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3.ノア

 翌日の朝、針子が徹夜で仕上げた礼服を着込んで、エリアスはルーシアと共に馬車で屋敷を出た。付き人はいつものようにナーニャだ。今日はルーシアも華美ではないが、いつになくきちんとしたドレスを着ている。


 今日は午後からホルン王に謁見が控えているのだが、エリアスはさすがにまだ子供である。謁見には大人の随伴が必要だった。そしてその役目は、現在のフリートラント家の名代であるノーデンが勤めるのが至当であった。

 そこで二人はまず、帰還の挨拶もかねてノーデンの屋敷にやってきたのだった。急な訪問であるが、昨日のうちにすでに連絡はとってあり、ノーデン側も準備を済ませてあるはずだ。


 屋敷の使用人に応接室に通された二人は、ノーデンがやってくるのを待つ。ナーニャは側にそっと控えている。


「いい? エリアス。お母さまこれからちょーっとガツンとやるから、あまり口を挟まないで見ていてね?」


 ルーシアがそんな風に釘を刺す。珍しく真剣な表情のルーシアに気圧されてエリアスが頷いていると、当のノーデンが部屋にやってきた。エリアスと同年代の子供を連れている。


「久しいな、ルーシア殿。長旅で疲れているだろうに、早々にご苦労だな」


 ノーデンは、ルーシアと同年代、二十代後半くらいの神経質そうな男だった。金髪に青い瞳がエリアスとの血のつながりを感じさせる。慇懃無礼な挨拶も早々に、向かいの椅子にどっかと腰を下ろした。遅れて連れの子供もノーデンの隣に座る。


 ノーデンは、初手で余裕を見せて優位に立とうとしたようだったが、その態度には逆に余裕のなさが見え隠れしていた。


「ノーデン様、お久しぶり。この子が息子のエリアスよ」

「はじめまして。エリアスです。よろしくお願いします」

「ご誕生の際にお目にかかったので初めてではないが、そうだな、物心ついてから会うのは初めてだな、今後深く付き合うことになるだろう。ノーデンだ。そしてこちらが我が息子……ノア、挨拶をしなさい」

「あの……ノアと申します」


 ノアと呼ばれた子は、気弱そうにおずおずと挨拶をした。茶色がかった髪の可愛らしい容姿の子である。この年代の子供はまだ外見にあまり性差が現れていないとはいえ、全体的に線が細くその華奢さが中性的な印象を強調している。将来、なかなかの美少年に育ちそうだ。

 謁見の随伴を引き受けてくれたことへの礼や型どおりの挨拶を一通り終えると、ルーシアが早速話を切り出した。


「さて……と、ノーデン様。挨拶はこれくらいにして、さっそくだけれども、我が家の現状を説明していただけないかしら。なにぶん十年近く離れていたので、ね?」

「なに、知っての通り、今のフリートラント王家は政治中枢から距離を置いているからな。ルーシア殿がいない間も、特になにもないぞ」

「本当かしらね? 何やら軍務大臣とこそこそやっているという噂を聞いたわよ?」

「っ! どこで聞いたか知らないが、しがない噂だ」

「そうね、噂では軍備拡張を巡って利権争いがあったそうなのだけど。お金だけ使わされて、利権は手に入れられなかった可哀想な方がいたとか」

「将来への投資だ。次の軍備拡張の際には調達に食い込める」

「ちゃんと契約は取ったのかしら? まさか口約束じゃないでしょうね?」

「む……いや、ノースハイム卿は信頼できるお方だ。書類などなくても大丈夫だ」

「はー……だめじゃないの。前から書類はちゃんと取りなさいって言っているでしょう?」


 昨日王都に付いたばかりなのにどこから情報を集めたのか、それともこちらに戻る前から動向をうかがっていたのか、ルーシアはノーデンの弱みをちくりちくりと突いている。両者とも言葉の調子は穏やかだが、静かな火花を散らしている。ノーデンの余裕がだんだんとなくなってきているのが、端から見ていてもわかる。


 普段のらりくらりとしているルーシアがノーデンを追い詰めている様子にエリアスが驚いていると、向かいに座るノアと目が合った。ノアも、挨拶も早々にいきなり始まった応酬に目をしばたたかせて、おろおろとしていた。しかし、エリアスと目が合ったのに気づくと、微笑を返してきた。ふわりとした笑顔に思わず見とれる。


(うわー、かわいいなあこの子。美少年ショタですよショタ)


 そして、エリアスがノアの微笑に心を奪われている間に、ルーシアとノーデンの話は一区切りついたようだ。


「もう、そういう駆け引きはいいわ。知っての通り、私は政治的なことはあまり興味ないのよ。私が興味あるのは数字よ。数字。フリートラント家の財政状況を見せてちょうだい」

