10.一通の招待状
気がつけば私は、すっかりデジレと親しくなってしまっていた。けれど私は彼に恋をしてはいけない立場だ。私にとって彼は主であり、そして友人のような存在だった。きっと彼も、同じように感じているのだろう。彼の屈託のない笑顔を見ながら、私はそんなことを思うようになっていた。
楽しげに私をからかうデジレと、苦笑しながらその相手をする私。私たちはそうやって、それなりに平穏に過ごしていた。
ある日突然、王宮からの書状が届くまでは。
「フローリア、お前に手紙だ」
デジレが一枚の封筒をつまんでひらひらと振っている。王宮からの正式な書状であることを示す王家の紋章が入ったそれを、彼はとても気軽に、ぞんざいに扱っていた。彼は王家に次ぐ権力を持つドゥーガル家の当主だが、それにしても王家に対する敬意というものが足りないような気がする。
どうやら、先ほど執事長のジョゼフが持ってきた手紙の束の中にそれは紛れ込んでいたらしい。あるいは、デジレに存在を知らせるためにジョゼフがわざと紛れ込ませたのかもしれない。
私は封筒を受け取ると、そのまま開封した。精緻な装飾が施された美しい厚紙が中から出てくる。
「……婚約発表の舞踏会?」
その厚紙は、王宮で行われる舞踏会の招待状だった。その文面に目を通した私の口から、思わず小さなうめき声が漏れる。そうして困惑している私に、デジレが小首をかしげてみせた。詳しく説明しろ、ということだろう。
「……第二王子マルク様と、聖女レナータが婚約することになったそうです。そのお披露目の場として舞踏会を開くので、私にも出席するようにと」
「そうか。お前は聖女の実の姉だし、招待されるのも当然だが……お前は舞踏会に出たことはあるのか」
「ありません。そもそも、私の家にそれだけの余裕はなかったので」
貴族とは名ばかりの貧乏暮らしの我が家には、そんな余裕はなかった。一応の礼儀作法は仕込まれているけれど、舞踏会用のドレスなんて持っていない。私が持っている一番上等な服ですら、デジレの普段着に遥か遠く及ばない。そんな格好で、舞踏会に出てもいいのだろうか。
できることなら舞踏会になど出たくない。そんな華やかな場はどうしても気後れしてしまう。けれど、これはレナータのお祝いの席なのだ。姉として、欠席する訳にはいかない。レナータは私を目の敵にしているしひどい目に合わせようとしてくるが、それでも彼女は妹なのだ。
黙りこくってしまった私を気遣うように見つめていたデジレは、小さくため息をつくとつぶやいた。
「……なるほどな。これもおそらく、聖女殿の嫌がらせの一つなのだろう。舞踏会になど出たことのない、また出る余裕すらない君を呼びつけて恥をかかせようという魂胆か」
レナータの所業について彼に話したことはないのだが、どうやら彼は彼女の行いについてよく知っていたようだった。思わず目を丸くした私に、彼はにやりと笑ってみせた。
「私が聖女殿について知っているのが意外だったか? 彼女が君に何をしていたのか、王宮では知らない者などいないぞ。その噂はこうして王宮を離れて暮らしている私の耳にまで届くほどに、広まってしまっている」
レナータの行いはもうそこまで広く知られてしまっているのか。思わず苦虫をかみつぶしたような顔になった私に、デジレが苦笑しながら尋ねてくる。
「ところで、私が耳にしたことが真実ならば、お前は相当聖女殿に恨まれているようだが……彼女がそんな行いをする理由に、何か心当たりは?」
「全くありません。レナータから理由は聞きましたが、何一つ身に覚えのないことでした」
「そうか。そうすると何らかの行き違いがあったのか、あるいは逆恨みといったところなのだろうな。もしくは単に、聖女殿の性格がとてつもなく悪いとか」
「あの子はそんな子ではありません。元々引っ込み思案の、おとなしい子だったんです。聖女に選ばれてから人が変わってしまって……」
今までのことを思い出しながらがっくりとうなだれている私の耳に、デジレのいつもより低い声が飛び込んできた。
「お前は優しいのだな。あれだけの目に合ってもまだ妹をかばうのか。……しかし、このままお前が軽んじられるのをただ黙って見ているだけというのは、面白くないな」
「……デジレ様?」
どことなく不穏な空気を感じて顔を上げると、口元を笑いの形につりあげたデジレと目が合った。その目は少しも笑っていない。
「……フローリア、この件は私に任せてはくれないか。悪いようにはしないと約束する」
「いえ、デジレ様の手を煩わせるわけにはいきません。私一人で何とかしてみせます」
それは本心から出た言葉だった。彼の言う通り、この招待状はレナータによる嫌がらせなのだろう。彼女は、私が舞踏会に出たことがないことも、まともなドレスを持っていないことも知っている。それに、将来を約束した相手がいないことも。
舞踏会にはエスコート役に同行してもらうのが一般的だと知ってはいるが、この分だと兄様に頼むか、一人で行くしかないだろう。
けれど別にそれが辛いことだとは思っていない。豪華なドレスがなくても、素敵なエスコート役がいなくても、胸を張って舞踏会を乗り切っていくつもりだ。ただアンシア家が貧乏だというだけで、私は何も恥じるようなことをしていないのだから。
私のそんな決意を感じ取ったのか、不意にデジレが柔らかく微笑みかけてきた。かすかに頬が熱くなる感触と共に、肩に入っていた力がすっと抜ける。
「お前が何を考えているかは大体分かっているつもりだ。だがそれでも、私はお前に力を貸したい。……日頃のお前の働きに報いたいという私の気持ちを、どうか汲んではくれないだろうか」
彼はいつになく寂しげにそう懇願してきた。その顔に驚きつつも、ついほだされてしまった私が少し戸惑いながら小さくうなずいた瞬間、彼の顔がぱっと輝いた。
いつも表情豊かな彼だが、この時の表情の変わりようはあまりに速く、もしかして意図して寂しげな顔を作っていたのではなかろうかと疑いたくなる程だった。
「よし、確かに任されたぞ。楽しみにしておいてくれ、フローリア」
がぜん張り切り始めたデジレを前に、私は自分の判断が正しかったのか密かに悩んでいた。




