20.恋に落ちた二人
結局、誰が何のために私をさらったのかは分からなかった。私がさらわれる直前に声をかけてきた兵士たちは王宮の正規兵の格好をしていたし、私が閉じ込められていたのは王宮を囲んでいる森の中にひっそりとたたずむ小さな塔だった。
これらのことから、犯人が王宮に関係のある者だということは容易にうかがい知れたが、残念ながら証拠は何一つ見つからなかったのだ。
あの誘拐騒動を経て自分の思いに気づいてしまったデジレは、私への態度がすっかり変わってしまっていた。前は私のことをしばしばからかっていたのに、今では隙あらば甘い言葉をささやいてくるようになっていた。それも、本心からの愛の言葉を。
私はその度に嬉しさと恥ずかしさを覚えながら、ぎこちなく彼に笑い返している。彼のように愛の言葉を返したいと思っているのに、まだ恥ずかしくてうまくいかないのだ。
ずっと私は、自分の気持ちに顔を背けていたのだと思う。女性に迫られ続けたことで女性を信じられなくなっていたデジレを安心させるために、私は彼に恋などしていないのだと、そう態度で示そうとしていたのだろう。
それが急に、彼と思いが通じ合ってしまった。降ってわいたようなこの幸運に、私はまだこれが夢なのではないかと疑わずにはいられなかった。
デジレが変わったのはそれだけではなかった。今の彼は、私を片時も離そうとしなくなっていた。誰がどこで君を狙っているか分からないから、というのが彼の言い分だったが、それ以上に彼は私を独占したがっているようにも見えた。
今日も今日とて、私はデジレの自室にいる。長椅子に並んで座り、寄り添ったままとりとめもない話に花を咲かせる。
「どうした、何か考え事か?」
いつの間にかぼんやりしていた私に、デジレが声をかけてくる。その声も、前よりずっと甘く、とろけるような響きを帯びていた。
「いえ。……一つ、気になっていることがあるのですが。先日、私がさらわれたあの日のことで」
どこまでも優しい笑みを向けてくる彼に、戸惑いながらそう答える。本当はもっと早く聞きたかったのだが、彼はあの騒動の話をするだけでひどく動揺していたので、今の今まで尋ねることができなかったのだ。
「あの日のことか。思い出しただけで寒気がするが……君は何が気になっているんだ」
そう小声で言ったデジレの顔はわずかにゆがんでいた。彼がそれだけ私のことを思ってくれているという喜びと、彼を苦しめてしまったという申し訳なさを覚えながら、さらに言葉を続ける。
「デジレ様は、どうして私が閉じ込められていた場所にたどり着けたのでしょうか。あの塔は王宮の森の中でも特にはずれのほうにありますし、めったに人も通らないところのように思えたのですが」
助け出された私は、自分がどこに閉じ込められていたのかを知ってぞっとした。深い森の中、ただ細い獣道だけで王宮と通じている小さな塔。それは誰からも忘れ去られたように、古びて半ば朽ちかけていた。
あの時はたまたますぐにデジレが来てくれたが、下手をすれば数日くらい見つからなくてもおかしくはなかった。あるいは、永遠に見つからなかったかもしれない。
「ああ、そのことか。花が君の居所を教えてくれたのだ」
「花が、ですか?」
思ってもみなかった答えに私が目を丸くすると、ずっとしかめ面をしていたデジレはようやく表情をゆるめ、小さく笑った。
「そうだ。あの日君はミハイルに持っていくのだと言って、月光花を摘んでいっただろう。あれが、ちょうど道しるべのように点々と落ちていたのだ。昼間はあの花は閉じていて目立たないから、君をさらった連中は気にも留めなかったのだろうな」
彼はそう言いながら顔を動かす。彼の目線の先には、小さな花瓶に飾られた月光花があった。つぼみを固く閉ざしたその姿は、ごくありふれた雑草のようにしか見えなかった。
「昼間から君を探し続けていた私は、夜になって森にあの花が落ちていることに気がついた。私はその花をたどって、あの塔にたどり着くことができたのだ。塔の中から君の声が聞こえたあの時は……安堵でその場に崩れ落ちるかと思った」
「申し訳ありません、迷惑をおかけして」
「こうして君が無事だったのだから、それでいい。ただ、二度とこのようなことがないように、決して私の傍を離れるな」
彼の腕が伸ばされ、優しく私の腰を抱いて引き寄せる。そうしてぴったりと寄り添うと、彼は私の肩に頭を乗せた。温かく心地よい重みに、思わず胸が高鳴るのを感じた。
「君がいなくなる、あんな恐怖は一度きりでたくさんだ」
彼は顔を伏せたまま、悲痛な声でそうささやく。彼の白銀の髪がひと房、さらりと私の胸にこぼれかかった。その絹のようにつややかに輝く流れに目を奪われながら、私は腰に回された彼の手に自分の手をそっと重ねた。
「聖女の儀式など無視して、もう屋敷に戻ってしまおうか。君が招待されていようが、そんなことは関係ない。あそこでなら、君を守ることができる」
間近に迫った聖女の儀式に、私は見届け人の一人として招待されていた。招待したのは、もちろんレナータだ。その知らせが届いた時、デジレは血相を変えた。聖女殿を君に近づける訳にはいかない、絶対に招待を受けるな、と言って。
私も最初は、儀式には参加せずに帰ってしまおうかと思った。けれどまだ、誘拐事件の犯人が捕まっていない。もう少しだけ王都に留まっていて欲しいと、事件について調べているミハイル様から頼まれてしまったのだ。
それに、姉として妹の晴れ姿を見届けてやりたいという気持ちもまだ残っていた。デジレと王都を離れてしまえば、きっと彼はもう私を手元から放そうとしなくなるだろう。
そうすれば、レナータと会うこともなくなってしまう。そうなる前に一度だけ、あの子の顔を見ておきたかった。儀式の場ではさすがの彼女もそう大それたことはできないだろうし、儀式に参加するだけなら危険はない。
私はそう主張して、渋るデジレを説き伏せたのだ。聖女の儀式までは王都にいたい、と。彼はその美しい顔を思いきりしかめていたが、やがて折れてくれた。
儀式にまつわる過去のそんなやり取りを思い出しながら、私は話題を露骨に変えた。深刻そうに眉をひそめているデジレの心を、少しでも和らげたかったのだ。
「……そうだデジレ様、屋敷に戻ったらまた遠乗りに連れていってくれませんか」
前の時は彼に試されていた。私が恋に落ちてしまわないか、彼にのぼせて理性を失ってしまわないか。おかげで、私は遠乗りを楽しむどころではなかった。彼の期待に応えたくて、必死で理性を保ち続けていたから。
けれど今なら、きっと私は彼との遠乗りを心から楽しむことができる。美しい自然の中、彼と二人きりで過ごす時間を想像しただけで胸が高鳴る。
そんな私の思いを汲み取ったのか、デジレは顔を上げてとろけるような笑みを見せた。宝石のような赤い瞳は、いつもよりずっと艶を増していた。
「ああ、もちろんだ。困ったな、今から楽しみで仕方がない。これではまるで子供だな」
「私も楽しみにしています。……デジレ様と一緒にいられるのなら、私はどこでも幸せですが」
考えるよりも先にそんな言葉が口をついて出た。けれどその言葉を聞いた彼はさらに嬉しそうに笑い、私の頬にそっと唇を寄せてきた。柔らかな感触に、思わず笑みが漏れる。
そうして私たちは甘い幸せをかみしめながら、ずっと寄り添い続けていた。




