20.卒業後の進路(後編)
「お母さま……、盗み聞きをしていたのですか?」
「盗み聞きなんて人聞きが悪いわね」
「どこから聞いていたのですか?」
「ほとんど最初からよ!」
「完全に盗み聞きですよねっ!?」
ルーシアが部屋に部屋に入ってきた。後ろからナーニャも続く。ナーニャはお茶のおかわりを持っていた。一緒にお茶を飲もうとやってきたルーシアは、何やら深刻そうな話をしていたので室内に入るタイミングを逸して、扉の外で聞き耳を立てていたのである。
「そんなことよりも、アイアリスちゃんのことよ」
「そんなことですか」
「そんなことよ。アイアリスちゃん!」
ルーシアはエリアスの抗議を受け流すと、空いている椅子に腰を下ろながらアイアリスに問いかけた。
「はい?」
「アイアリスちゃん、うちで働かない?」
「え?」
「ご奉公に出るのよね? だったらうちで使用人として働いたらどうかしら」
突然の申し出に驚いているエリアスとアイアリスを置いて、ルーシアは話を続ける。いつの間にかナーニャは全員の分のお茶を新しくいれ直している。
「あ、お給金はちゃんと出すわよ。見習い期間だから無給とかケチくさいことは言わないわ」
「えっと……その……」
アイアリスは考えが追いつかず、戸惑って口ごもった。エリアスには、ルーシアのその場の思いつきにしか聞こえなかったので、一応確認をする。
「お母さま、いいのですか?」
「もちろんよ!」
「ナーニャ、お母さまはこう言っているけど大丈夫?」
「ええ、最近は私一人では手が回らなくなってきました。信用できる手駒……もとい、使用人を増やすのは良いと思います。その点アイアリスさんなら問題ありません」
「なんでわざわざナーニャに確認するのよ」
お茶を用意し終わったナーニャが会話に加わった。まだアイアリスは戸惑っていて、この話を受けるとも受けないとも言っていない。だがナーニャは、そんなアイアリスの様子を気にすることなく話を進める。
「アイアリスさん、お返事はこまかい条件を話した後で結構ですが、最初に確認しておきたいことがあります。勤務にあたって、引っ越しを伴うことになっても大丈夫でしょうか?」
「え? はい。元々住み込みで働くつもりだった、ので」
「いえ、そうではなく。この街からの引っ越しです。我々はエリアス様が四年生を終えたら、王都に引っ越します」
「え?」
「え?」
アイアリスとエリアスの疑問の声が被った。そしてエリアスも声を上げたことにアイアリスは驚いた。
「『え?』って……知らなかったの?」
アイアリスが少し呆れたような疑問をエリアスに向けた。エリアスは初耳である。
「何ですかその話。僕は聞いてないんですが」
エリアスがそう漏らすと、ルーシアもナーニャに聞いた。
「そういえば、そんな話もあったような……。それで、本当に引っ越すの、ナーニャ?
