おおむかで
王立学院の地下に広がる不思議なダンジョン。
古代魔法文明の遺跡で、王立学院はもともと、この遺跡を調査するために建てられた機関だった。
99階層まであり、まだまだ未知の部分も多く、いまだに研究対象らしい。
特にこのダンジョンが変わっているのが、このダンジョンは入るたびに地形を変えることだった。
その都度、生き物のように地形を変化させ、冒険者たちを迎え撃つ。そのため、地図を書き記すことはできない。
熟練の冒険者でも毎回迷うのだ。
ただし、かなりの親切設計で、各フロアに帰還用の転移装置がある。なのでこのダンジョンで迷って死ぬことは皆無であった。
「まるでゲームのようなダンジョンだ」
とはかつてこのダンジョンを制覇したステイヌという商人冒険者の言葉であるが、その意見にはおおむね同意である。
しかし、迷って死ぬことはないがそれ以外では死ぬ。ダンジョンにはモンスターもいればトラップもあるのだ、気を抜けば命を落とすこと必定であった。
セリカは心して掛かるが、最初のトラップ、大ガマの振り子はフィルに一瞬で防がれた。
フィルは鎌を右手で掴むと危ないなあ、とぽきりと折ってしまう。まるでクッキーを折るかのような感覚だ。
モンスターに対しても似たようなもので、ホーンラビットの集団に出くわすと、角をがっつりと掴んでジャイアントスイング、一網打尽でホーンラビットの群れを倒してしまう。
冒険者にとって生死を分けるダンジョンも、フィルに掛かればアトラクションと大差ない。セリカはなるべくフィルの邪魔にならないようランタン持ち係に徹し、地下に潜るようにした。
地下五階層まで行くと休憩。フィルは最強の冒険者だが、燃費はあまり良くない。定期的に食糧を補給しないとガス欠を起こすのだ。
というわけで水飲み場でお茶を沸かすと、シャロンがくれたクッキーを食べる。
通常、クッキーを一枚食べれば300メートルは全力疾走できるカロリーを得られるが、フィルの場合はなにもしなくても常にカロリーを消費している。食欲の権化なのだ。
大柄の剣闘士のような食欲でクッキーを平らげると質問をしてきた。
「モルドフという人はどうしてダンジョンに潜ったの?」
「護民官の追っ手をかわしやすいからではないでしょうか。ここにいれば追っ手はきません」
「ボクたちはきたけどね。でも、ここでの数日は外の世界の数時間なんだよね? 逃げるには効率悪くない?」
「たしかにそうですね。効率が悪いです」
逃げるにしても他のダンジョンのほうが潜伏しやすいような気がする。
「なんでじゃろ」
と首をひねっているフィルを見ると、学院長の言葉を思い出す。
「モルドフという人は生命の禁忌に触れ、追い出されたと聞きます。牢から逃げたのはその禁忌の法を完成させるためかもしれませんね」
「どういうこと?」
「反魂の術を完成させたいのかもしれません」
「永遠の命でもほしいのかな」
「それは本人にしか分かりませんが、魔術師にとって生命の創造は悲願のひとつです」
「そういえば爺ちゃんもホムンクルスを作ろうとしていた」
完成しなかったみたいだけど、と続けた。
「結局、生命を作るには等価の生命がいるのです。それは神の摂理に反しています。ですので、魔法協会は生命の創造自体を禁じている」
「爺ちゃんやばい」
「まあ、もう時効ですが、フィル様は生命の創造などしないでくださいね」
フィルは「はーい」と生返事すると、待ってきたリュックの中に入れていた干し肉をキバガミに上げている。
「お手」と「ちんちん」を教え込んでいた。
キバガミは辟易していたが、主のためと我慢しているようだ。
「オレは知性もあるし、言葉もしゃべれるのだが……」
自分の境遇に嘆いているが、それでもちゃんと芸をするあたり、フィルを尊敬しているのだろう。
