術を研究している理由だった。この不思議なダンジョンにいる理由だった。
――結局、彼の願いはなにひとつ叶わなかったのだが。
セリカたちは地上に戻ると、モルドフを学院長のもとまで連れて行く。
元々そういう約束であった。彼を出頭させ、罪を軽くするのが学院長の願いであった。
モルドフももはや抵抗する気はなかったので、ことはすぐに運ぶかと思ったが、そうはならなかった。
ここにきてフィルがだたをこねたからである。
「アーリマン! 少しだけ、少しだけ待って。モルドフに見せたいものがあるの」
「見せたいものとはなんじゃ?」
アーリマン学院長は深い皺に挟まれたまなこでフィルを見据える。
「それは言えないの。でも、ボクを信じて」
「信じよう。お前の穢れなき心を、どこまでも優しい心を。大賢者ザンドルフの孫の言葉を」
しかし、とアーリマンは告げる。
「もうじき、治安当局の護民官がくる。時間はないぞ」
「なら、5分でいいの。5分だけ、モルドフに時間をちょうだい。そうだ。学院を出るとき、学院の丘の道を通ってほしいの。そこから湖を見下ろしてほしいの」
「そこになにが見える?」
「幸せが見えるの。モルドフさんの努力が無駄でなかったということが分かるの」
「なるほど分かった。一時間後、丘を通って学院を出よう」
その言葉を聞いたフィルは風のような速度で学院長室を出た。
フィルが向かった先は――。




