13.祝賀会
「エリアス様。何か言うことはありませんか」
水源調査から戻ってきたエリアス達を、仁王立ちのナーニャが迎えた。
「ええと……ごめんなさい?」
「何で疑問系なんですか! エリアス様、もう成人なさったのですからいい加減落ち着いてください! この数日間どれだけ心配をしたか。いくつかあった予定もすべて駄目になってしまいました」
ナーニャはエリアスに説教を始めた。
「あー、長くなりそうだからボクは部屋に戻ってるね、エリアス」
「あ、あたしもー」
イリーナとフィリアがエリアスをおいて行こうとする。
「あ、ずるい」
「だって、ボクは関係ないし」
「あたしも」
「待ちなさい。あなたは誰ですか」
ナーニャがフィリアを見とがめる。
「あ、ナーニャ。この子は妖精族のフィリア。しばらくの間うちに泊めようと思うんだけど」
「適当な木陰で寝るから別にいいわよ。お構いなく」
話を逸らそうと、エリアスが出会った経緯などを説明し、フィリアを紹介する。しかし、フィリアは素っ気なくそう言った。
「いえ、そういうわけには参りません。客人に不便をかけるなど。部屋を用意します」
「じゃあ、エリアスの部屋の端っこで寝るからいいわよ。あとで寝床だけ用意させて」
話が移ってほっとしたエリアスが、そっと自室に戻ろうとする。しかしすぐにナーニャに見つかった。
「エリアス様、今後の予定について後ほど話があります。旅装を解いたらまた来てください」
話はまだ終わっていなかった。
◇◆◇◆
「公式に祝賀会が開かれることになりました」
旅の荷物などを自室において、戻ってきたエリアスにナーニャは言った。
「何の?」
「エリアス様の、火竜討伐のです」
「以前から祝賀パーティを開きたいというのは断ってきたよね?」
「だからです。エリアス様が祝賀パーティの申し出をすべて断っていたので、貴族達は王国に進言したのです。こちらが祝賀パーティを受けないのは、自分達がばらばらと主催の申し出をしているからではないかと。それを受けた王国が、公式に祝賀会を開くことが決まりました」
「断ることは?」
「もっと早い段階なら可能だったかもしれませんが、ここ数日で開催はほぼ確定しました。よほどの重病にでもかからない限りは無理です」
エリアスが祝賀パーティを嫌がっていたことはナーニャも知っていたはずである。普段のナーニャであれば、断ることができる段階で断っておいてくれただろう。しかし、今回の脱走劇はナーニャの堪忍袋の緒を切らすには十分だった。
「エリアス様はいままでほとんど公式の場に出ていません。そろそろ社交の場に出て見識を広めるべきです」
「うー、わかりました。わかりましたよ。今回は僕が悪かったですし、出席します」
エリアスはついに折れ、祝賀会に出席することを決めたのだった。
◇◆◇◆
祝賀会までの数日、準備に追われる合間、エリアスはフィリアに航空力学の初歩を教えていた。
「鳥などは翼断面がこのようになっています。ここに、前から風が当たると上側の気流と下側の気流に速度差が起きます。そうすると上向きの力、揚力が発生するのです」
「これを羽ばたかせればいいのね?」
「いえ、これは固定翼です。羽ばたき機械は非常に難しいので固定の方がいいでしょう」
「でも鳥は羽ばたいているわよ?」
「空高くを飛んでいるトンビなどは翼をほとんど動かしていないでしょう?」
図を書いてフィリアに説明するエリアス。真剣な表情で聞くフィリアだが、なぜ揚力が発生するのか、理解に苦しんでいるようだ。
「祝賀会が終わったら模型を作って……いやこの場合原寸模型でいいのか……とにかく風洞実験をしましょう」
「フードー実験? よくわからないけど約束よ、エリアス!」
「はい。後に楽しいことが控えていると思えば、祝賀会もがんばれます」
