26.絶望の炎
私がデジレに守られながら離宮で過ごしている間に、レナータの立場はどんどん悪くなっていった。
レナータは表向き、体調不良ということになっていて自室から出てこなくなっていた。しかしその実は、処遇が決まるまで謹慎させられているのと同然だった。
さらに悪いことに、どこから漏れたのか、あの儀式の日のことがひそひそと陰でささやかれるようになっていた。
そんなこともあって、今までの彼女の傍若無人な振る舞い、そのつけがここにきて一気に出てしまうことになった。
彼女が私、つまり真の聖女に対して様々な嫌がらせをしかけていたのは王宮では知らぬ者などいない。そして先日彼女が私を階段から突き落とそうとしたことを、彼女の侍女たちが震えながら証言したのだ。それに便乗するように、他の貴族たちもレナータの所業を告発し始めた。
もはやレナータをかばおうとするものは、婚約者であるマルク様くらいのものだった。そしてそのマルク様も、近頃では自室にこもりがちになっているらしい。彼は彼で、思うところがあるようだった。
事態が足踏みして進まないまま、ただ時間だけがゆるゆると過ぎていった。
そしてある日の夜、それは起こってしまった。
その夜、私は妙な胸騒ぎを感じて眠れずにいた。眠ろうとするほどに目が冴えてしまい、私はただ寝台の上で寝がえりを打ち続けていた。そうやってどれだけの時が過ぎただろう。窓の外がぼんやりと明るくなっているのが見えた。
夜明けまではまだかなりの時間があるし、この離宮の庭に明かりはない。だったらあれは何だろう。私は起き上がり、窓に駆け寄った。
そうしてのぞき込んだ窓の外には、幾筋もの炎が立ち上りまがまがしく踊っていた。よく手入れされていた植え込みも、可憐な花をつけている月光花も、すべてが炎に飲み込まれようとしていた。
私は悲鳴を飲み込むと、寝間着のまま急いでデジレのもとに駆けつけた。ノックもせずに隣室の扉を開き、そのまま室内に駆け込む。
「デジレ様、火事です! 庭が燃えています!」
彼は寝台の上で静かに眠っていたが、私の叫び声にすぐに目を覚ました。起きてすぐだとは思えないほど機敏な動きで窓に近寄り、外を確認している。その表情は、恐ろしいほど険しかった。
「フローリア、ひとまず避難するぞ。万が一にもはぐれてはいけない、手を」
私は小さくうなずくと彼の手を取り、二人一緒に玄関に向かって走り出した。この離宮にいるのは私たちと、後は門を守っている衛兵だけだ。
私たちの足音を聞きつけたのか、門のすぐそばにいるはずの衛兵は玄関のすぐ外までやってきていた。彼らは私たちの姿を見て驚いたようだったが、どうやらまだ火事には気づいていないようだった。
「庭で火事だ。お前たちは王宮に戻り人を呼んでこい」
デジレが厳しい声でそう言うと二人はすぐにきびすを返し、王宮に向かって駆け出した。
「さあ、私たちも避難しよう」
彼の言葉に返事をしようと口を開きかけたその時、かすかな悲鳴のような声が聞こえてきた気がした。思わずそちらを振り向く。声は、庭の方から聞こえたように思えた。
「デジレ様、今庭から声がしたような気がしたのですが」
「私には聞こえなかったな。一応、確かめておこうか」
彼は首をかしげながらも私の前に立ち、庭に通じる扉を慎重に開けた。熱気が吹き込んでくるが、火の粉や炎はここまで届いてこない。
いつでも建物の中に逃げ込めるよう気をつけながら庭に出る。あちこちの植え込みや花壇が炎に包まれていて、胸が締めつけられるような悲しい光景がそこには広がっていた。
そして庭のただ中に、狂ったような高笑いを上げているレナータの姿があった。
どうしてここにレナータがいるのだろう。私は自分の目が信じられなくて、デジレの腕にすがり小さく震えていた。デジレも私を守るように腕を広げたまま、何も言わず立ちすくんでいる。
レナータはそんな私たちに気づいたのだろう、こちらを向くと醜悪な笑みを顔いっぱいに浮かべてみせた。幼さの残る彼女の顔に、燃え盛る炎がひどく不気味な影を投げかけていた。
「私が聖女なの。あなたは偽物よ、フローリア。だから、あなたには消えてもらうことにしたの」
「レナータ、まさかこの火はあなたが!?」
否定して欲しかった。離宮に火を放ったとなれば、かなりの重罪に問われることになる。
しかし彼女は私のそんな望みを打ち砕くように、あざ笑うような口調で軽やかに喋り始めた。
「ええそうよ。あなたに死んで欲しかったから。それと、デジレも」
「どうして、デジレまで」
彼女はデジレに魅了されていたのではなかったか。何をどうしたら、彼の死を願うようなことになるのだろうか。
混乱する私にさげすむような目を向けると、彼女はデジレをまっすぐに見つめた。そこには、もう憎悪の色しかなかった。
「あなたは私を見てくれない! 私の愛を受け取ってくれない! どうして、どうしてみんなフローリアばっかり! ……私のものにならないのなら、壊してやりたい。それだけよ」
狂ったように叫んだかと思えば、次の瞬間恐ろしいほど冷たく言い放つレナータ。そんな彼女に、デジレは嫌悪半分哀れみ半分のまなざしを向けていた。
「……愚かな」
「うるさいわね! 私の立場を奪ったフローリアと、私を拒んだデジレ。あなたたち二人だけは、絶対に許さない」
レナータはそう吐き捨てると、足元に置かれていた小さな水がめを手にし、中身をこちらにぶちまけてきた。とっさのことで、私たちはよけ損ねて中身をかぶってしまう。
最初は水をかけられたのだと思った。しかしそれは、ぬるりとして身にまとわりつき、かすかに何かのにおいがする。これは……油?
「あっははははは! いいざまよ! これで火の粉の一つも飛んでくれば、あなたたちはあっという間に火だるまね、かわいそうに」
言いながら、彼女は足元に転がっていた枝を拾い上げる。緩やかに燃え始めていたその枝を、彼女はこちらに突きつけてきた。
「ほらほら、早く逃げないと。……でも、背を向けたらこの枝を投げつけてあげるからね」
彼女は私たちよりも優位に立ったのがよほど嬉しいのか、燃える枝を手に可愛らしく笑っている。皮肉なことに、それは昔の彼女がよく浮かべていた無邪気な笑みとよく似ていた。
私はデジレと手を取り合い、じりじりと下がっていった。今レナータに背を向ける訳にはいかない。しかし、このまま庭にいたら火の粉をかぶってしまうかもしれない。このまま後ずさりして、どうにかして屋敷の中に逃げこむしかない。
そんな焦りをかぎ取ったのか、レナータはそれは満足そうににやりと笑った。
「そうだ、せっかくだから教えてあげる。前にあなたがさらわれたことがあったでしょう? あれ、私が仕組んだのよ」
私たちを生かして帰すつもりがないレナータの、恐ろしい打ち明け話が始まった。