もうフィルの飼い犬として生きる決意を固めているようだ。
「そういえばキバガミは島に手下をたくさん残してきたけど、寂しくないの?」
フィルが訪ねる。
「寂しくないかと問われれば、寂しい。しかし、オレの命は常にフィル様とあります」
「別にそこまで恩を着ないでもいいのに」
「着ているわけではないです。オレはフィル様に惚れている。フィル様がこの先、どのように生きるか興味があるのです」
「なるほど。ま、普通に生きるよ。まずは普通になって、その次は淑女になって、最後は山に帰るの。そこで爺ちゃんと動物たちと暮らす」
「ならばオレもその山に行きたい」
「いいけど、ボクの山は強い動物ばかりだよ? キバガミでも虐められるかも」
「望むところです。オレはもっと強くなる」
ギバガミが「がう!」と吠えると、フィルはにこりとする。その言を気に入ったようだ。
そんなやりとりをしていると、キバガミはぴくりと耳を立てる。ふりふりしていた尻尾をぴんと立てる。
なにごとだろう? セリカはキバガミをじっと見てしまうが、キバガミとフィルの視線はダンジョンの奥にあった。
その瞳が思いのほか真剣だったので、セリカは察する。モンスターが近くにいると。しかもそのモンスターは今まで出遭った雑魚とは格が違うと分かる。
フィルがこのような瞳をするのはそれくらい珍しいのだ。
セリカは懐から魔術師用の携帯ロッドを取り出すと戦闘に備えた。
その瞬間、ダンジョンの奥から大量の大蝙蝠がやってくる。
最初はそのジャイアントバットが驚異かと思ったが違うようだ。大蝙蝠などフィルにとって鳩も同義である。マジになる要素などない。フィルが本気になる魔物など、数えられるくらいなのだ。
大蝙蝠の列が途絶えると、最後尾にいた大蝙蝠は蠢く足の化け物によって捕食される。
百の足を持つ化け物、巨大なムカデによって大蝙蝠はばりばりと食べられる。
その化け物を見たセリカは叫んだ。
「セントピード!!」
初めて聞く名にフィルは問う。
「セントピードってなに?」
「セントピードとは文字通りムカデのことです。フィル様の山にもおられたでしょう」
「いたけどこんな大きくなかった」
「この世界にはこれくらい大きなやつもいるのです。しかもこいつは肉食のようです」
哀れ頭から捕食される大蝙蝠を見つめる。
「しかも大食漢のようだな、我々を物欲しげに見ている」
そう続けたのはキバガミだった。
「わんちゃんは旨そうに見えるのかも」
「人間のほうが好みのようだぞ」
と言うと食べかけの大蝙蝠を捨て、赤い目が真っ赤に光る。たしかにフィルを見つめている。
「みたいだね。というか、これは戦闘になるかな」
「我々がその身を挺すれば平和的に解決するでしょうが、ムカデに食われる筋合いはありません」
「なら戦うか。ムカデ相手ならばフルパワーでいいよね」
フィルは全身の魔力を解放させる。銀色の髪の毛が逆立ち、スカートの裾が揺らめく。
セリカはめくれないように裾を押さえてやるが、たしかに手加減は無用であった。
「フィル様、セントピードは捕食者、手加減は無用です」
「分かった。捕まえても不味そうだし、その身ひとつ残さないの」
フィルがそう言うとセントピードは目にも止まらぬスピードであごを突き立てる。
フィルはそれを颯爽とかわすと、渾身の右ストレートを見舞う。
セントピードの身体は思いのほか硬く、頑丈だった、一撃で消し飛ばすというわけにはいかなかった。
フィルは右手に痛みを覚える。軽く血で滲んだ右手を舐めるとこう言った。
「やるじゃん。これは本気を出さないと」
こうして史上最強の生物フィルと、不思議のダンジョンの怪物セントピードの戦いは始まった。




