28.聖女として、姉として
レナータが連れていかれ、庭の火も消し止められた。元の静けさを取り戻した庭に、マルク様の静かな声が響く。
「デジレ、フローリア」
マルク様は手を取り合って呆然としている私たちの前まで歩いてくると、驚くことに小さく頭を下げたのだ。今までの彼からは想像もつかないその行動に、私は何も言えずに立ち尽くすことしかできなかった。
「俺が婚約者としてレナータをきちんと見張っていれば、こんなことにはならなかった。済まない」
そっと隣をうかがうと、デジレも驚いているらしく赤い目を大きく見開いていた。
「そして、レナータの口車に乗ってお前の誘拐に手を貸してしまったことを、心よりわびたい。謝罪が受け入れられるとは思っていないが、それでも謝りたい」
「いえ、私は……マルク様の謝罪を、受け入れたいと思っています」
私が戸惑いながらもそう答えると、さらに驚いたことにマルク様はほんのわずかに微笑み、もう一度頭を下げてきた。
「そうか。重ね重ね済まなかった」
「変わったな、マルク」
こちらも驚愕から立ち直ったらしいデジレが、しみじみとマルク様に声をかけている。マルク様は一瞬前のような不機嫌な顔をしたが、すぐに気を取り直すとどこか気まずそうに答えた。
「俺だって、いつまでも子供のように駄々をこねているばかりではない」
その答えに満足したのか、デジレはとても優しく笑った。まるで、弟を思う兄のような目をしていた。
「そうか、お前はいい方に変わった。立派になったな」
「……兄上にも同じことを言われた」
そうつぶやいたマルク様の横顔は、不機嫌をよそおいつつも嬉しそうに見えた。
離宮を去る時、マルク様は手にしていた手紙の束をこちらに差し出してきた。
「この手紙を預かってくれ。俺はまだこの全てに目を通してはいないが、きっとこの中には、レナータがあのような行いに及んだ理由にたどり着くための、何らかの手がかりがある筈だ」
「でも、どうしてこれを私たちに?」
「俺ではレナータの力になってやれない。俺もまた、聖女誘拐に手を貸した罪人だからだ」
それを聞いて思わず息を呑む。そう言えば、さっきレナータはマルク様に兵士を借りたと言った。ならばマルク様も、彼女の思惑について知っていたのだろうか。
「フローリア……俺の謝罪を受け入れてくれた、お前の心の広さに付け込ませてくれ。俺の代わりに、レナータを救ってやってくれ」
そう訴えるマルク様の様子からは、彼がレナータのことを心配してくれているということがありありとうかがえた。
聖女に選ばれてからずっと自分勝手な振る舞いを繰り返していたあの子に、まだ味方がいてくれたという事実が嬉しかった。あの子の憎しみを受け止めきれず、逃げるしかなかったふがいない姉としてはなおさらだった。
離宮は頑丈な石造りだったこともあって、火事の影響はさほどなかった。しかし美しかった庭は半ば焼け落ち、無残な姿をさらしていた。
建物にしみついてしまった煙の臭いを落とし庭を整え直すまで、私たちは離宮から出ることになった。ここで暮らせないこともなかったが、変わり果てた庭を見ながら暮らすのは辛かったのだ。
ミハイル様のはからいで、私たちは王宮の奥まった一角を仮住まいとすることにした。聖女についてどう処遇するのか、陛下からの通達がまだ来ていない。できることならデジレと共に彼の屋敷に戻りたかったが、私はまだ王都を離れる訳にはいかなかったのだ。
それに加えて、レナータのこともあった。レナータは私たちを殺そうとして離宮に火を放った。その行いは、今までの嫌がらせとは同列に扱えない。
人間を殺そうとすることも、建物に火を放つことも重罪だ。そしてもし私が聖女として正式に認められてしまったら、さらにレナータの罪は重くなる。そうなれば死罪は免れ得ない。下手をすると、公開処刑すらあり得る。
私はどうしてもレナータを救いたかった。あの子は私のことを恐ろしいほど憎んでいるし、私のことを殺そうとしていた。しかし、それでもあの子は妹なのだ。たとえ、どんなに狂ってしまっていたとしても。
そう決意した私は、間借りしている部屋にローレンス兄様を呼ぶと、マルク様から渡された手紙を見せることにした。私たち二人だけではできることが限られている。ここからどうするにしても、兄様にも協力してもらうに越したことはない。
「フローリア、わざわざ僕を呼ぶということは、何かあったんだね。……レナータのことで」
「はい。あの子がああなってしまった手掛かりを、見つけられたのかもしれません」
そう言いながらマルク様から預かった手紙の束を差し出す。兄様は受け取りながら差出人を確認し、眉間にしわを寄せた。
「それは、手紙だね。差出人はエドワード……レナータの実母であるセレナの従兄にして元婚約者だったかな。これは、もしかすると」
兄様は手紙をぱらぱらとめくり、考えこんでいる。そんな私たちを見ながら、デジレが小声でつぶやいた。その美しい顔には、苦笑がうっすらと浮かんでいる。
「私には兄弟はいないが、君たちが妹を思う気持ちは分かるような気がする。私にも、何か手伝えることはあるだろうか」
「でしたら、僕たちの考えを聞いて、それに意見していただけますか。第三者であるあなたの方が、冷静な判断ができるでしょう」
「ああ、任せてくれ」
いつの間にか、兄様とデジレが私を置き去りにして話を進めている。私も負けじと、手紙を読み始めた。きっとここに、あの子を救う手掛かりがあると信じて。
しばらくして私たちは、一つの結論にたどり着いていた。もう少し裏付けになる証拠が必要だけれど、もしかしたらレナータは死罪を免れることができるかもしれない。
「残りの証拠については僕が集められるとは思うよ。問題は、それをどこでどうやって主張するかだね。レナータは、おそらく陛下じきじきに裁かれることになる。その場に割り込むか……」
「裁きが成されるよりも先に、申し開きをするための場を設けてもらいましょう」
また考え込んだ兄様に、きっぱりと断言する。兄様とデジレは、揃って目を丸くしてこちらを見た。二人とも私が何を言おうとしているのか見当がついているらしく、面白がっているような表情をしている。
「……陛下がどう判断なされるかは分かりませんが、私が聖女として儀式を執り行ったことは陛下もご覧になっておられます。ならば、私には聖女としての権力が多少なりとも認められるでしょう。それを使います」
「聖女として、レナータの罪についての申し開きの場を設けるよう陛下に要請する、ということか。中々図々しい案だが、悪くない。フローリア、私からも陛下にかけあってみよう」
「それでは、そちらはデジレ様とフローリアに任せます。僕は証拠集めに専念します」
こうして聖女として覚悟を決めた私の、最初で最後の大仕事が始まった。




