暁よりも赤きもの
フィルの渾身の一撃を食らったセントピードはその身を保っていたが、ダメージがなかったわけではない。
頭にひよこマークが出そうなほど、ふらふらとしていた。やはり生物である以上、打撃は有効のようだ。しかし、決め手にはならない。
すぐに体勢を立て直すと、口からなにか液体を吐き出す。
とっさに危険を察知したフィルは、自分の《防壁》の魔法を張るが、防壁によってはじかれた液体は、じゅっと音を上げる。
「フィル様、どうやらセントピードの体液は強酸性のようです」
「触れたら溶けちゃうんだね」
「そうです。体液を出さないように戦ってください」
「うん、ぴゅっぴゅってしないように殴るの」
とんでもない言い方だが、緊急時ゆえに無視すると、キバガミに話しかける。
「魔法で防御できないあなたには悪いけど、それでもフィルを助けてくださる?」
「もちろん。我の命はフィル様のためにある」
とキバガミは無数にあるムカデの足のひとつに食らいつく。
百本あっても痛いものは痛いのだろう。セントピードは悶え苦しみ、キバガミを叩き潰そうとするが、キバガミはひらりと避ける。
空中で回転するその様は、まるでサーカスの犬のようだ。
「王都のサーカス団には入れるの!」
フィルが賞賛するとキバガミは笑う。
「いつかサーカス団とやらに入って自分の食い扶持は自分で稼ぐかな」
キバガミの自嘲気味の冗談にフィルは賛同する。
「そうしてもらえるとその分、僕が買い食いできるから助かるの」
キバガミの餌代はフィルのポケットマネーなのである。しかし、心優しいセリカはこう言う。
「キバガミさんの餌代は任せてください、毎日、お肉を屋敷から持ってきてあげます」
「それは助かるの!」
心の底から有り難いと思ったフィルはその喜びを拳に乗せる。
本気の一撃を見舞うが、体液でダメージを負わないように手を硬質化させる。
「ボクの拳が光ってうなる! セントピードを倒せと轟き叫ぶ! 必殺ストーン・パーンチ!!」
その決め台詞の通り石となったフィルの右手はセントピードの体内にめり込む。そこから体液が漏れ出たが、即座に炎魔法で蒸発させ、傷口も塞ぐ。セントピードの体液は強酸性なのだ。
刺突ダメージと、衝撃ダメージ、それに熱ダメージも与える一石三鳥の技である。これを喰らったものはひとたまりもないだろうが、セントピードはこの一撃に耐えた。
巨大ムカデがこの一撃に耐えられた理由はいくつかある。
ひとつはセントピードがあまりにも巨大だったこと。その大きさは貴族の館ほどある。
ふたつはフィルの一撃に強力は炎熱攻撃が含まれていたこと。傷口を塞ぎ、体液を出さない代わりに致命傷ともなりえなかった。
そしてみっつめ。これが一番の理由だが、セントピードはこの不思議のダンジョンにおける絶対強者だった。圧倒的な生命力を持っていた。
セントピードを一撃で葬り去るなど、国一番の勇者とてできない。だからセントピードはフィルの一撃に耐え、反撃に転じた。
無数の足を動かしながらフィルの回りを這う。そのまま距離を詰めて締め上げる作戦だ。
まるで蛇のような攻撃だが、おおあごの一撃を防ぐフィルには効果的だろう。セントピードは一撃の破壊力よりも持久戦で締め上げる道を選んだのだ。
フィルはまんまとセントピードに捕まり、胴体によって締め上げられる。雄牛の首もへし折るような強力な圧力がフィルに掛かる。
しかし、フィルの身体は頑丈で骨が折れることはなかった。きしみはするが。
「ぐううううう、痛い……」
珍しくフィルが苦悶の表情をする。それを見ていたキバガミは主を救うため、セリカに相談を持ちかける。
「セリカ殿、今からオレはセントピードをに突撃をする。その隙を突いてやつの目に魔法攻撃を加えてくれ」
「自殺する気ですか。やつの装甲はあなたの牙も届かない」
「このようなところで死ぬつもりはないが、主のためならば喜んで死ねる!」
キバガミはそう宣言すると、全身の毛を逆立て、セントピードの喉元に食らいつく。おおあごのすぐ下だ。
さすがに喉はムカデの弱点らしく、苦しむ素振りを見せるが、セントピードはフィルを解放する素振りを見せない。やはり攻撃が足りないようだ。
セントピードはキバガミに視線をやるとキバガミを捕食しようとおおあごを突き出す。このままではキバガミはその強靱なあごで分断されるだろう。
そうなればなんのためにこの迷宮に潜ったか分からなくなる。それにフィルが悲しむだろう。
未来の女王が悲しむ様を見たくなかったセリカは呪文を詠唱する。
「清らかなる生命の風よ、天空を舞い邪悪を打ち払いたまえ。
生命を刻み、森羅万象の力を解き放て!」
《聖なる弓》の神聖魔法である。
セリカの左手に光の弓、右手に光の矢が具現化する。
「この矢をセントピードに突き立てる!」
セリカはそう宣言するとムカデに向かって走る。
できるだけ近い距離、至近距離で聖なる弓の一撃を当てるため。
セントピードのあごはキバガミの命を狙っていたが、尾っぽの部分はセリカを狙う。まるで全身に司令部があるかのような連携だった。
しかし、武術の訓練を受けたセリカにセントピードの尾は無力だった。
舞うようにかわすとセリカはセントピードに吐息が掛かりそうな位置まで接近する。
キバガミを捕食しようとしているおおあごに宣言する。
「邪悪にして狡猾な百足よ。死して悔いるがいい」
セリカが念仏のように唱えた瞬間、聖なる矢がセントピードの右目に刺さる。
声を上げずに暴れ回るセントピード、フィルの束縛もなくなる。
それを好機と見なしたフィルは、全身の魔力を集中させる。
大声で呪文を唱える。
「――暁よりも赤きもの、星の中心よりも熱きもの、汝のために宣言する、汝に罪無し。我に仕えよ。その暴虐の力によって百の足の蟲を焼き尽くせ。この世から痕跡を消し去れ!」
フィルの身体が真っ赤に燃え上がる。まるで炎の化身のように燃え上がる。
セリカの髪がチリチリと縮れるくらいの温度だった。危険を感じたセリカとキバガミはフィルから離れる。
それを確認した瞬間、フィルの手のひらは竜の口となる。火竜そのものとなる。
手のひらから放射線状に出た炎は、まるで小太陽のような温度だった。一瞬でセントピードを融解する。
先ほどまでセリカたちを殺そうと全身をくねらせていた化け物は、塩を掛けられたナメクジのように溶けていく。
それくらいフィルの魔法が強力なのだろう。セントピードが弱すぎるのではなく、フィルが強すぎるのだ。
不思議のダンジョンの一角は地獄の竈と化すが、セントピードが塵芥になるとフィルは炎をとめる。十数秒後には普通の人間も近づける温度になった。
それと同時にキバガミが尻尾をふりふりさせ、
「さすがはフィル様です!」
と近寄る。頭を撫でてもらう作戦だろう。フィルは戦闘のあとの疲れを癒やすためにキバガミをなでなで、もふもふする。
セリカが近寄ると、セリカの胸に顔を埋め、こっちでももふもふ、いや、ぱふぱふする。フィルは柔らかいものが好きなようだ。
このようにセントピードとの戦いは終ったが、旅はまだまだ続く、モルドフという男を捜し出し、捕まえるのがセリカたちの勤めなのだ。
その勤めが終るまでは地上には帰らない心構えでいた。




