開けゴマ
セレスティア王立学院にはいくつもの学科がある。それぞれの学科に学科長がおり、その権限は学院長に次ぐものがある。
フィルたちが通う礼節科にも当然学科長がおり、生徒たちに恐れられている。
彼女の名前はカミラ夫人。
そのあだ名はミスリルの処女。それくらいお堅くて怖い学科長ということだ。
実際、以前、フィルの一人称を注意したり、フィルが宙返りをすると怒って呼び出されたりした。学科長室で長い反省文をしこたま書かされた。
その枚数、原稿用紙で300枚ほど。もう、ちょっとした小説じゃん! とツッコミを入れたくなるほどであった。
ゆえにフィルは彼女を苦手としていた。不倶戴天の敵と認識していた。
無論、カミラ夫人もフィルを淑女として導くために心を鬼にしているのも分かるが、人は鞭だけでは付いてこないのだ。ときには飴も与えてほしいものだった。
と学科長室前の控え室で愚痴を漏らしていると、通りがかった秘書官から飴をもらった。
「これはカミラ夫人の好意です」
と言うとフィルは先ほどの愚痴を忘却させ、「カミラ夫人はいい人なの」と笑顔で飴を舐める。
ミルク味の飴はどこまでも甘かった。
それを見てくすりと笑うセリカ。飴一個で懐柔できるフィルのなんと素直なことよ。
いや、フィルもそこまで馬鹿ではないか。たぶんだが、フィルはカミラ夫人が本当は心優しい婦人だと肌で感じているのだろう。彼女の厳しい指導、小言はすべて愛情の裏返しだと分かっているのだろう。
だから愚痴は言っても文句は言わないのだ。結局、フィルは一人称以外すべてカミラ夫人の指示に従っていた。まだ淑女を名乗るには遠いが、それでも山のお猿さんのようだったフィルが人間らしくなったのは、間違いなくカミラ夫人の指導のお陰だった。
そういった意味ではセリカにとっても恩人なのだが、セリカもカミラ夫人を苦手としていた。転科の際に色々小言を言われたからだ。しかし、小言を言われたからといって会わないわけにもいかない。
モルドフという囚人についての情報、学院の地下に広がる不思議のダンジョンへの鍵は彼女が持っているのだ。なんとか許可をもらいたかった。
学科長室の隣にある待合室で待つこと五分、秘書官は中に入っていいという。
セリカとフィルは緊張した面持ちで入ると、用意された椅子に座る。背筋をぴんと、淑女らしく。
歩き方や座り方に問題はなかったのだろう。カミラ夫人は小言はいわずに単刀直入に言った。
「学院長から聞いているわ。不思議のダンジョンに逃げ込んだ囚人を探すとか」
「はい。学科長に許可とダンジョンの鍵をもらいにきました」
「…………許可も鍵も渡せますが、その前にどうして囚人を捕まえようなどと思ったのです」
「キバガミという犬を飼う許可をもらうためです」
セリカはそう答えたが、フィルはこう付け加える。
「あと、面白そうだった。囚人さんを捕まえて改心させるの」
「……改心ですか」
「そう。その囚人さんはただ『反魂の術』を使おうとしただけなんだって。それが魔法協会の禁忌だっただけなの」
「人を蘇らせる魔法は禁忌となっています」
「でも、ちゃんと理由があったんだと思う。大好きな人を蘇らせようとしたんじゃないかな」
「分かるのですか?」
「うん、もしもボクも爺ちゃんが死んだら同じことをすると思うから」
「…………」
「…………」
セリカとカミラは同時に沈黙した。ぞれぞれに思うところがあるのだろう。
セリカはフィルの祖父がすでに死んでいることを、カミラはなんらかの事情を秘匿しているようだった。
フィルにはそれらを察することはできなかったが、ともかく、カミラ夫人はダンジョンの鍵をくれるようだ。
「このダンジョンは現実世界と時間の流れが違います」
「ダンジョンの一日は一時間なんですよね」