「なによ、そんなに嫌なの?」
「はい。面倒くさいですし、あまり格式張った場は苦手なんですよ」
「しょうがないわねえ、エリアス。私がついて行ってあげましょうか?」
「ははは、それは心強いですね。でもフィリアが行ったら大騒ぎになってしまいますよ」
そういうと、エリアスは翼形状の設計図を書き始めた。ぽつりとフィリアが呟く。
「大丈夫よ。ちゃんと隠れるから」
「何か言いましたか?」
「ううん。何でもない。もう寝るわね」
そう言うとフィリアは部屋の端のテーブルに置かれた、籐かごにハンカチをかけたフィリア用のベッドに向かって飛んでいった。
◇◆◇◆
リース・オースティルは廊下を急いでいた。彼女はドレスの裾が乱れるのを気にしながらも、早足で廊下を進んでいる。両手で胸を抱えてはいるが、走るリズムにあわせて豊満なその胸が上下に揺れる。
同年代の女性が見ればうらやむような、そして同年代の少年達からは別の視線が熱く注がれる。引っ込み思案なリースはそんな自分の体が嫌いだった。
(急がなきゃ)
今日は火竜殺しの英雄を讃える祝賀パーティである。ここ数年比類なき功績を挙げているフリートラント王家の王子が、成人の儀で火竜討伐を成し遂げたのだ。
今後有望な王子は注目の的だった。リースも王子に自分を十分に売り込むようにと、親に言われてやって来たのだった。リースの友達も、フリートラントの王子に何とか顔を覚えてもらおうと意気込んでいた。しかしリースにはそこまでの気合いはなかった。内気なリースには、パーティーのような場はどちらかというと苦手であった。
そんな風に気乗りがしなかったリースは、朝から準備に身が入らず、ドレスの着付けに時間がかかり、会場についたのがぎりぎりの時間になってしまったのだった。
リースは早足のまま、控え室へと続く角を曲がる。
◇◆◇◆
エリアスは新しいタキシードの着付けに時間がかかり、会場についたのがぎりぎりの時間になってしまった。エリアスは控え室に急ぐ。
控え室に続く廊下の角を曲がったとき、エリアスは誰かとぶつかった。
「きゃっ!」
ぶつかった相手はエリアスと同年代の少女だった。目鼻立ちがはっきりとしたなかなかの美少女である。ピンクがかったブロンドの髪をアップにまとめている。品の良い清楚なドレスを着ていることから、パーティの列席者だろうとエリアスは思った。エリアスとぶつかって、尻餅をついた格好になっている。
「すみません。大丈夫ですか? 少し急いでいて……」
エリアスは少女――リースに手をさしのべる。
「い、いえ。こちらこそ」
リースは少し躊躇したが、おずおずとエリアスの手を取り立ち上がろうとした。
「あっ!」
しかし、今の転倒で、リースの右足の靴のヒールがきれいに折れていた。そのため、リースは踏ん張りがきかずによろめくと、エリアスの胸の中に倒れ込んだ。
「おっと」
倒れ込んだリースを優しく抱きとめるエリアス。リースは真っ赤になって慌てた。
「あああ、あの、あの」
「失礼、そこまで運びます」
エリアスはそういうと、そのままリースをお姫様抱っこの要領で両腕で抱き上げ、廊下の端にあるベンチに座らせた。リースの前にひざまずき、靴を検分するエリアス。
「ヒールが折れてしまっていますね、予備はありますか?」
「いえ……その」
男性に抱きかかえられたことなどなかったリースは、突然のお姫様抱っこにすっかり動転していた。
「フィリア、ナーニャに連絡を。靴の代えを用意してもらって」
(りょうかーい)
エリアスは空中の何もない空間に向かってささやいた。小さな声で返事が返ってくる。妖精族の力で姿を消したフィリアが、ずっとエリアスのそばにいたのだ。すぐにナーニャがやってきた。
「エリアス様、もう祝賀会が始まります。お時間がありません。この方のことは任せて、早く控え室へ」