「いや、しかし急に見せろと言われても色々と準備があるのでな……」

「昨日用意しておいてって連絡を送ったわよね? 一日以上あったんだから、決算書類くらいは出せるでしょう?」

「……わかった。おい、あれを」


 しぶしぶとノーデンが命じると使用人が紙の束を持ってきた。ルーシアはそれを受け取ると、すさまじい速度でめくっていく。


「なんだ、ちゃんと用意してあるんじゃないの。うん、言ったとおり月次決算十年分揃えてくれたみたいね。……何よこれ、ここ十年間で資産が二割も減っているじゃないの」

「最近は不景気でな、物資の値段も上がっていて仕方がないんだ」

「ノーデン様、物価が上がったなら領地からの収入も増えるはずでしょう? ん……この支出怪しいわね。ここも数年で二倍近くになっているわ。怪しい匂いがぷんぷんするわね。ナーニャ、紙とペンを」


 ナーニャから紙とペンを受け取るったルーシアは猛烈な勢いで数字を羅列していく。やがてびっしりと数字で埋められた表を完成させたルーシアは、その一部を指さして言った。


「ほら見てここ。貸方と借方が合わない。こことここも。怪しいのは……どこも怪しすぎるわね。一番取引量の多いルーズ商会との取引に絞って帳簿を作ってみましょうか。ああ、やっぱり。ここ最近の取引、きっかり二割ほど代金をごまかされてるわね」

「な! そんな馬鹿な!」

「馬鹿なじゃないわよ。数万ディールくらいなら誤差かもしれないけれど、これは明らかに意図的ね。他もきっとひどいことになっているわよ」

「しかし雑多な品を手形で取引している以上、不正を完全に洗い出すのは難しいだろう。信用で取引するしかない」

「だから複式の帳簿作りなさいって言ったでしょう。教えたわよね? うちの実家の秘伝よ。ここにあるような単式帳簿だと、納入日と支払いが違う月になると追跡できないからごまかされるのよ。そして、そういうごまかしは複式で帳簿作れば一発でわかるの。ほら、また数字が合わない」


 ルーシアは言いながら、ガリガリとペンを走らせて数字の羅列を何枚も完成させていく。ノーデンは青い顔をしてもはや言葉もない。ふとルーシアは、隣のエリアスに気づいて手を止めた


「エリアス、お母さまね、やることができたので、ノアさんと一緒に遊んでらっしゃい。さ、ノーデン様。ついでだから全部帳簿を作ってしまいましょう。きっと面白いことになるわよ」



◆◇◆◇



 本格的に数字の洗い出しに入ったルーシアとノーデンを残して、エリアスとノアは別室に移動した。メイドが運んできた冷たい果実水を二人で飲む。一息ついたところで、ノアは柔らかく微笑んで話しかけてきた。


「ルーシア様、すごいですね」

「何か……すみません。僕もあんなお母さまは初めて見ます」

「ルーシア様は大商家のご令嬢だったそうですね。だからお金のことには一家言あるのでしょう」

「そうなのですか。お母さまは昔のことはあまり教えてくれなくて」


 ルーシアは、子供の小遣いに金貨を渡すような金銭感覚である。エリアスとしては金銭に詳しいとは認めがたいものがあった。しかし、数万ディールは誤差と言ってしまうような世界に生きていたのだと思うと、それも仕方がないのかもしれない。


「エリアス様は王都の外からいらしたんですよね?」

「様はいらないよ、エリアスでいいですよ」

「なら私のこともノアと呼んで下さい」

「うん、ノア。アインブルクという街に住んでいました」

「どんなところなのですか?」


 エリアスは請われるままに、アインブルクでの暮らしを語る。『学校』のこと、たまに森で兎を狩ったりしたこと。


「森かあ。いいなあ、私は王都から出たことがないんだ」

「森の散策や馬の遠乗りに出たりはしないのですか?」

「機会がなくてね。一緒に行くような友人もいないしね」


 ノアは憧憬のまなざしでエリアスを見て言った。


 ノアは他王家や貴族につきあいはあったが、どうしても家の立場が邪魔をして、同年代の気の置けない友人を作る機会はあまりなかった。

 そして、一応は王家の血筋に連なる身でもあるので、あまり好き勝手に遊び回るわけにもいかなかった。立場や血筋とは関係なく好き勝手にやってきたエリアスと違って。


 エリアスは少しノアに同情し、何となくノアに問いかけた。


「よかったら……僕と友達になりませんか」

「え?」

「そして今度、一緒に街の外に遊びに行きましょう」

「……うん! よろしくお願いします。エリアス!」


 ノアは嬉しそうに破顔した。エリアスも笑顔を返して二人で笑い合っていると、部屋のドアがノックされた。


「エリアス、こっちの話は終わったわ。あら、もう仲良くなったの?」

「はいお母様。お友達になっていただきました」


 ルーシアとノーデンが部屋に入ってきた。ノーデンは心なしかげっそりとしている様に見える。


「もう昼時だ。昼食を用意させる。召し上がっていかれるが良い。午後からホルン王の謁見に同伴しよう」


 こうしてエリアスとルーシアは、昼食をノーデン宅でご馳走になると、その後、ノーデンの随伴のもと、一行は王城へ向かった。



◆◇◆◇



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