「はい、奥様」
「お母さまも知らなかったんですか!?」
「やあね、知ってたわよ。忘れてただけで」
「エリアス様には、奥様から話して下さるようにお願いしていたのですが」
「そうだったかしら。まあ、今話したからいいわよね」
「よくないですよ!」
ルーシアとエリアスが掛け合いをやっている間、アイアリスは真剣な表情をして考え込んでいたが、ぽつりとつぶやいた。
「エルは……王都に行ってしまうの?」
「僕も知りませんでしたが、そのようですね……」
エリアスは疲れた声で答えた。
エリアスは、王都への引っ越しという重要事項を今まで自分に伝えずにいたことを、ルーシアやナーニャに問い詰めた。しかし、問い詰めてはっきりしたのは、もはや引っ越しは決定事項であり、何を言っても無駄であるということだった。
しばらく悩んだ後、アイアリスはその瞳に決意を込めた。
「わかった。決めた」
そして、はっきりと言った。
「ルーシアさん、お願いします。私を、ここで働かせてください」
「わかったわ、アイアリスちゃん。よろしくね!」
その答えを聞いたルーシアは手放しで喜んだが、ナーニャが確認を取った。
「条件の話などしないで決めてしまってもいいのですか?」
「いい。エルと一緒にいられるのなら」
「イリス……」
思わず見つめ合った二人に、少し呆れたような羨ましいような表情を浮かべたルーシアが言う。
「本当に仲がいいわね、あなたたち」
アイアリスは赤面して俯いてしまった。
そんなやりとりをしている後ろで、ナーニャはぽつりとつぶやく。
「もう一つ、今のうちに言っておこうと思ったのですが……決意は固いようなので大丈夫ですね。それについてはまたいずれ話しましょう」
ナーニャのそのつぶやきは誰にも聞かれることなく消えていった。
◆◇◆◇
翌日、エリアスは『学校』でさっそくドノヴァンとイリーナに報告をした。
「というわけで、僕たちは来年から王都に行くことになりました」
「おいおい、何が『というわけ』なんだよ。急だな」
「ええ、僕も昨日初めて知りました」
「にゃー。アイアリスさんも一緒かー。いいな……」
イリーナは、エリアスとアイアリスを羨ましそうに見ている。
「ドノヴァンとイリーナは来年以降どうするんですか?」
「俺は二、三年修行に出される。機械とか設備の整った工房に行って色々学んでくることになっている」
「この街の工房ですか?」
「いや、もっと大きな街の大工房だな。いくつかの街に候補はあったはずだが、当然王都のもある。俺も王都に行くのもいいかもしれんな」
ドノヴァンがにやりと笑った。そして、まあまだどこになるかは決まってないけどな、と付け足した。
「むー、何だよそれ! みんなして王都に行っちゃうの? ボクだけ仲間はずれじゃない!」
ドノヴァンまで王都行きを匂わせたことで、イリーナは不満を表した。エリアスは慌ててイリーナに問いかける。
「イリーナはどうするんですか?」
「まだわからないよ。でも、剣の修行を続けたいと思ってる」
「剣で食べていくのか? となると傭兵か軍――王軍か領軍かに入るか、か?」
「まだわかんないってば! そこまで考えてない」
「考えておけよ。軍はコネがいるとかいう話も聞くからな。今のうちからちゃんと調べておいた方がいいぞ」
ドノヴァンからの忠告を受け、イリーナは今後の進路について考える。
「ナーニャさんも当然、エリアス達と一緒に行くんだよね」
「そうだね」
「そうなるともう剣の練習に付き合ってもらえないね……。ボクもどうするか真剣に考えてみるよ。すぐに家を出るのは無理だろうけどね」
イリーナも連れて行ければ良いのだが、エリアスにはそこまでの権限はない。それにイリーナの家の事情もあるだろう。そう思って、エリアスはそれ以上は何も言わなかった
◆◇◆◇
アイアリスが働き始めるのは、エリアスの四年生卒業後に決めた。王都への引っ越しとあわせて、新居にアイアリスも住み込みを始める。つまり、それまでの間は今まで通りの生活を送ることとなった。
ドノヴァンは本当に王都の工房に行けるように働きかけているらしい。エリアスの件がなかったとしても、王都の工房が一番規模が大きくて設備も充実しているとのことだ。その甲斐もあって、まだ本決まりではないが可能性は高いとドノヴァンは言っていた。
イリーナについてはまだ進路を探っているようだ。しかし、今後しばらくは家の手伝いなどをして暮らすことにしたらしい。イリーナにせよドノヴァンにせよ、まだ九歳の子供である。ドノヴァンのように、早期から弟子入りしての修行が必要な職人の世界とは違い、比較的普通の家庭であるイリーナは、まだまだ親に養ってもらっていい年齢である。まだしばらく時間をかけて、将来の進路を決めても良いだろう。
それぞれの思惑を乗せて、四年生の残りの時間は過ぎていった。
◆◇◆◇