「でも、その靴の責任は僕にもありますから」
「主役がいないと大騒ぎです。ここは私に任せて、お願いします」
(エリアス、はやくはやく)
エリアスはその言葉に押されて、渋々とその場を後にすることにした。
「お嬢さん、申し訳ないですがそういうことなので。後ほどパーティーでまたお会いしましょう」
そう言い残すと、エリアスは早足で控え室に向かっていった。
「エリアス様……」
残されたリースは、熱に浮かされたようにぽーっと中空を見つめながらエリアスの名前を呟いたのだった。
◇◆◇◆
祝賀会は盛大に始まった。司会役の貴族に促されて会場に入場する。エリアス灯をはじめとした、ここ数年でエリアスが生み出した物品がいかに有用で、王国に影響を与えたか、成人の儀で火竜を倒した功績がいかに偉大であるかを司会が喧伝する。
エリアスの功績が読み上げられるごとに、わっという歓声とともに拍手が上がる
(やっぱりこういう雰囲気苦手ですね……それに、僕は主役って柄じゃないですよ)
やがてパーティーは歓談の時間に入る。エリアスの元には様々な人がひっきりなしに挨拶に来た。エリアス灯事業でよく顔を合わせている商工会や職工組合関係者は良いのだが、王座を狙える位置に浮上してきたエリアスに取り入ろうとしてくる政府要人や、娘を花嫁候補にと薦めてくる貴族などに、エリアスはややうんざりとしていた。
「はあ、まだ結婚とか早いですよ……」
面会が途切れた隙にぼそりと呟いてため息をつくエリアス。耳元からフィリアの声が聞こえる。
(エリアスはもう成人したんでしょう? 別に早くないでしょ)
「まあ、そうなんですが……十六で成人は早すぎですよ……」
(また誰か来るわ。あれ、あの子……?)
フィリアの言葉に、周囲に注意を向けると、娘を連れた貴族が近づいてきた。貴族はエリアスの前に来て名乗る。
「エリアス殿下、私はダフト・オースティルと申します。こちらは娘のリースです」
「殿下、先ほどはありがとうございました」
リースの言葉にダフトはおや、という顔をする。
「リース殿、殿下はいいですよ」
「なら、エリアス様。わたくしのこともリースとお呼びください」
「では、リース。あの後は大丈夫でしたか?」
「はい、使用人の方に大変よくしていただきました。ほとんど同じ色の靴を用意していただいたのですよ」
軽くスカートをつまんで靴を見せてくれるリース。
「こらリースはしたない。殿下といつの間にお知り合いになったんだい?」
「すみません、お父様。実は先ほど助けていただいたのです」
リースは先ほどあったことを父親に説明する。その瞳はエリアスの顔を見つめ、軽く上気した表情だ。
「おお、それはそれは。是非ともお礼をしなければなりませんな。今度ぜひ一度、我が家にお招きしたく存じ上げます」
「いや、それほどのことでは」
「いえ、礼をおろそかにしたとあっては家名に傷がつきます。近いうちに招待状をお送りさせていただきます」
「いや……」
「エリアス様、私からもぜひお願いします!」
リースは胸の前で両手を握ると、エリアスの至近距離まで近づいて、見上げるような体勢で言った。普段引っ込み思案なリースのその行動にダフトは驚いた。エリアスがどぎまぎしているうちに、リースは離れた。顔が真っ赤である。
「明日にでも正式に使いをだします。それでは殿下、その際に」
リースは少々名残惜しそうな雰囲気だったが、ダフトが挨拶を述べると一緒に離れていった。
「しまった。約束をさせられた」
(もう招待されたら断れないわねえ。あ、エリアス。私飽きたからご飯食べてくるわね)
その後もエリアスは挨拶の人たちの相手をし続けた。そして、会場のあちこちでは、宙に浮く食べ物の姿が目撃されたのだった。
◇◆◇◆