「そういうことです。放課後や休日などに潜ることになるでしょうが、向こうで張り切りすぎてこちらでの生活をおろそかにすることはないように」
カミラ夫人は教育者らしくまとめると、真鍮製の鍵を渡してくれた。
代表としてセリカが受け取ると、ふたりはカミラ夫人の執務室を出る。
そのまま寮に戻るとダンジョン探索の準備を始める。
ナイフ、ランタン、松明、テント、水筒、保存食、火打ち石、様々なものを用意する。
なんでも首を突っ込むメイド、シャロンが付いて行きたそうに指をくわえているが、今回は彼女はお休み。
今回の件とはまったく関係ないし、囚人と対峙するのは危険と思ったからだ。
シャロンは「いけず」といじけるが、それでも冒険の用意は手伝ってくれた。なんだかんだで優しいメイドである。
シャロンの手伝いもあって冒険の準備が調うと、そのまま不思議のダンジョンへGO! であるが、シャロンがどこにあるのですか? と尋ねてくる。
「うんとね――」
なんの躊躇もなく答えてしまいそうになるフィルの口を押さえるセリカ。
「フィル様、ダンジョンの場所は機密事項です」
「おう、そうだった。シャロンにも秘密」
さすがに特記事項のダンジョンの場所は言えない。特にシャロンのようにメイド服に口が付いているような女の子には。
もしも彼女に話せば明日には学院中に噂が広まり、ダンジョンの前には行列ができることだろう。
それはシャロンも認めているようで、
「たしかに私が場所を知れば大変なことに。ここは見ざる言わざる聞かざるです」
と両耳を塞ぎ、目を閉じる。
フィルは「用意ありがとうね」というと彼女に背を向けた。「どういたしまして」と返信するあたり、完全に耳は塞いでいないようだ。まったく、油断ならないメイドである。
その後、シャロンが尾行してこないか確認しながらダンジョンに向かうが、さすがにそこまで暇ではないようだ。付いてきている形跡はない。
しかしそれでもセリカたちは人目を忍んでダンジョンに向かう。
10分ほど歩く。
不思議のダンジョンは、魔術学院の裏庭にある時計台の下にあるらしい。厳重に監視され、誰も通えない場所にあるかと思ったので拍子抜けである。
「でも、よくよく考えれば鉄条網を張って、これ見よがしに立ち入り禁止にするよりもいいかもしれませんね」
どのような高い壁も、鉄条網も、人間の好奇心の前では無駄なことが多い。一方、どこにでもありふれた時計台ならば誰も興味を抱かないだろう。見事な采配かもしれない。
セリカは真鍮の鍵で時計台の中に入る。時計台には上部に設置された時計をメンテナンスするため用の螺線階段がある。もしもここに忍び込んだ人間はそちらに行くはずだが、この時計台の真の価値を知るものは地下に着目する。
フィルたちは色が微妙に違う石畳を探し出すと、そこで呪文を唱える。
「オープン・セサミ!!」
簡単な呪文であるが、通常生活ではまず言わない。なので誰かが誤って開けてしまう可能性は皆無の言葉だった。
合い言葉が符合したのだろう。ゴゴゴ、という音を立て、石畳が開く、そこに階段が現れる。
不思議のダンジョンへ続く階段である。そこにモルドフという囚人が逃げ出し、潜伏しているのだ。彼を捕縛すればキバガミを飼う許可をもらえる。
神妙な面持ちで入ろうとするが、階段に足を下ろした瞬間、遠くから獣の鳴き声が聞こえる。
「ばうばう!!」
と、やってきたのは件の狼キバガミだった。どうやらキバガミも一緒に行きたいらしい。
「しょうがないなあ」
キバガミの首もとを撫でるフィル。
彼ならば噂は広がることもないか、と許可するセリカ。
こうして賢者と侯爵令嬢と狼の即席パーティはできあがる。
フィルがオールレンジ、セリカが後衛、キバガミが前衛だろうか。そう考えるととてもバランスの取れたパーティーだと思った。




